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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


歩行者の「信号無視」を合法化する時代に突入⁉


日本のような“国土の狭い国”においては、道路幅も元々広くは作れない。だから、どの街であっても横断歩道は必ずあって、通常は“そこを通る”のが歩行者の決まりとなっている。ところが海外に行くと、ときどき“横断歩道が見当たらない地域”に出くわすことがある。しかも、そういうところに限って人通りが多い。彼らは“車が横切っていく”ことをまったくといって良いほど気に掛けていない。われわれのように“横断歩道を渡る”ことに慣れている者にとって、次々走って来る車の間を“渡り歩いていく”ことには大きな勇気がいるものだ。しかも、われわれの場合、横断歩道がないところを横切る行為自体に“違反行為”のような後ろめたさがどうしてもちらつく。ところが、そういうような場所であっても、そこに暮らさなければならないようなケースでは、だんだん車道を横切ることにも慣れてくる。そして、そういうような街では「信号無視しても良いのだ」ということを理解する。実際、アメリカでは現在、歩行者の信号無視を“合法化しようとする動き”が着々と進んでいる。ニューヨークやシカゴ、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコなど、大きな都会ほど、そういう動きが活発なのだ。考えてみると、車社会のアメリカでは基本的に街の道路は“車のため”のものとして存在していて、歩行者のために存在していない。だから、歩行者の方も当たり前のように信号無視をする。もちろん誰だって交通事故は起こしたくないから、その辺は互いに“譲り合いの精神”で成り立っている。幅広い道路は、あらかじめ“多少の信号無視”は最初から許しながら今日まで来ていたのだ。それが、ここに来て本格的に「歩行者の信号無視を合法化しよう」という動きに変わってきた。都会ほど、そういう動きが活発なのだ。日本のように、子供にも“交通ルール”を徹底的に教えて、横断歩道を渡るよう義務付けている国はないのかもしれない。そういう形で慣れてしまっているわれわれは、いざ信号は無視して良いと言われても、実際のところは“勇気のいる行為”でなかなかできない。現地の人たちに紛れて、一緒に渡るのがせいぜいで、単独での信号無視は出来ないのが普通だ。それに日本に暮らしている分には、やはり信号をも待って暮らしていかないと落ち着かない。車の見当たらない時でも、じっと信号の色が変わるまで待っているわれわれは、或る意味ではロボットのような“融通の利かない人種”かもしれないのだ。
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