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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


高度成長期の“あだ花”「パチンコ」が消える⁉


あまり大きなニュースとして騒がれていないが次々とパチンコホールが閉店している。一時期、異常に騒がれた「パチンコ依存症」についても騒がれなくなった。依存症は、たくさんの人たちが“それ”に群がるから発生するのだが、いつの間にか閑散としていって、その“勢い”や“人気”が無くなってしまうと、もはや依存する人達すらも居なくなる。どうして居なくなるのかというと“パチンコ依存症”の場合、パチンコで“大勝ちしている人”を見掛けるから、自分にも「そのチャンスがある」と思って通うのだ。もし誰も“勝っていない”ように視えてしまったら、チャンスそのものが“失われてしまった”のだから、自然と足が遠のく。つまり、実際には「依存症とまでは言えない軽度の依存症」の人たちがたくさん通っていたパチンコ店は、いったんパチンコ人気が低迷し始めると、もはや多くの人が通わなくなる。これは、どのようなギャンブルでもそうで、ブームの時にはたくさんの“勝利者”がいるので、自分にもそのチャンスが廻って来るよう錯覚するのだ。日本の高度成長期には多数のパチンコ店が出現した。それと同時に多数の“新鮮な機種”も登場した。単に“勝利する”だけの機種から、面白さを伴って勝利する機種に変化した。それがファン層を広げたのだ。確かに、数時間を愉しんで何万円にもなれば、これほど“良い趣味はない”ということになる。ところが、それに“引き摺られる”形で依存症の人たちが増え、社会問題化した。その後、どんどん業界に“規制がかかる”ようになっていった。つまり“勝利の出玉数”が抑えられることで、簡単には勝てなくなった。その一方でゲーム機としての機能を加え過ぎたことで、パチンコが難しくなり、頭を休めながら“勝利する”という愉しみまで失われた。“準依存症”の人々が離れたのは当然だった。8月31日をもって東京上野の老舗パチンコホールが2店舗同時に閉店した。それによって昔「パチンコの聖地」と呼ばれ、30件以上あったパチンコ屋は3軒を残すのみとなった。つまり“十分の一”に減ってしまったのだ。日本の高度成長期を支えた“ネオン華やかな世界”だったパチンコホールは、カジノに入れ替わることさえも出来ずに脆くも崩れ去ったのだ。
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