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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


一度引退した選手が「時代を牽引する」のは⁉


2013年に一度引退しているフィギュアスケートの織田信成選手が大阪大会で総合228.12点で11年ぶりに優勝した。もちろん、彼の素晴しい努力のたまものと言っていいが、それにしても、こんなにブランクのある37歳が2位となった選手に22点差での“ぶっちぎり優勝”を許した男子フィギュアスケート界というのは、いったいどうなっているのか。アスリートの世界では、ときどき、同じようなことが起こる。以前、テニスの伊達公子選手も、かなりのブランクが空いた後でトップに返り咲いていたことがあった。もちろん、結果がすべての世界であるから、基礎体力や天才的素質に恵まれていれば、いつまでも“トップレベルの成績”を残せるのは素晴らしいことには違いない。ただ、今回のように、2位となった選手との間に“大きな差”が生じているのは、やはりどこかに「指導法の問題がある」と捉えなおした方が良い。要するに、全体的なレベルが“下がり過ぎている”ということなのではないだろうか。アスリートの世界は、どの分野であれ、十代後半から二十代前半くらいまでが、もっとも進化しやすい年齢だと思うし、その間に伸びた選手が“世界を制して”来た歴史がある。特にフィギュアスケートなどは、これまでの一般的な選手経過を観ると30歳くらいまでが限界で、それ以降は“純粋な技術”としてのレベルよりも、プロスケーターとしての“魅せる技術”に移行する時期のようにも感じられる。アスリートの場合、その素質が伸びるかどうか、活かされていくかどうかは、指導者の力も大きく影響する。そういう点から言えば、指導者として優れた人物を輩出していない可能性もある。芸術や芸能分野で活躍する人たちにしても、その素質が初めて開花するのは十代半ばから二十代半ばにかけてが多い。その間に、それなりの素質を発揮できなければ、その後になって大きく活躍するのは難しい。さまざまな分野で、ほんとうの意味で活躍する年齢というのは微妙に異なる。したがって簡単には決めつけられないが、もし、自分の素質が十二分には発揮できていないとか、素質そのものが“どの部分”にあるのか解からないとか、いつほんとうに開花できるのか解からないとか、そういう場合に、指導者を変えるとか、学び方を変えるとか、がむしゃらに“さまざまな大会や公募に出てみる”とか、何らかの新たなチャレンジをすることで、それまで見えなかったものが見えてくることも多いと知るべきだ。
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