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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


骨壺への執着「生者」&「死者」双方に煩悩⁉


多くの人から愛された俳優でタレントの渡辺徹氏が亡くなって、もうすぐ一年になる。昨日、彼の息子である渡辺裕太氏がTV番組で、まだ父親の「納骨」が行われていないと語ったらしい。母親であるタレント榊原郁恵氏の“想い”が強く、夫である徹氏の遺骨と「一緒に居たい」という気持ちが強く、骨壺を仏壇に置く形で供え物など欠かさぬようにし“傍にいる形”で暮らしていたいのだという。通常はそれでも49日を過ぎたら「納骨」するケースが多いのだが、どうやらそういう気持ちにはなれないらしい。もちろん、夫が急逝してしまった場合、誰もがそういうふうな気持ちに一時的にはなるだろうから、その気持ち自体を責めることはできない。けれども、古来からの風習にはそれなりの意味と意義とがある。「納骨」は“死に行く者”と“生きて行く者”との“決別の儀式”である。死に行く者は、その魂を「あの世」へと移さなければならない。生きて行く者は、その魂を「この世」へと戻さなければならない。その中間に位置しているのが「幽界」で、ここに留まっていると死者は安らぐことが出来ず「魂が浄化できない」と言われている。生者の方も通夜・葬儀から“死者”との関わりが強まっているから、そこに留まったままだと「幽界」へと引き込まれやすい。そういう意味で、もし、どうしても故人への執着が強いなら「分骨」してもらって、それを仏壇に入れて置くという形であれば、問題が生じないと思われる。そうでないと、死者も死にきれず、生者も生ききれず、心ここにあらずの日々を送ることになりやすい。つまり、49日を過ぎても骨壺を仏壇付近に置いておくことは双方にとって不幸を招きやすい。もう一つ「幽界」というのは、文字通り「幽霊の住む世界」で“この世とあの世の中間地帯”であるから、魑魅魍魎がうごめきやすい。いま現在、生と死の間を彷徨っているような“危篤状態”にある人々。それから、亡くなってはいるのだが遺体が家族の元に渡らず、きちんとした葬儀が行われていない人々。さらには何十年経っても行方不明のまま放置されている人々。そういった人々が彷徨っているのが「幽界」なのだ。だから、そういうところにいつまでも踏みとどまっているのは、いろいろな意味で良いことではない。愛情が深ければ深いほど、死者を死者たちの世界に送り出し、生者は“家族の元”へと戻らねばならない。仮に家族が居なくても、生者の住宅である「陽宅」に居住しなければならない。死者の住宅である「陰宅(墓内・仏壇内)」に居住し続けてはならないのだ。
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