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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


生きているうちに「お葬式」「墓石購入」の奇妙


世の中には「心配性の人」や「用心深い人」が居て、前もってそんなことまで心配しなくても……と思うようなことを、やたら“手回し良く”行ってしまうタイプの人がいる。たとえば死ぬ前から墓石を購入したり、死ぬ前から“お葬式”を行ったりする人がいる。昨日、なにかの企業コラボなのだと思うが、タレントのデヴィ夫人が「生前葬」を行った。彼女自身は特製の棺桶に入った姿で登場し「わたしの目標は108歳で煩悩の数を乗り越えることだ」と語ったらしい。まあ、視ようによっては“煩悩の塊”のようにも見えないことはないが、その一方、いろいろ福祉事業にも頑張っているようなので、神様は判断が難しいことだろう。彼女は「人間には自分で視れないものがある…それは自分自身の葬式だ」とも語ったらしいが、わたしは大昔、幽体離脱をした経験があり、その時の体験から、視ようと思えば“自分の葬式を視ること”は可能ではないか……と思っている。但し、その時の体験から言えるのは、横たわっている自分の肉体に対して、幽体離脱した私は“自分の肉体”だということがよくわかっていなかった。だれかしら、わたしに近い人物、わたしの身近にいる人物……のように感じて、その肉体を視ていたのだ。もし、あの時の感覚が、実際に“死後の感覚”として残っているのだとすれば、おそらく死んで肉体から遊離した魂(霊体)というのは、自分の「葬式」などにはほとんど興味を持たないに違いない。というか、それが自分自身の肉体だった…という記憶さえもあいまいな気がする。それこそ“親しかった誰か…”のように感じてしまうのかもしれない。つまり、肉体を離れた魂(霊体)にとっては過去のことなどはどうでも良くて、ぼんやりと「この人の傍に、もう少しだけ居てあげようか」程度の意識で、斜め上方から自らの葬式とやらを看取るのかもしれない。そして、そのあとは解放された気分になって「天国」らしき所を自由に探索し始めるのかもしれない。「死」とは考えようによっては、過去から解放されることであって、世の中のすべてのしがらみから、解き放たれることでもある。そう考えれば、あえて「生前葬」などと言って“予行演習”するようなことでもないと思うし、生前の内に墓を用意しておくとか、その後の供養の在り方を考えておくとか、少しみんな難しく考えすぎなのではないかと思う。人間は元々動物なのだから、老いていって、命が尽きたなら、放置されて、当たり前だし、それが自然に風化する形で土に還っていく……のがいちばんではないか。余計なことまで、どうしてみんな考えるのだろう。
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