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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


年間8万人の「失踪者」が“いる”という現実


2歳の保育園児の場合であれば、行方不明になれば大勢の人たちが協力して捜してくれる。その結果かどうかわからないが氷見市の沖合で発見された遺体が“不明児童”であったことがDNAから判明した。自宅周辺の用水路から落ちて流された可能性が強い、というのが警察の観方であるらしい。ただ私は遺体が「洋服を身に着けていなかった」と言われている点が気に掛かる。流されていくうち、洋服も剝ぎ取られる形となったのか。それとも、最初から夏で蒸し暑くハダカ同然の姿だったのか。この事件のように「幼い子供」の場合は警察とかマスコミも一緒に捜してくれる。けれども、十代半ば以降の年齢に達している場合は、警察も親戚も近隣の方々も、もちろんマスコミも一緒になって捜してはくれない。その“捜してくれない”行方不明の人たちが日本では年間8万人も居るらしい。そして、そのことをヒントとして出来上がったのが「千夜、一夜」という10月7日公開の映画なのだった。昨日、そのプレミアム上映会と舞台挨拶が監督や出演者によって都内で行われた。ドキュメンタリー出身の久保田直監督が、失踪した夫を30年間も待ち続ける女性などを中心として物語を描いた。私はそれをネット記事として読んだのだが、その記事に対するネット上の反応には、何故か実際に“愛する人”をいろいろな形で失った人たちのコメントであふれていた。しかも、それらの人たちは共通して“その時点”で時は止まっていて、再び歩み始めようとはしていない。或る意味では“後ろ向きのまま”過去を引き摺って生きている哀切の情であふれていた。人間はだれしも、予期しない形で“愛する人”を失うと茫然自失となる。ましてや理由もわからない状態で突然“愛する人”が失踪してしまったなら、動揺するのは当然である。わたしも“長い実占生活”の中で、何回か“失踪者の発見予想”を依頼されたことがある。占いは「透視」ではないので、明確な場所を突き止めるのは難しいが、或る程度の目安があれば、それらの中から特定していくことは出来る。ただ現在は“プライバシー保護”の観点から、あまり突っ込んだ形で捜索することは出来ない。結局、警察も特別な事件に巻き込まれていない限り、本格的な捜査をしてくれない。住所不定となった8万人は、いったいその後どうやって暮らしているのだろうか。
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