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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


数度の「雪かき」が“懐かしい想い出”になる⁉


年齢が行ってくると、自分の経験してきたことが“いかに少ないか”ということを改めて思い知らされる。たとえば「雪かき」だ。わたしは北海道に生まれて、今も北海道に暮らしているが、北国の代名詞ともいうべき「雪かき」を“2~3回”しか行ったことがない。つまり、雪かきが必要な地域や家屋にあまり暮らしたことがないからだ。唯一、江別市で暮らした時期だけが「雪かき」を行った経験がある時期だ。たまたまTVのニュース番組で“豪雪地帯”に暮らす人々の映像が流れた。ひっきりなしに降り積もる雪の中で「一日に3回~4回は雪かきをする」という女性が居た。わたしは自分の“僅かな経験”を想い出した。一度行なっただけでクタクタになったのを忘れない。雪かきというのは見掛け以上に疲れる。要領の悪いせいもあるが、ほんの少しの面積でも完璧に行うには時間が掛かる。わたしは子供時代を室蘭で育ったが、あそこは雪かきが不要の地域だった。風が強くて一か所に雪を留めておかないのだ。わたしが居住した地域は下から巻き上げるような風が冬場はずっと吹き続けていた。だから雪は降っても“積み上がっていく”感じにはならない。ただ気温が極端に低いと、降った先から凍り付き、変色するような感じに固まっていく。そうすると歩くのが大変なのだ。下から巻き上げるような風が吹く中、スケートリンクのように固まった路面をソロソロと歩く。滑って転んでの骨折が後を絶たない。札幌に初めて出てきたとき、その雪の白さに感激した。室蘭は製鉄所など工場が多く、雪はすぐ薄汚く変わっていた。真っ白く積み上げられた雪と、ひんやりとした冷気はあっても風を伴わない路は滑らなかった。わたしはこの街を“天国”のように思った。大雪の降った日、わたしは子供のように雪の中を歩き続けた。「白い雪」が絨毯のように積み上がっていき、むしろ街中を暖かくした。そこを歩くと、絵本の中を歩いているような感慨があった。室蘭の時には、そんな悠長なことは言っていられない。とにかく必死だった。目的地に着くためには歩き続けなければならない。けれども暴風雪が行く手をくらます。滑るのと風が強いのとで前へと進まないのだ。それでも必死だった。身体の中を風が吹き抜けていく中で、神に祈りをささげるかのような思いで一歩一歩と歩を進める。ときどき強風で元に戻るが、とにかく耐えるしかなかった。わたしは忍耐力というものを、この地で学んだのだ。もしかすると豪雪地帯の「雪かき作業」も“忍耐力”を培う最良の場かもしれない。
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