10月, 2003年

占いを学ぶということ

2003-10-13

最近「占い教室」に対しての質問が多いので、この場を借りて、私の「正統占い教室」の根本的な考え方について、述べておこうと思います。さらに、一般的な占いそのものの学び方について、プロ占い師としての在り方について、今日の占い世界の現状について、私の考え方を記しておきたいと思います。

まず、一番重要なことは、占いというのは、決して100パーセント完成された学問・技術などではない、ということです。この点を踏まえた上で教えようとし、また学ぼうとしなければ、何年学ぼうと、何処で、誰から学ぼうと、決して本当に悩みを抱える人々の役に立つ、占いを身に付けることにはなって行かないだろう、と私は思っています。

ところが、この最も重要な点をはきちがえている占いを教えている方たち、プロ占い師の方たちが多すぎます。

例えば、医療の分野で、現在の医学・技術が、既に完成された学問・技術である、と思っている医療関係者の方が何人いるでしょうか?

或いは、気象予報士の中で、現在の気象予報学が既に完成された学問・技術であると思っている方が何人いるでしょうか?

おそらく、両分野とも、ほとんどの方はまだまだ未完成な学問・技術と認識しておられることでしょう。だからこそ、日進月歩で新しい研究や理論が発表され続けているのです。また、それを受け入れる土壌があるのです。

ところが、残念ながら、占いの分野では、そういう考え方自体を認めようとしないプロ占い師のいわゆる「権威」と呼ばれる方たちが多すぎます。彼らは、真の学問というものがどういうものなのか解かっていないようです。

何千年も前の理論だけが全てなのだと、頑なに信じている姿には驚きを禁じえません。もちろん、私は、何も原初の理論・技術がことごとくダメだ、と言っているのではありません。むしろ、逆で、原初の理論・技術は優れていたのに、古代から近代にかけての伝承・解釈に、多くの誤解、曲解が存在していて、しかも、その誤解、曲解された形での占いが、原初の姿だと思い込んでいる研究者がほとんどであることを指摘したいのです。

やや難しいことを書いてしまいましたが、要するに占い師を目指す方達は、占いがまだまだ未完成な発展途上の段階にあることを踏まえたうえで、入門し、学び、習得し、研究し、実占して行って欲しいのです。そうでないと、占いそのものの学問・技術共に進歩が止まって、いつまで経っても、それ以上の理論・技術が育っていかないことになってしまうからです。

これは、どの占いでも共通です。

占いを学ぶ、ということは「人間の運命」を学ぶ、もっと言えば「人間」を学ぶということです。我々はいったい、人間のどれだけを解明できたというのでしょうか? 運命と呼ばれるもののどれだけを把握できたというのでしょうか? 

人間の運命のプロセスが、100パーセント解明できれば、誰もが幸運な人生を掴む可能性が出てくるのは確かです。これほど、人々にとって有益な学問・技術はないのかもしれません。だからこそ、我々占いを学ぶものは、もっと謙虚に運命と向かい合わなければなりません。もっと真摯に運命のプロセスに挑まなければなりません。決して、もう解明され尽くした、などという観点から占いを学んではならないのです。

近年、出版界は、売れるか、売れないか、だけで出版物を制作します。くだらない占いの本が多いのはそのせいです。悩んでいる人々の為に本を出版しようなどというところは残念ながらありません。それも、結局、権威ある占い師たちの多くが占いを完成された学問・技術でもあるかのように喧伝しているからです。完成されて、今程度であるならば、誰も現代人の多くの悩める人々を、占いが本当に救える存在とはいえないでしょう。

もっと、本当は、占い師だけではなくて、多少オーバーに言えば人類全体が「運命」というこの問題と真正面から取り組まなければならないのです。1人でも多くの人が、幸運を掴むためにどうすればよいのかを、考えることは決して無駄になることではないはずです。私は、1人でも、私と同じような考えの元に占いに取り組む若者が出てくることを、心から期待しています。

ちょっと、熱く語りすぎました。

今朝、大昔に見ていたテレビドラマ『逃亡者』をケーブルテレビで2編続けて見たせいかも知れません。この番組『逃亡者』を見ていた昔、私はまだ中学生でした。