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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


教訓として「過去の大予言」が“意味する”もの⁉


なにやら物騒な予言が“独り歩きをしている”ようだ。漫画家のたつき諒氏による「2025年7月5日に大災害が起こる」という予言だ。都市伝説として、たつき諒氏には過去の東日本大震災の予言が的中した…というものがあり、それと重ね合わせる形で「今回の予言も的中するのではないか」という噂が広まったものと思える。わたしは、自分自身も運命家の立場から、さまざまな予言をすることがあり、実際、数多くの的中した事実もあるが、まあ私のような知名度の乏しい人間が言ってもそれほど害はないが、都市伝説的に評判となっている人物は、わたしなどと違って“自分の発言”には慎重でなければならない。たつき氏の漫画は、わたし自身は読んだことがないので、どの程度の能力の持ち主なのかは正直わからない。ただ何度も言うように、社会的にそれなりの人気や知名度があり、世間的に広く知られている方の場合は、その発言や記述は、そのまま多くの人たちにとって“強い影響”を及ぼすことがあるので、そういう意味では慎重さが求められる。まず、予言というものの構造から言えば、幻視・霊視という形で視える場合、幻聴・教唆という形で教えられる場合、夢の中で視える場合、予知という形で感じる場合、そして占いを通じて予見する場合……などがある。たつき氏の場合は「夢の中で視える」というタイプの予言らしい。わたしの経験によると、社会性の強い未来予見よりも、個人的な未来予見の方が的中率が高く、さらに、同じ個人でも自分自身に関することがいちばん強く、次が自分の身近な人達、特に親・兄弟・子供・配偶者・恋人・親友などの場合、予知能力が強く働くように思われる。社会的な事柄は、どの部分を捉えるかで“視え方が異なる”はずで、たとえば大地震などの場合、自分に関わりの無いものなら、あまり恐怖など感じず“ニュース映像なような感じ”に視えるはずなのだ。恐怖を感ずるのは、少しでも自分自身にも関わりがある時で、関わりの無いものに人は恐怖を感じない。だから、もしも日本列島全体に影響が及ぶような大災害が来るなら、自分にも何かしら感じるはずだが、そういうものを少なくともわたし個人は感じていない。大予言として、過去にはエドガー・ケイシーやノストラダムスの予言が注目されたことがある。エドガー・ケイシーは「日本列島の東側の大部分が海に飲み込まれる」と予言していたことがある。これは東日本大震災の“津波現象”をややオーバーに表現したものと思われる。ただ年代的には的中しなかった。またノストラダムスは「恐怖の大王が空からやって来る」と、わけのわからない予言をしたが、これは“ニューヨークの9.11事件”のことであると私は思っている。もっとも、これも時期的には外れていて、その2年後に起こった。つまり、時期予測は当たらない場合が多いのだが“イメージ映像的な予言”としては大体“それらしき事柄”となるケースが多いのだ。つまり、多くの場合、予言とは“そういうもの”だと思ってもらいたい。
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