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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


過去も「マドンナ」今も「マドンナ」の一貫性


アメリカの歌手のマドンナ(64歳)が最新ショットを公開している。昨年末あたりから、ときどき思い出したように自らの姿を公開。とても64歳には視えない“若々しく妖しい姿”だ。もっとも「怖い」という反応や「マドンナはどこに行った‼」「もう齢相応にして…」という反応もあるようだが、相変わらず、自己主張が強く、強烈な印象を与え続けるとことなどは、或る意味、昔のままで“マドンナ健在”を印象付ける。アーティストやアイドルには“齢相応”に変わっていく人もいるが、元々が“強烈な印象”で話題を振りまいて来た人なのだから、最後の最後までそれを貫けば良い。それにしても、とても60代には視えない。パッと見なら40代後半で通るだろう。私には整形なのか元々なのかわからないが、ボリュームのあるバストも健在である。ただ確かに少し“怖く”なった雰囲気はある。欧米女性は年齢が行くと誰でも或る程度そういう風な印象を与える。骨格が骨太なせいかもしれない。日本女性は年齢が行っても“怖く見える”女性は少ないが、それでも骨格がしっかりしている人の中には、そういう部分が強調されてくる人もいる。見た目の雰囲気というのは男女とも中年以降に出やすいもので、永年の“暮らし方”とか“生き方”のようなものが反映されやすい。昔、アメリカ大統領だったリンカーンは「40歳を過ぎたら自分の顔に責任がある」と言ったそうだが、確かにそれくらいから徐々に、その人の個性が前面に出る。特に男性の場合は、ただ単に見た目が“良い”“悪い”だけでなく、何となく、その人が歩んできた人生の足跡のようなものが顔貌に“滲み出てくる”ようなところがある。シワひとつない顔が良いとは限らない。顔立ちというより“全身像”といった方が良いかもしれない。現代は、男性でも美貌が求められるが、歴史的な観点から言うと必ずしもそうではない。女性の方は昔から“美人”が求められたが、その“美の基準”は時代によっても、人種や民族によっても微妙に異なる。絶世の美女と言われたクレオパトラが考古学的に“復元された顔”では美しく思えないように感じたりする。そういう意味では「時代を駆け抜けた美女」の一人であった歌手マドンナも2020年代に相応しい外貌へ徐々に脱皮しているのかもしれない。
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