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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


来年を占う「鵜さま」が捕まってくれない神社


私の勘では“ギリギリになって捕まる”ような気がするのだが、とにかく祭り日の“神事”は12月16日午前3時と決まっている。それまでに“神の使い”というか“神そのもの”というか、祭りの主役である「鵜」をどうしても捕獲しなければならない。鵜であれば、どこから連れて来ても良いかというと、そうではない。ちゃんと石川県七尾市には「鵜捕町」という名称が残っている。そこで捕らえた「鵜」であることが条件なのだ。そして捕獲できたその時から「鵜」は「鵜様」という尊称に変わって“神”となる。そうして石川県で古くから広大な敷地面積を誇る神社として知られる「気多大社」で毎年行われる“祭りの主役”となる。国の重要文化財でもある拝殿や本殿では古式にのっとり、12月16日の早朝3時に“鵜祭”が行われる予定ではあるが、今年はなぜかまだ「鵜」を捕獲できていないのだ。もちろん「鵜」が捕獲できなければ“鵜祭”の意味がない。それに、この神事は「来年を占う」ことで有名なのだ。捕獲されていた鵜を放し、その“神前への進み方”によって、来年が占われる。鵜は“明り”を求めて動くので、神に代わって“神前の舞台”まで無地に辿り着くらしい。万葉集の時代から脈々と伝わってきた伝承であり、欠かすことなど出来ない。だが肝心の鵜が捕獲できないことには、どうすることも出来ない。「鵜捕町」という町名が、そのまま今日まで残り続けたことは素晴らしい。森に囲まれた気多大社も、写真で見る限り、古来の状態をそのまま維持し続けてきたように見受けられる。冬至前後から正月にかけての神事には「新年」を占うものが多い。それぞれの地域で“神事の仕方”はことなるが、ほとんどの場合は“その地域”における神が告げる「新年の出来事」で郷土に暮らす人々の信頼を集めてきた。よく、神社に関してさまざまなことをいう人がいるが、実際には“未来を予知すること”も担っていたことは間違いがない。神社に対して「お礼だけを言うべきだ」などという人は、庶民の気持ちも、神様の気持ちも、解かっていない大馬鹿野郎なのだ。
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