「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


結局「王子様」は18歳「肇(はじめ)」に変った


自分自身の“なにか”に違和感を持つ人は意外なほど多い。その典型は「性」に対して違和感を持つ人たちで、その多くは人生の途中で“変えよう”と努力する。それとやや似た要素を持つものとして「姓名の違和感」がある。自分の名前なのに“自分の名前”のような気がしない。或いは“それ”が自分の姓名であること自体が“嫌”で仕方がない。それなら、いっそのこと変えてしまえば良い。「親から授かった名前だから、大切にしなければ…」という人もいるが、だれが観ても“違和感”を抱くような名前の場合は、変えた方が良い。その方は18歳まで「赤池王子様」として過ごした。けれども、そういう名前には違和感を持っていて、15歳以上であれば「親の同意なしに改名できる」という法律を知って、すぐに改名の手続きに入った。高校生18歳の時である。なかなか勇気ある行動だな、とわたしは思う。外部から「改名した方が良い」というのはたやすいが、実際に自分が18年間使い続けてきた名前を、だれにも相談せず、家庭裁判所に書類申請して変えていくのはとても勇気のある行動だ。そうして家庭裁判所からの許可が無事に降りて、その“変更手続き”を役所に届け出てから、彼は母親に事後報告した。名付けたのは母親だった。私が思うに、もしどうしても彼女がそういう名前を付けたかったなら「赤池王子」にしておくべきだった。これであれば、本人が18歳の時点で「変更しよう」とまでは思わなかったはずだ。「王子」という名前なら、仲良くなった友達・仲間などが呼びやすい。スポーツ競技なら応援しやすいではないか。社会人になった後の人との対応でも「王子」だけなら、さまざまな書き方があり、必ずしも相手側に“違和感”は生まない。けれども彼の母親の間違っていたところは「王子様」まで付けてしまったことだった。これでは公的な場などでは「王子様様」となって、ちょっと恥ずかしい。中には笑ってしまう失礼な人がいるかもしれない。父親にも相談せず、母親が独断で名付けたということで、事後報告として伝えた時には号泣されたという。彼が幼い頃、既に離婚している父親は、変更したことをすんなり受け入れたという。こうして彼は晴れて「赤池肇」となった。変更後3年経っての心境などを週刊誌がインタビューしている。彼自身は“将来を考えて”変更に踏み切ったということで、変えたのち“何か”が大きく変わったかというと、特別なものはないようだ。いや、たぶん一番大きいのは彼自身の“気持ち的な変化”ではないだろうか。もう“笑われなくて”も良い。もう自分の名前に“違和感”を持たなくて済む。「ふつうの人」として生きていけるのだ。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言