「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


上原さくら氏が「しまむら」で洋服を買っている


人は年齢を重ねることで、当然のことながら徐々に変わっていく。だから、例えば昔は“面倒を見てくれていた親”が齢を取り、その結果、今はその親を自分の方が“面倒を見ている”としても、不思議ではない。そうして、そういう変化の中で、親に対しての気持ちも微妙に変化していく……のも自然なことなのだと言える。昔、モデルとして一世を風靡した上原さくら氏(47歳)が、認知症になってしまった母親について記している。現在はホームに入所している母親は、すぐに自分の着ているものを失くしてしまうらしく、何度も新たなセーターとかトレーナーとか買って持っていかなければならないらしい。そして、それを持っていってあげても、感謝の言葉一つも口にしてくれないのだという。認知症なのだから、或る意味では仕方がないのかもしれないのだが、そういう親に対して、昔のような気持は抱けず、どんどん自分の親に対して「冷たい気持ちとなっている自分」を感じて、そういう自分自身が「なんかイヤだ」と正直な感想を漏らしている。ここには、親子の持っている“どうしようもないつながり”が見事に描かれていて、人の運命の持つ“動かしがたい部分”を改めて感じる。わたし個人は20代で母親を喪い、30代で父親を喪ったので、そういう“微妙な変化”をあまり感じないで済んだ。そうは言っても、その晩年の父親が面倒を見ていた兄に対しての愚痴を私にぶつけた時、わたしは正直どう答えて良いかわからなかった。親子や兄弟の微妙な感情の変化は、或る意味でどうしようもないモノのような気がする。ところで、上原さくら氏は、その母親のセーターなどの洋服類を「しまむら」で購入しているという。もはやモデル活動は少ないと言っても「上原さくら」だ。それが母親のものとはいえ「しまむら」で購入し、そのことを隠すことなく公言していることに、わたしは何故か感動してしまった。人はよく「ここだけは譲れない」みたいなことを言う。彼女の場合、それはブランド物の洋服などではなかった。母親と自分の関係性。親子の関係性が逆転し、面倒を見ながらも、冷たい気持ちになっていく「自分がイヤだ」という、その部分……ずっと温かい気持ちで親を見送ることが出来た人は“倖せ”だったと言えるのかもしれない。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言