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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


死後も遺る「いずこ」&「二人のブルース」


作詞家や作曲家は自分の死後も「作品」が形となって生き続けていく。そういう点で、素晴らしい仕事だと思う。映画や小説もそうだが、自分自身が“この世”から消えても、自分が心血を注いだ作品が“生命”を得て、その後もずっと生き続けられるのは、なんと素晴らしいことだろう。昨日、淡路島の都志小という作詞家・阿久悠氏の出身校で、彼の未発表曲「いずこ~ふたたび歌を空に翔ばそう~」の発売イベントが開かれた。阿久悠氏自身は、あまりにも早く亡くなってしまったが、その出身母校で未発表だった詞に曲が付けられ、作品としてまた一つ“カタチ”となった格好だ。その歌詞の中に「……この青空を 歌で満たそう 乾いた心に 降り注ぐよう……」とある。昔、映画の挿入歌で「禁じられた遊び」というギター曲が、私は好きだった。あれは確か戦時中に作られた曲だったはずだ。歌詞があるのか、ないのか知らないが、歌詞などなくても、その切ない響きが伝わってくる。そういえば昨日は歌手の吉幾三氏も、その芸能生活50周年を記念して大阪でコンサートを開くと伝わった。長年の友人だった故・志村けん氏への思いを込めた「二人のブルース」も披露するらしい。彼の場合は作詞・作曲の両方をこなすから、自らの想いを作品化しやすい。「プライベートではちっとも面白くなかった」というが、そうだったに違いない。それでこそプロなのだ。私は彼の「だいじょうぶだ教」が好きだった。丁度、その頃、悩み多い時代を過ごしていた私は、あの「だいじょうぶだ」に救われた思いがあった。現代は、さまざまな分野で規制がかかり、“お笑いの世界”も、人間本来が持っている“可笑しさの部分”を生で出せなくなりつつある。作詞にしても、小説にしても、映画にしても、舞台にしても、あらゆる作品に規制が掛かってしまうと、活き活きとした作品が生まれなくなってしまう。もっと「自由」に作品が発表できるような“新しい時代”を、人々は求めているのではないだろうか。
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