おみくじの研究を網羅した『江戸の占い』(大野出著―河出書房新社刊)という本が8月に出るということを新聞記事で知りました。占い師が書くのかと思いきや、そうではなく、大学助教授の書き下ろしだそうです。私は、その本の内容を知りませんが、丁度良い機会なので、日本の神社で売られているおみくじの秘密を皆さんにお教えしておこうと思います。
籤(くじ)そのものに対する記録は『日本書紀』の斉明天皇4(658)年11月の条に初めて出てきます。その後、鎌倉幕府では、籤役と称する者が居て、発言の順番を決めていたそうです。又、仏教界でも、律宗は、宗派の規律を籤で決めていたそうです。
今日、神社・寺院で売られているおみくじの元祖は、比叡山の第18台天台座主の良源だといわれています。その彼が参考としたのは、中国原書『天竺霊籤(てんじくれいせん)』です。この占い原本には、一番から百番まで、五言四句の漢詩が書かれてあって、いわば百種類の「天の声」としての、お言葉が述べられている、というわけです。良源は、それに多少の私見を加えて『元三大師百籤(がんさんだいしひゃくせん)』という和風の占い原本を作ったのです。
香港の黄大仙にある道教寺院では、現在でも本堂の手前で跪かせたまま、おみくじ棒を信者に引かせて、その番号によって、占い判断を行ないますが、その形式こそ、日本のおみくじの本来の姿であったと推定されます。
現在のわが国でも、神社・仏閣で売られているおみくじは「天竺霊籤」の流れを汲んでいて、一番から百番まで、番号が必ず振られています。そして、そこに書かれてある五言四句の漢詩も全く同一なのです。ただ、今は昔と違って、籤棒ではなく、折り込まれた札紙となっていて、現代人にも解りやすいよう、解説文や運勢の方が大きく記されてあることです。
ところが、昔と今とでは、大きく異なっていることがあります。それは、吉凶の内訳です。一番から、百番までの漢詩には、原本では「大吉」「吉」「半吉」「小吉」「末吉」「末小吉」「凶」という風になっていて、現代になって使われている「中吉」「小凶」は存在しません。現代では、逆に「末小吉」というのは見当たりません。又、その比率も奇妙に異なり、百の内「大吉」は17あって「凶」は30もあるのです。したがって、大吉の比率は大体符合していると思われますが、凶の比率に関しては、意図的に減らしてしまったか、変えたかしている可能性が強いのです。
又、その下に書かれてある個々の事柄に対するご託宣については「待人」「普請」「旅行」「失物」「訴訟」「売買」「婚姻」「病気」「紛議(トラブル)」等については、大体現代でも見受けられますが、現代のおみくじに見当たらないのは「生死」という項目です。多分、これはちょっと縁起が悪いということで、外されてしまったのかもしれません。例えば、第39番は「凶」ですが、この神籤の解説には「この神籤を受けたる人は、人生の凋落を思えば…(中略)…これ不幸なる運命と諦めて、しばし隠忍自重すべし。」といったことが書かれてあり、さらに「生死」の所には「八九分死す、又遭難の兆しあり、慎むべし」となっているのです。加えて「病気」の所でも「急変あるべし、油断すべからず」と付け加えられて、ダメを押されています。このような内容だけに、大量に作り出すわけには行かないのです。
それらの神籤がどこに消えたのかは不明ですが、17%の大吉を求めて、今もどこかで、誰かが、ドキドキしながら、おみくじを開いているのに違いありません。