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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


本当は「経済」ではなく「心」が貧しい日本人


今回の選挙で、俗にいう“裏金問題”が影響して「自民党」からではなく「無所属」として立候補することになった東京17区の平沢勝栄元復興大臣。その平沢氏は、昔から“庶民派”ということで広く知られていた。実際、もう十年以上も前の記憶だが、その私生活も極めて庶民的な暮らし方で、著名人としてのセレブ的な暮らしとは程遠いことがTVを通じて紹介されていた。その平沢氏だが、今回は本人も納得できない状態の中「非公認」という形で勢力的に選挙活動を展開しているらしい。ところが、その活動状態をSNSで随時発信しているのだが、忙しいので「コンビニ弁当を買って車の中で食べた」ということを発信したら、それが“庶民生活に反する”ということで炎上しているというのだ。別に、高級レストランでランチを愉しんだ……と発信したのではなく、ただ単に「コンビニで弁当を買って、それを車内で食べた」という他愛もない内容である。ところが、それが「庶民派などとは言えない」というのだ。つまり、コンビニで弁当を買うのは「贅沢だ」「ほんとうの庶民はコンビニでなど買わない」というのだ。もう、こうなると「贅沢」とか「庶民」とかいう問題ではなく「心の貧しさ」の問題になる。忙しいから、とりあえずコンビニで弁当を買って、それを車内で食べて、次の遊説に向かう……という“その行為”さえもが「許されない」とか言うなら、そういうことをネットに書くあなたたちは「どれだけ質素な暮らしをしているのか」ということになる。仮に、その方達が「食費」は切り詰めていたのだとしても、必ずと言って良いほど、別の部分で“切り詰められる部分”に金を使っているのが、ほとんどの人たちだ。もちろん、中には“すべてにギリギリの暮らし”を実践している方もいるだろう。けれども、間違って欲しくないのは、そういう“暮らし方”をするのが「正しい生き方」などと言うのは、とんでもない思い違いである。われわれは“豊かな暮らし”をする権利を持っている。だから、それを与えてくれる政治家を択ばなければならない。決して「一緒に貧しくなりましょう」という政治家を択んではならないのだ。なぜなら「豊かではない暮し」を続けていると、人間というのは「心まで貧しくなる」習性を持っているからだ。心が貧しくなると、批判能力は盛んになるが、文化的で満ち足りた生活からは、どんどん遠のいていく。そして人を愛する心を、人を許す心を、どんどん失っていってしまうのだ。最近の日本人の中には、この「心の貧しい人たち」が徐々に増えていっているような気がする。
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