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今日の迷言・余言・禁言

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コンプレックス強い「乙武氏」の「権力志向」


『五体不満足』で一躍時代の寵児となった乙武氏だったが、その後はいろいろ世間に問題を提起することが多かった。その乙武氏が衆院東京15区の補欠選挙に出るらしい。わたしは、この人の社会評論家的な才能は大いに認めるところだが、ハッキリ言って政治家はもっとも向いていない分野に属すると思う。なぜなら、もともとこの人の意識の底に“権力志向”があるからだ。そして、その権力志向は自らの身体的なハンデに由来していると思うので、簡単に変えられるものではない。そういう人が“権力”を持ってしまうとろくなことにならない。だから、そういう意味では結果として権力の座を得ることになる政治家という職業は止めておいた方が良い。あまり引き合いに出したくないが、眼が視えなくて、そのコンプレックスが“権力志向”に傾かせた麻原彰晃と似たものを感じさせるのだ。麻原彰晃も独特なカリスマ性を持ち、そのハンデを逆手に取って権力を追い求めた。社会評論家として活躍する分には、どんなに活躍しても良いのだが、政治家のような直接“権威・権力”と結びつく分野はコンプレックスの強い人は向かわない方が良いのだ。最初はともかく、何年もすれば必ず、その本来の“権力志向”が出て来てしまうし、その権力志向に手を貸す人たちが出て来てしまう。別にわたしは“権力志向”そのものが悪いといっているわけではない。ただコンプレックスを秘めた“歪んだ権力志向”は、必ず社会全体を混乱に陥れるケースが多い。たとえば彼が小学校教員になった時、結果的には彼一人では足りず、もうひとり介助の方を傍に置かなければならなかった。これが高校教員ならそれでも良いと思うが、小学校の教員が“介助を必要とする”というのはどう考えても正常ではない。その介助の方が居なくなってからなのかわからないが、彼はトイレに行くときに今度は生徒たちに介助をさせようとした。なんども言うが、それが高校生たちであれば問題はない。介助を求められた小学生は、どう対応すれば良いのか。やさしい子は応じる以外ないではないか。一見、権力とは関係ないように思えるが、教師が生徒に依頼すれば上下関係から受け入れざるを得ない状況がある。似たような状況が政治家になった時には必ず生じる。だから、彼は“権力”を持たない方が「正義の人」で居続けられるのだ。
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