「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


人生の形を「一つだけ」に限定すると苦しくなる


よくテレビのバラエティー番組で、その人が辿ってきた人生を“グラフ化”したりする。あれは、あれで“判りやすい”とも言えるが、実際の日々というのは、そんな“グラフ化”できるほど単純なものではない。それに、多くの場合、その“グラフ化”は“世間的に視た場合”という条件付きである。TVに出すのだから、そういうものでないと世間の方が納得しない。けれども多くの場合、本当に自分に向き合ったときの「人生グラフ」はかなり違った波形となる。運命学的な観点から言えば「幸せの見つけ方」は、人それぞれである。ほんとうは「世間」など、あまり関係がない。昨日、俳優だった板垣瑞生氏(24歳)が今年3月中旬に遺体で発見されていたことが公表された。家族によるSNSでは「不慮の事故死」ということになっているが、警察発表では「外傷の無い遺体で事件性はない」とのことなので、戸外で発見されながら、外傷の無い遺体を「不慮の事故」だとするのは理解に苦しむところだが、とにかく一か月以上経っての公表となった。実は昨年の3月に、それまで所属していた事務所を退所している。それも、事務所側から促された形ではなく、自ら「坊主になって…」決意を伝えた…という形での退所だった。本人によれば「もう、これ以上人前には出られない」という心身の状態であったという。その後は、それを治療すべく入院などもして、それによってかなり良くなった……と本人は昨年11月の時点で記している。ところが、今年に入って1月末頃に自宅を出て行方不明となった。そして警察発表では2月上旬ころ戸外で死亡したと推定している。近年、情報量の発達によって、或る種の“生き方”“人生上の在り方”が規制を受けているような印象を私は受けている。「こうでなければならない」「こうあるのが本来の姿だ」「こういう状態が平均的な姿だ」「これ以外の生き方はあり得ない」「現代は、これが標準だ」「将来的な人生は、こうなっていく」「何歳であれば、こうなっているのが普通」……要するに情報として、別に知ろうとはしていなくても、こういった情報が次から次へと流れてくる。それらを、上手く処理で来ていれば良いが、上手く処理できない場合、自分と“無意識に比較して”違っている部分に何かしら“割り切れないもの”を感じることが多い。人生にお手本などないことを、どう生きても良いことを、さまざまな選択肢があることを……情報として流すべきだ。そうでないと、無意識のうちに“平均的生き方”に洗脳されて、それらと照らし合わせてしか、自分の人生を考えられなくなっていく。それは、大いに危険なことなどだ。人生には“無限の可能性”がある。決して、一つしかないというような“難しいモノ”なんかではないのだ。もっと自由に選べるし、もっと“さまざまな道”を模索した方が楽しいのだ。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言