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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


死者の住まい「陰宅」という考え方


私事での必要性から、現代の“葬儀”や“お墓”に関して、その専門家や担当の方から、いろいろな違いや事情をうかがってきた。そういうことに関して、これまで深く調べたことがなかっただけに、現代的な“在り方”についても考えさせられたし、実に“さまざまな形”が存在していることを改めて知らされた。私個人は両親を早くに亡くしているので、自分自身ではそういうことに直接タッチせず今日まで来ていた。だから昔の“一般的な形”しか知らなかった。日本人の場合、こと「冠婚葬祭」に関しては“昔ながらの風習”を、そのまま引き継いできたものが多い。近年に至って、家族制度が大きく変貌し、経済事情も加わって「冠婚葬祭」全体が簡素化され始めている。考えてみれば「婚」の部分だって、私自身は最初の時は簡素ながらも教会で式を挙げたが、二度目の時には入籍だけで済ませた。私の方はそれで良くても、妻の方は“心寂しかった”に違いない。ただ冠婚葬祭は時代とともに変遷していくもので、何が“正しい”とか、“望ましい”とか、一概に言えるようなものでもない。昨日は“終戦記念日”だったが、海外の戦地で亡くなられた方々は、遺骨の収集さえも十分でなく、今日を迎えている。ヒロシマやナガサキの方々にしてもそうだろう。人は、それぞれの状況の中で“精一杯の儀礼”を果たすしかないのが実情なのだ。運命学上では、生きている者のことを“陽者”とし、亡くなっている者のことを“陰者”とみなす。したがって、我々の住まいは「陽宅」と呼ばれ、故人の住まいは「陰宅」と呼ぶ。当然、陰宅は“墓標”を指す。また仏教徒であれば“仏壇”も加わる。神道の方であれば“神棚”も加わる。つまり、そういう信仰を持っていた方の場合は“仏壇”や“神棚”が、日頃の死者と生者を“繋ぐ架け橋”となる。自宅に“仏壇”などない場合は“墓地・墓標”が“死者の住まい”であり、同時に“架け橋”となる。よく“宗教儀礼”にことのほかうるさい人がいるが、形式で“故人が悦ぶ”わけではない。その時における“精一杯の儀礼”や“心からの供養”こそ、双方にとって“魂安らぐもの”として受け入れられるに違いない。

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