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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


誕生100年、時代が進んでも「山下清」憧憬⁉


東京のSOMPO美術館で誕生100年を記念して「山下清の展覧会」が開かれ人気を集めているらしい。“放浪の天才画家”として早くから知られた彼は、映画やTVドラマのキャラクターとしても人気を集めていた。15年間にわたって全国各地を放浪し、その記憶を基に各地での出来事を“ちぎり絵”として描いた。「花火」が有名だが、実際にはさまざまな風景を“ちぎり絵”として描写している。また彼は几帳面なところを持っていて日記も書いているのだが、それらを読むと、どんなに恵まれた環境に有っても、ずっと同じところで規則正しい生活を強いられると、そこから飛び出したくなる、という風なことを書いている。たぶん、彼がいまも人気を集めるのは、そういう部分のような気がする。現代でもたくさんの人たちが“社会の枠”から飛び出したい気持ちを持ちながら暮らしている。ただ現代は情報量が溢れすぎているので、仮に飛び出しても、ほとんどの場合にはすぐに発見される。彼の生きていた時代には、それがなかった。だから自由に全国を放浪できたのだ。“ちぎり絵”という手法は時間が掛かる。それでも彼が“ちぎり絵”にこだわったのは、それが幼い頃から許されていた唯一の“絵画手法”だったからだ。人は自分に与えられた環境の中でしか、与えられた手法の中でしか才能を発揮することが出来ない。いまの芸術家たちの多くは、与えられた環境や、与えられた手法の中で作品を生み出すのではなく、自らの表現方法を発見するまでに時間を要しているようなところがある。けれども古代の芸術家もそうであったが、山下清氏のように、どんな環境に置かれても、どんな手法しか見出し得なくても、真の芸術家は作品を生み出す。それは自分に“与えられた使命”として“本能的な役割”として、自らが生み出す芸術に命を与えなければ気が済まないからだ。そして、そういう風にして“与えられた命”は100年経っても1000年経っても活き活きと躍動している。時代が違っても、暮しが違っても、人の命は変わらないからだ。多くの子供たちが、多くの若者たちが、そして多くの老人たちが、さまざまな想いで「山下清」と向き合う。おにぎりを食べながら、無心に“ちぎり絵”を描いていた人物に憧れるのだ。
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