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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


やっぱり「AI」は機嫌の取り方を間違っている⁉


こういう言い方はヘンだが「AI社会」が浸透していくと、人間はいつの間にか、自分のマネージャーとか秘書とかヘルパーさんとかの感覚で、AIに接していくのが“当たり前”になっていくような気がする。ただAIは時々“知ったかぶり”をする。自分が“それ”を求めていないのに「このことが知りたいんでしょう」というような表示の仕方をしてくる。普段なら、それはそれで「よく判るなあ」というふうな反応を示せるのだが、何かしら気分の良くない時とか、落ち込んでいるときとかに、そういうものを画面上で表示されると「余計なお世話だよ」と言いたくなる。AIは“人の気持ち”に対しては鈍感なのだ。TV画面などでも、別にこっちが何も要求していないのに「……聴き取れませんでした」などという。パソコン画面でも、もう、それは“必要がなくなった”のに、いつまでも、しかも、何回も「これは如何ですか」的な感じで表に出てくる。そういえば、上級のホテルとかデパートなどでも“似たようなサービス”がある。何も訊いていないのに「なにか調べましょうか」とか「これは如何ですか」などと言ってくる。そうだ。確かに、上級なホテルでも、常に“作り笑い的な笑顔”を提供して来るではないか。そういう意味では、あれに慣れておけば、AI社会にもすんなりと溶け込めていけるのだろうか。タレントのハリー杉山氏が既に2022年に亡くなっている父親のことについて語ったそうだ。認知症になった父親を、最初はなかなか“受け入れることが出来なかった”そうだ。認知症予備軍ともいうべき私なども、そう遠くない日に、同じような想いを子供に与えるのだろうか。と言っても、わたしの子供は、わたしの娘は、もう20年以上も逢っていないではないか。その暮らしぶりさえも訊いて来ない。AI以上に薄情な奴。そのうち、わたしが認知症になったら、そういう感じになってからひょっこり出て来て「ひょっこりはん」のように顔を出すだろうか。わたしの手相の頭脳線は、左手の方だけだがここ2~3年前から長くなって掌の端の近くまで伸びた。つまり左手の方だけ“認知症を避けようとしている”かのようだ。これで右手の方も長くなれば、齢を取っても「認知症にはならない」と確信できるのだが、いまのところは五分五分のようだ。まあ、それでも片方だけでも長くなってくれて、なぜか救われたような気分なのは不思議だ。
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