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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


常に「才能」を“自分の中”から見つけ出していく


よく「才能」というものを“生まれ持っているモノ”と誤解している人達がいる。それは大間違いだ。もちろん、先天的に“優れた素質や才能”を備わって生まれてくる人もいる。そういう人がいないわけではない。けれども、比率で言えば、そんな人は、ほんの一握りだ。ほとんどの人たちは後天的に自ら“育んでいった才能”なのだ。そういう人たちが、世の中で活躍しているのだ。それに、年齢的にも、幼少年期から学び始めなければ、その種の能力が身に付かない、と思っている人が多いが、そんなことはない。その実例ともいうべき人物が、6月9日に97歳で亡くなった。「自撮り写真家」として知られる西本喜美子氏だ。彼女のすごいところは、最初に美容学校に通って知識と技術を身に着け、美容院を開業して、その技能を発揮した。ところが、それで飽き足らず、今度は競輪選手へと転向していったことだ。美容師と競輪選手とでは“似た要素”がまるでない。にもかかわらず決断すると直ぐにそれを実行していく。「新たな世界」を怖れることがない。彼女の場合、その競輪選手時代に出逢いが生れ、結婚して二児を授かり、専業主婦として子育てに集中する。ところが、その長男が写真家となって「写真教室」を開くと、今度は自分が“塾生の1人”として正規に学び出したのだ。これは一見、簡単そうだが、実際にはなかなか出来ることではない。自分の息子に、教室で“生徒の1人”として学び始める。しかも、この時、彼女は70代に入っていた。だから最初は「写真家になろう」としたのではなく、ただ基礎から学んで「本格的な写真を撮りたい」という気持ちだったに違いない。けれども、この人の場合は、なんでも吸収が早く実行力がある。被写体が居なければ、自分自身を被写体とすれば良い。ということで、自らを被写体としての写真を撮り続けるようになる。何でもすぐ諦めてしまう人がいるが、この人のように、被写体が居なければ自分が“それ”になって、自撮りの芸術的な写真だって撮れるのだ。ただ、そこには基礎が身についていることが重要だ。趣味で終わらせる人は、この“基礎をきちんと習得する”ということをしたがらない人も多い。実際、ほんとうに“好きな趣味”だけで満足なら、それでいい。だが、多くの人に“芸術写真”として認めてられるには、やはり基礎がいるのだ。こうして彼女は88歳で初の写真集を出版した。70代から始めたのだが、結局、25年間という永い歳月を“写真家”として生きたのだ。
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