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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


大成功より「ささやかな倖せ」が何よりも重要⁉


人間は“長く生きて来ている”内にさまざまなことを発見する。その中には“大きな発見”もあれば“小さな発見”もある。小さな発見は、他の人たちにとっては“どうでも良いこと”が多いが、その人の日常においては“とても大切なこと”であったりする。たとえば私は最近、袋入りの黄桃というのを大変気に入っている。たまたま“大粒みかん”というのが無くて、何か代わりになるものは…と思って、眼に留まったのが“黄桃”だった。このシリーズの良いところは、皮をむくとか、缶を開けるとかの手間がいらず、手指で食べる直前に袋を開けば、すぐ食べられるところにある。わたしは“甘い果物”が好きだが、総じて果物類というのは、そのまま食せるものが少ない。洗うとか皮をむくなど手間のかかるものが多い。わたしは面倒くさがり屋なので、そういう手間を掛けず、すぐそのまま食せるものが良い。そういう点で袋入りは便利だ。量的にも、一人が一回分として食べるのに“丁度いい分量”で入っている。たくさん買って冷蔵庫に入れたままにしておけるのもいい。昔は“手間いらずの果物”と言えば、缶詰に限られた。缶詰は、その缶を開けるのに時間と労力がかかるし、空き缶の処理も手間取る。大昔、わたしが風邪などひくと、母親がよく“みかんの缶詰”を与えてくれた。子供時代だったから、特別、美味しい果物に感じた。それを想い出したからではないのだが、最近は、朝食として“みかんのゼリー”か“袋入りみかん”を付けることが多かった。ドーナツあんパンと牛乳とみかんが、わたしの朝食の“一つの定番”だ。幼稚園児のようだが、わたしはどういうものか、朝から“和食”という気にならないし、かといって“こってり洋食”という気にもならない。幼稚園児のような朝食が気に入っているのだ。ただ、たまたまみかんがなかったことで“袋入り黄桃”を食してみたら、これがなかなかに美味しい。だから、最近はみかんと半々くらいにしている。そして、こういう幼稚園児のような朝食を食しているとき、わたしは何故か“ささやかな倖せ”を感じるのだ。若い時には、そんな“安っぽい幼稚園児食”に“悦び”を感じるようになるとは夢にも思わなかった。大体、あまり“ふつうの食事”で悦びを感じることもなかったし、ソファに腰掛けていることだけで“安らぎ”を感じることもなかった。これは、もしかして、もう“お迎え”が近いからなのか。それもあるかもしれないが、何かしら、最近、わたしは“肩の力が抜けた”とでもいうか、なんでも自然体で受け止めるようになった。そうしたら、些細なことが“愉しみ”や“悦び”として受け止められるようになってきた。若い時には考えられない“不思議な感受性”なのだ。
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