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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


何かが違う「正・邪」「善・悪」の“捉え方”教育


昭和から平成そして令和に変って、なにが一番変化したかというと、老人から若者に教えていくこと、親から子供に伝えていくこと……そういう古来からの“循環システム”のようなものが失われ始めているということ、通用しにくくなっていること……けれども、それはほんとうに変化して良いことだったのだろうか。わたしは最近、疑問に思っている。人類が何千年もの間、ずっと続けてきた流れというものには、それなりの意味があり、継承していくべきことだったのではないだろうか。昨日も、東京で路上殺傷事件が起こった。千葉県知事として立候補している立花孝志氏に対して、ナタを持った男が襲い掛かったのだ。さいわい、すぐ取り押さえることが出来、立花氏はすぐ救急搬送されたので、彼はこめかみ、耳、首の3カ所に裂傷を負ったが、重症には至らなかった。ただ耳は危うく“削ぎ落される”ところだったし、一歩間違えば死亡していた。もともとこの人は「敵」を作りやすく、あちこちに敵がいる可能性があるが、今回の事件は面識のない人物で、思想団体的な背景はなさそうな気がする。確かに、立花氏の主張には元々“危うい部分”があるし、賛成できないのは解る。しかし、だからといって、そういう人物だから「殺してしまえばいい」という発想があってはならない。最近、なにかと“悪い部分を持つ人物”に対しては、すぐ「排除してしまえ‼」とか「殺してしまえ‼」的な発想を持つ人が多い。こういう短絡的な発想は“漫画の世界”にはよくあるし、その方が面白い。だが、それは物事すべて“デフォルメ”で描く漫画の世界だから許されるのだ。それをそのまま“現実社会”に持ち込もうとする人が多くなっている。そうなってしまったのは、一つには最初に書いた親から子供へ、老人から若者への“循環システム”が機能しなくなっているからだ。親から子供に伝わり、老人から若者に教えて「人間社会」として成り立っていくものが未だ存在している。それを「もはやない‼」かのように錯覚すると、人間社会というものが、世の中というものが正常に機能しなくなっていく。特に“教え方”として重要なのは「正・邪」と「善・悪」に対しての教え方で、これら二つに対して、あまりにも“漫画的な教え方”をしすぎている。「ワルイ奴」は殺しても良いとか「正しくないもの」は排除してしまえ…という教えや考え方をしがちなのだ。もしかすると、最近の教師そのものが“漫画世代”で、親や老人から教わらず、漫画から“憶えた捉え方”を基に子供たちに教育しているのではないか。危険な発想をストレートに社会に適用しようとしているのではないか。何千も続いた“循環システム”には意味があるのだ。
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