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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


美術品としての価値が乏しい「少女像」強制撤去


ドイツ・ベルリンの公道に設置されていた韓国系市民団体による「少女像」の強制撤去が17日、地元行政区の関係者が行った。2020年に市民団体が設置してから、地元との間でいざこざが絶えない彫像だった。地元行政では「一時的な美術品展示に当たる」として“2年間だけの設置許可”を与えていた。その後も撤去しようとしないので、地元住民や「日本」から“撤去すべき”との訴えが起こされていた。結局、裁判で最終的に「設置を認めない」判決が出たことで、地元行政が強制撤去に踏み切った。この「少女像」だが、本国である韓国にもあるが、欧米の各地でも設置してある場所がいくつかある。ただ平凡な「少女像」でパッと見で“意味が解る”ようなものではない。あちこちの韓国系市民団体は「日本軍隊の慰安婦事件の象徴」として“この彫像”を制作した。だが、いかんせん、その訴えていることが解りづらい。「少女が椅子に腰掛けている像」にしか視えない。もう少し、芸術性を持った彫像なら、欧米諸国でも反対は起こらないと思うが、正直、これに美術的価値を見出すのは難しい。わたしはときどき韓国のTVドラマを観ていて、韓国人の持つ“怨念の深さ”に驚くことがある。多くのドラマで“過去の怨念”がテーマになっている。その執念深さは驚くべきほどで、ドラマとして視る分にはとても面白くて良いのだが、現実の話として考えると、こんなに過去に執着して、怨念を抱きながら生きていくというのは、運命学的には「奨められないな」といつも思ってしまう。それに必ずと言って良いほど、韓国ドラマでは「現在の不幸や不遇は誰々のせいだ」というふうに決めつける。必ず、だれかのせいで“現在の状況がある”というふうな捉え方をする。自分自身のことなのだが、そこに自分の存在はなく、あくまでも「誰かのせい」で、このような状況が生じている……という捉え方をする。つまり、自分にとっての「良い人」「悪い人」を決めつけ、それに対して、自分はどう対応して生きていくべきか、という考え方・生き方をドラマの骨格にしている。そこにあるのは、未来を決めるものは“過去だけ”という人生観で、単純というか、少し危険な気がしてならない。だから韓国では、大統領になった人でも、簡単に“罪人扱い”が出来るのだな…とも思う。「社会的正義」が時代によって、あるいは地域によって、大きく変動するものだということに気付いていないような気がしてならない。
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