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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


結局「満たされすぎる」と、人は不幸に向かう⁉


ときどき興味深い“忘れていた名前”が何かのニュースで報道されることがある。昨日、一時期、注目を集めていた不動産投資会社「レーサム」の創業者で元会長の田中剛(60歳)が覚せい剤所持の疑いで逮捕された。わたしはこの人物のことを詳しくは知らないので、もしかしたら多少違っているかもしれないが「元会長」というくらいだから、いまは第一線を遠ざかっているのにちがいない。けれども、わたしの記憶では、この会社は一時的にせよ将来性のある企業として、多くの投資家たちから注目を集めていた。その企業の創業者でもあるから、現在は直接関わっていなかったとしても大株主であるのには違いなく、巨富を得て経済的には悠々自適の暮らしであるに違いない。かつて若くして巨万の富を築いた与沢翼氏もそうだったが、なぜか巨富を得て実質的にあまり“仕事をしなくなる”と、覚せい剤とか、マリファナとか、コカインとか、そういう刺激物に走る人物が少なくない。これはおそらく仕事で得ていた“或る種の興奮や高揚感”が失われてしまうことと無関係ではない。相当な年齢になってしまえば別であるが、あまりに若いうちに巨富を得てしまうと、そして多忙だった生活から一挙に“ゆとりある時間帯の暮らし”に変貌してしまうと、それはそれで人は満たされた暮しが色褪せて見え、何かしら虚しくなってしまうものなのだ。そういう意味で言えば、人は社会的に適度な活躍と、経済的に適度なゆとりと、身近な人達との適度な交流と……そういうものが与えられている環境がいちばん幸福と言えるかもしれない。人間はぜいたくなもので、社会的にどんなに成功しても、忙しくて“自分の時間が持てない”暮らしだと、それはそれで虚しくなってしまうものだ。どんなに巨富を得ても、身体にあちこち支障が生じれば、けっして満足な暮らしとは言えない。また“愛する人”が失われてしまえば、当然のことながら、それを“お金で買う”ことは出来ない。どの部分が満たされなくても、人はほんとうの意味での幸福ではいられないのだ。そういう意味では、ささやかではあっても今「それなりに満たされている」人は、それを失わないよう小さな努力を続けるのが“良い人生”の歩み方なのだ。
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