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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


過去に「執着しない生き方」択んだ團十郎一家


人間には大きく分けて“二種類の人間”がいる。自分の“過去に執着するタイプ”と、過去にどんな出来事があっても、それはもう過去のこととして“執着しないタイプ”だ。そうして、どちらかと言えば、過去に執着しないタイプの人の方が、倖せを享受しやすい。過去に執着し続けると、時間が止まって、そこから動けなくなる。「倖せ」というのは、その人の“価値観”に基づくもので、一律ではない。だから、その時々で“倖せを変えていく”ことが出来る人の方が、享受しやすいのだ。昔、市川海老蔵は日本中に名を知られ、人気絶頂だったし、なんでも“手に入れて”いた。けれども、彼には“いくつかの不幸”が襲い、人生における“翳り”を知った。その結果、彼はいつの間にか“小さな悦び”を大切にするように変わっていった。文字通り、その結果としての“幸せな形”で先日TV番組に出た。自分と息子と娘と“三人一緒”でトーク番組に出ていた。いつの間にか、息子と娘は“大きく成長”し、三人とも“平等な出演者”としての形を保つようになっていた。もはや「海老蔵→團十郎」が“主役の家族”ではなくなっていたのだった。いまや息子は「市川新之助」となり、娘は「市川ぼたん」となって、それぞれに人気を出し活躍し始めている。もはや自分だけが主役の一家ではなくなったことを、誰よりも團十郎自身が自覚しているのだ。そして、そのことに“倖せ”を感じているように、わたしには視えた。もっとも、そうだからと言って、昔のことや、亡くなられた小林麻央氏の話をムリに避けていたわけでもない。ごく自然体の形で、昔も受け入れながら、今を生きていた。この「昔も受け入れながら、今を生きていく」という形が、実は“大きな災難”とか“不幸な出来事”とか“不条理な過去”とかを乗り越えていく、いちばんの秘訣なのだ。人生は、どんな人でも、過去にさかのぼって“やり直す”ことは出来ない。そうである以上、起きてしまったこと、遭遇したことに関しては、もはやどうすることもできない。今の状態、遺された形の中で“どう生きるか”しかないのだ。そうであれば、その今をいかに“大切にしていくか”しかないのだ。当然「幸せの形」を昔と“同じような形”で求めたなら、ムリが生じる。今は、あくまでも“遺された形”の中で“幸せを紡いでいく”のがいちばんなのだ。さまざまな出来事が、人間としての市川團十郎を大きく成長させたように思える。
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