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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


本人のイメージ「姓名のイメージ」が一致する時


「姓名は“生命”に通ずる」と言ったのは、確か熊崎健翁氏だったような気がするが、文字通り「日本」が戦争に突入する気配が生じていた頃、俗に「熊崎式姓名学」とも呼ばれた“独自の理論”が急速に“世の中”へと広がっていった。何しろ、改名することで戦場へ赴いても「死なずに帰って来れる」というのだ。そりゃ、みんな「藁をもつかむ」心境の時なのだから、熊崎健翁氏の元に殺到していった違いない。もっとも、わたしはそういう“過去の噂”を知っているだけで、ほんとうだったがどうかは判らない。何しろ、わたしが“生まれる前の話”なのだから…。とにかく「姓名は生命」のうたい文句で、一世を風靡したのが熊崎健翁氏だった。さて、時代は変わって、フリーアナでタレントだった小林麻耶氏が、数年前から「國光摩耶」に改名していたが、それを本来というか、元の「小林麻耶」へと再び改名したという。まあ、離婚したわけではないから、あくまでも「通用名を変える」ということなのだろうが、変えるというより「戻す」形にした、ということのようだ。明確な理由は書かれていず「もう、この辺で変えて良いかな…」という“あいまいな理由”からのようだ。もっとも、それに対しての反響はかなり大きい。その一番の理由は、前に用いていた「國光摩耶」の名前が、どうも本人のイメージとしっくりこないからだ。姓名というのは、文字通り“生命体としての印象”を与えるもので、それが合致していれば、人はスムーズに“その名前”に親しみ、その名前を記憶する。その名前が与えるイメージと、本人の外貌的なイメージが、一致している人ほど印象に残りやすく、憶えやすい。名前と本人の外貌や性質とが“かけ離れている”場合、われわれは無意識に“その名前”の方を拒絶する。したがって、そういう名前は“世の中”に浸透しにくい。これは人間だけでなく、たとえば何かの商品名でもそうである。名前のイメージと、その商品とに“或る種の共通性”が感じられるほど、われわれは何の抵抗感もなく、その商品を理解する。そういう意味では、特に新製品とか新商品とかの場合、その名称は想像以上に重要なのだ。人間だって、同じことで“違和感のある名前”は、世の中に浸透できない。そういう意味では、やはり小林麻耶氏は「小林麻耶」の方が良い。変えたからと言って、すぐ仕事に恵まれるわけではないが、少なくとも誰もが“イメージしやすい存在”に変わったことだけは確かなようだ。ちなみに、両方とも、姓名学的には“良名”とは言い難い。家庭運に“難”があるのだ。
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