「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


“血は水よりも…・産みの親より…”二つの真実⁉


昔から、諺には“真実が含まれている”と思っている。ただ諺の中には、矛盾する内容のものがあったりする。その典型ともいえるのが「血は水よりも濃い」という諺と「産みの親より育ての親」という諺だ。その両方ともが“真実”と感じられる出来事を改めて知った。タレントのムロツヨシ氏と伊集院光氏は、共にその幼少期を“複雑な家庭”で過ごしたようだ。そういう人々は意外なほど多い。自分が“本来の親元”で育っていないと、当然のことながら“産みの親”に対しての愛情や親近感は乏しい。時には“憎しみの気持ち”を抱いていたりもする。伊集院光氏は30年ぶりに母親と対面したエピソードをラジオで語った。ムロツヨシ氏は4歳から逢っていなかった実母と40数年ぶりに逢った話をTVで語った。どちらも共通していたのは、逢ってしまうと、別に危惧するような感情は何もなく、特別な気持ちも生まれず、淡々とした時間だった……ということのようだ。そこが「血は水よりも濃い」の不思議なところだ。人間は、仮に“産まれて”すぐ別の親元に引き取られたとしても、だからといって「血」が失われるわけではない。だから、その「血」は憶えていて、完全なる“未知の人”にはならないのだ。かといって、本来の実母に逢ったからといって、実際に育ててくれた親に対しての“想い”が失われるわけでもない。むしろ、実母と逢うことで、よりいっそう育ての親に“感謝の気持ち”が強まることだってある。それでもムロツヨシ氏は実母に「産んでくれてありがとうございます」と伝えたという。その一方で、連絡先は交換しなかったという。正しい選択かもしれない。そして、それらのことをしばらく経ってから、養母に伝えたという。その時「あら良かったじゃない」とだけ母親は言い、少しも動じることはなかったという。そうなのだ。「血は水よりも濃い」のだが、同時に「産みの親より育ての親」でその40数年は少しも揺らぐことはない。そういうものなのだ。“長い歳月”は“長い共同生活”は、いつの間にか“強い絆”を生む。粘り気のある“強い絆”は、長い歳月の中で気付かないうちに創り出されていく。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言