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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


今日は「立冬」この日を「年初」としていた王⁉


暦の歴史を調べると、いろいろと興味深い発見がある。その一つは、一年における開始時期についてだ。われわれは年初を太陽暦の“1月1日”に置いているが、歴史的には“そうではない時代”の方がはるかに長いのだ。ただ多くの時代や地域では大体「春」を年初とする傾向がある。古代中国の「秦」の時代には一年は「立冬」つまり今日から始まった。つまり季節の「冬」を年初と決めていたからで、どうして「冬」なのかと言えば、当時の五行思想で「冬」は「水」に相当し、その「水の徳を持っている」のが秦の始皇帝とされていたからだ。当時から、季節は“二至・二分・四立”を元に決められていた。二至とは「冬至」と「夏至」のことで、二分とは「春分」と「秋分」のことで、四立とは「立春・立夏・立秋・立冬」のことだ。これらをもとに四季(春・夏・土用・秋・冬)が定められていたのだ。そうすることで、一年間は「木・火・土・金・水」の各五行に振り当てられる。だから「冬=水」なのだ。当然のことながら、立冬は“冬の初め”で当時の「年初」となる。その当時、用いられていたのは太陰太陽暦に基づく暦で“閏月”と言うものが加わって一年の日数を調節する。その閏月を挟むのは、この「立冬」を含む旧暦10月の“前の月”なので、その閏月のことを「後9月」と呼んだ。つまり通常の「9月」の後に「閏月(後9月)」が挟み込まれることになる。歴史に名高い秦の始皇帝という人は、とても信心深い人だったようで、自分が「水の徳を持つ王」であることを常に気に掛けていた。なぜなら「水の徳を持つ王」だけが周王朝を倒し、次の王朝(秦王朝)を築けることになっていたからだ。そこで彼は、すべてを「水」用へと切り替えたのだ。その一つが「暦」の切り替えだった。もちろん彼は、常に“黒の衣裳”を身に着けていた。それは「黒」が“水五行の色”だったからだ。彼の画像として遺されたものを観てみると、そのすべてが“黒の衣裳を着た姿”となっている。彼は万全を期したのだが、不老不死を求めても得られず、その政権が息子へと移った時、あっという間にその息子は政権を奪われてしまった。そして、暦の年初も「立冬」から「立春」へと変えられてしまったのだ。
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