9月, 2004年

神々は、どこへ行った…

2004-09-12

北オセチア共和国で起きたロシア学校占拠事件で、300人以上の犠牲者が出てしまいました。民族と宗教の根本的問題を抱えているテロ事件は、世界各地で頻発し、命の尊厳が失われてゆく毎日です。

現代の日本人は、宗教というものを誤解している方が多いのですが、元々宗教は「平和」というものを標榜するものではありません。民族のために、或いは国家のために、或いは地域のために、或いは一族のために、聖なる力を与えてくれる存在として、意識されているのが古今東西の宗教だからです。

ですから、別にイスラム教だけが、異色なわけでもないのです。ただ、イスラムの社会は、他の地域社会よりも、より宗教色が強いので、敵・味方を区別しがちなので、どうしても現代日本人の感覚から見ると、特殊な存在として映るわけです。神々は味方を守護し、敵を打ちのめす――これが、古代から受け継がれてきている基本的な民族宗教の根本思想です。

けれども、これらの考え方を日本人が理解できないかというと、そうではありません。現に、今から60年前、我々の祖先は、神風特攻隊として、現人神としての天皇を信じて、自爆攻撃を行なってきたのです。自爆攻撃の原点は、神風特攻隊にあるのです。したがって、日本人は、ある意味で最も自爆テロ攻撃の背後にある家族・庶民の哀しみや苦悩や誇りや貧しさを理解できるはずなのです。

もちろん、罪のない人たちを犠牲にするテロ攻撃が赦されるはずがありません。ましてや子供たちまで標的にするテロを、真の神々が赦すはずがありません。ただ、だからと言って、力の強い者が、力の弱い者を、強引に力で押さえ込もうとする図式は、本当の世界平和をもたらすでしょうか?

我々日本人は、宗教の根本にあるものを勘違いしがちです。アルカイーダを生んだアフガニスタンは、国土の多くが荒涼とした山岳地帯です。寒暖の差が激しく、作物も乏しく、緑の多い日本の山岳とは大違いです。けれども、子供達の大きく丸い眼は、人懐っこく輝いていて「僕達には神がいるから、元気だよ」と、テレビカメラに向かって、笑顔を向けるのです。

我々は、この事実を軽視してはなりません。つまり、子供達は教えられて神を信じるのではなく、本能的に神を信じているのです。というよりも、あの荒涼とした不毛地域の中で、逞しく生きて行くためには、神を信じるしかないのです。神を信じなければ、辛すぎるから、神を信じれば、生き生きと過ごすことができるから、太陽に象徴される神の存在を信じ続けることができるのです。

古代エジプトでも、アラブ社会でも、そして戦前の日本でも、太陽に象徴された神は、沈黙のまま輝き続けています。

古代と中世の「メッセンジャー」たち

2004-09-05

水星探査機「メッセンジャー」が、アメリカのNASAからディスカバリー計画の一環として、現地時間8月3日午前2時16分に打ち上げられました。本当は前日の予定だったそうですが、気象条件の関係で1日遅れての出発となったようです。さて、この探査機が、実際に調査を開始するのは2011年3月からだそうで、なかなかに気の長い話です。

水星は、あまりに太陽に近すぎるので、昼間の温度は摂氏400度を超え、正に灼熱の世界です。この事実だけから考えると「水星」という名称は不似合いで、むしろ「火星」と呼びたいくらいです。ところが、夜になると一転、マイナス160度にもなるのです。したがって「火星」と呼ぶに相応しい惑星とも云えないのです。

水星はシュメールでは「ネボ」、バビロニアでは「グドゥド」と呼ばれ、アッカド語になると「ナブー」と呼ばれ、バビロンの近くのボルシッパが崇拝の中心地でした。文字・知恵・書記の神として信仰を集めていました。首都バビロンの主神はマルドゥーク神ですが、その子供として「ナブー神」は位置づけられていたようです。ちなみにラテン語では「メルクリウス」で、これが英語で「マーキュリー」と呼ばれる語源です。

さて、水星は、天文学的にも謎の多い天体とされていますが、元来が地球から見えにくい惑星で、古代人も水星には手を焼いていたらしく、地動説で知られるコペルニクスでさえ、死ぬまでに1度も見たことがなかった、とされています。

今日、実在する最古のバビロニア・ホロスコープ文書として知られる粘土板には「…木星はウオに、金星はオウシに、土星はカニに、火星はフタゴに、水星は沈んでいて見えず…」と、記されています。

水星が見えるのは、日没直後の西空低くに…又は日の出直前、東の地平線上に…限られているのです。このことが、中国において、水星の化身としての聖獣「玄武(亀と蛇との合体動物)」が地平線と関連付けられる北方位を定位置とし、黒を象徴色とし、季節は冬、時間帯は夜を支配する、としていたことの理由なのです。

「玄武」は、惑星として捉えるときには「辰星」と呼ばれて、常に太陽の近くにあって、時(時節)を告げてくれる星、として捉えられていたようです。

一方、バビロニアの方で「書記・知恵・文字の神」とされていたのはどうしてなのかと言うと、これまた太陽の常に近くにあって、丁度、当時の神王の書記官のような存在、とみなされていたからだと推定されます。

水星の観測に困っていたのは古代人だけではなく、占星術師プラキドゥスによるカルルⅤ世(1500年2月24日生まれ)のホロスコープ、数学者カルダーノ自身が作成した自ら(1501年9月24日生まれ)のホロスコープ、天文学者ケプラーによるヴァレンシュタイン将軍(1583年9月24日生まれ)のホロスコープ、そのいずれもが、水星位置の計算で手こずっています。他の惑星位置は、現代のコンピュータ計算とも大体符合しているのですが、水星だけが1度弱~6度弱ずれているからです。さすがにケプラーの計算は1度弱の狂いで、急接近してきています。そんなところにも、単なる宮廷お抱えの占星術師ではなかったケプラーの側面を見ることが出来そうです。ちなみに、ケプラー自身のホロスコープでは2度弱ほどずれていて、これは自分自身のホロスコープを先に作成したから、と思われます。