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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


異国の空で聴く「昴」は“荘厳な響き”があった


昭和をリードしたシンガーソングライター谷村新司氏が亡くなった。わたしには今も明確には想い出せない記憶の断片がある。あれはタイだったか、それともフィリピンだったか、確かどちらかの国だったと思うが、とにかく“その時”わたしはトラックの荷台に乗っていたような記憶がある。もちろん東南アジアなので夕方6時過ぎだが、まだまだ蒸し暑い。空は暗く街は喧騒のままだった。それが、どこからか突然、谷村新司氏の「昴」の歌声が聴こえてきたのだった。よほどの大音量でなければ聴こえないはずだが、もしかするとトラックそのものが掛けていた音楽だったのかもしれない。とにかく、その日わたしは何故か疲れていた。旅そのものに疲れていたのか、連日の暑さに参っていたのか、いまではよくわからない。ただ精神的にも、わたしは何らかの悩みを抱えながら、その結論を見いだせないで居た。そういう中で、わたしの耳に「昴」が飛び込んできたのだ。最初はだれの歌か判らず、なんとなく「日本の歌だな」と思った。確か、その前に掛かっていたのは現地の曲だった。だから、そういう意味で「日本の曲だ」というのはすぐに判った。けれども最初は何の曲なのか解からなかった。それでも、引き込まれるように、わたしの中で“その歌”が大きくなった。そうだ「昴だ‼」そう気付いた。そう気付くと、あの歌詞が妙に“その時の状況”に符合したのだ。わたしだけが勝手に符合させたのかもしれない。けれども、あの曲は確かに異国に合っていた。異国の中で、疲れていて、連日の蒸し暑さで弱っていたカラダに、染み入るように入ってきた。不思議だった。そうするとほろほろと涙が流れる。なにも哀しいことなんてないのに、涙が流れる。わたしは日本人だった。アジアの薄闇の中で、アジアのトラックの荷台の上で、埃っぽい路上を走りながら、聴く「昴」には荘厳な響きがあった。何か、日本人がかつての戦争でアジアの密林で戦っていたことを彷彿とさせる響きがあった。不思議だった。それは決して激しく歌っていたわけではない。力いっぱい歌っていたわけでもない。ただ、朗々と歌っていたのだ。何かしらの決意のもとに歌っていた。日本の魂をアジアの片隅に置いていくかのように、トラックは走り続けていた。
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