1月, 2009年

地底世界としての地下街

2009-01-27

私の住むマンションから歩いて3分ほどの所に地下鉄乗り場へと通じる入り口がある。もちろん、本来は地下鉄利用者のための入り口であるが、そこから続く地下道を歩いて行くと「大通」と呼ばれる市の繁華街へと通じている。さらに進むと夜の顔として知られたススキノへの出口があり、確か来年には札幌駅ともつながる工事が今も進められている。つまり、いったん地下道へと入ってしまうと、地上に出ることなく、大通へも、ススキノへも、札幌駅へも、歩いて辿り着けてしまう地下道が間もなく完成するはずなのだ。今日のような吹雪の日には、北国において地下道のありがたさは身にしみて感じる。当然、真冬の地下街は暖かく、地上の寒さとは対照的だ。地下道は札幌のような寒さの厳しい地域では大変に価値あるものとなる。

私は若い頃、札幌よりも北風が強く、体感温度がはるかに低い室蘭で育った。真冬になると唸り声をあげながら襲ってくる北風の寒さと云うのは、その地域に暮らした者でなければ分からない。立っていること自体が難しいような強風に立ち向かって歩くのは、或る種、覚悟のようなものを伴わないと出来ない。まして真冬は路面がテカテカに凍っていて滑るのだ。ああいう地域にこそ地下道や地下街が必要なのだが、実際には北海道では札幌以外、本格的な地下道や地下街を整備することは中々に難しい。これは北国だけの問題ではなく、逆に暑い地域であっても、真夏は地下道や地下街が整備されていれば、どんなに暑さをしのげるか分からない。つまり、地下道や地下街と云うのは、極端に寒い地域・季節にも、極端に暑い地域・季節にも、多大な恩恵をもたらしてくれるものなのだ。

実際、世界の主要な国々で、大都会と呼ばれる地域の多くは地下道や地下街を持っている。特に年中暑い地域においては、当然のように地下道や地下街が網羅されつつある。そうしないと、海外からの観光客を呼び込むことも出来ない。実際、暑さに慣れていない私などはシンガポールでも香港でも台北でも地下道や地下街を見つけるとホッとしたものだ。なかでもシンガポールの地下街は大変整備されていて、地上が蒸し暑いだけに見た目にも美しく都会的に感じられた。おそらく今後各国で続々と作られていく地下街や地下道は、単に実用性ばかりでなく、より華やかで魅力的な趣向を凝らしたものになっていくに違いない。地球温暖化で、日本でも関東から西の地域では年々気温が上昇している。真夏は35~39度に達するのが当たり前となりつつある。そういう意味でも地下道や地下街は必要性を増してくるに違いない。

私が若い頃に愛読していた『ムー』等では、理想郷としての「シャンバラ」を地底王国に求めていた。それはもちろん伝説の架空王国で地下街などとは違うのだが、このまま地球温暖化が進めば、気温が上昇し過ぎて厭でも地下道や地下街へと人がなだれ込むような時代が来ないとも限らない。札幌では14日連続零下に達せず、この分で行くとあと数日で観測以来130年ぶりの新記録に達するらしい。寒いのは嫌だが、雪まつりが出来ないほど気温が上昇し続けるのも困る。雪そのものは降っても、気温が高いと雪質にざらつきが多く真っ白くならないので、雪像がデコボコしやすく汚いものとなってしまうらしいのだ。私がまだ室蘭に居た時、雪まつりの最後の日に札幌へと来た。大通りを歩いたが、気温が高く、道路はぐちゃぐちゃで雪像はどれもみごとなほど黒々としていた。中には崩れかかっているモノさえあった。開始前日が一番きれいだが、今年等それすら保障できないかもしれない。

オバマ新大統領のワシントンの映像などを見ると、どうやら札幌などより寒そうで、思えば「先進国」と呼ばれてきた国のほとんどは四季のハッキリした国々であった。けれども近年発展してきた新興国の多くは極端に暑いか寒いかで、より地下道や地下街を必要としている地域のような気がする。ドバイのように人工的なスキー場を造ってしまう国もあるが、どこか侘しい。ただ、巨大な水槽に囲まれた海底レストランでの食事と云うのは1度で良いから体験してみたいものだ。不思議なもので人工的な夢の世界と云うのは「1度は体験したい」けれども、そこに暮らしたいかと云われると、何故かそうは思わないものだ。超セレブの生活と同じで、1度は体験したいが、ずっとそうありたいとは思わないのが普通だ。けれども100年後の人々は、地球全体に人工太陽が輝く地底世界で、ごく普通に生活している人々なのかもしれない。

世界で失業率が急増している

2009-01-21

私がこのコーナーでアメリカの株価急落を憂いていたのは2007年の秋であった。あれから、私の予言は不幸にも次々と的中して、日本の株価も追従し、原油高とか物価高へとつながり、世界的なインフレに向かうかと思ったら一転、原油価格が急落し、それと同時に世界的デフレと円高へじりじり舵を切り始めて日本の輸出産業に打撃を与えている。そして、とうとう実体経済・社会情勢に種々な形で問題を提起し始めた。そのもっとも典型的な現象が「派遣切り」等に見られる失業率の増加だ。

景気が悪くなるのだから、失業率が増加するのは当然であるが、日本の場合まだ4%程度で、実はまだ欧米に比べて失業率はそんなに急上昇していない。もちろん、こういう統計率と云うのは多少ずれる(遅れる)ので、今後増えていくことは確実であるが、それでもアメリカの7.2%や、ユーロ圏の7.8%等と比べると、まだまだ低い数字と云える。個別で一番深刻なのはスペインやイタリアで、スペインの失業率は何と13%に達している。それでも暴動にまで至らないのは、雇用保険など失業・福祉対策が充実しているからだが、失業率の急増と共に、その制度自体が大きく揺らぎ始めているらしい。

このように株価の変動・急落と云うのは、その時すぐにではなくても、徐々に実体経済、社会現象となって具体化してくるから恐ろしい。しかも、その株価は一向に元に戻る気配を見せない。今回の株価下落が深刻なのは、世界の主要地域の株価がことごとく下落していることだ。ロシアなど、ピーク時から70%も下落しているが、全く回復の兆しがない。インドや中国、ブラジルも落ち込みが激しいが、我が日本は40%くらいの下落でちょうど世界の中間くらいに位置する。奇妙なことに株価下落の発信源となったアメリカは確か35%くらいで日本よりも下位に居る。何故か発信源であるのに世界的に見ると下落率は高くないのだ。もっとも、世界の主要な株価指数と云うのはアメリカの株価に影響を受けるように出来ているので、より変動しやすい新興国の方がデフォルメされてしまうのは仕方がない。そういう点からも先進国である日本の40%は深刻なのだ。しかも日本の場合、円高が進むとどうしても株価下落するように出来ている。アメリカがオバマ効果で株価下落に回復の兆しが見えても、円高が進めば日本の株価指数は歩調を合わせられないのだ。

もちろん円高がプラスに働く業種もあるにはあるが、輸出産業の比率から云っても日本経済は円安の方が潤うように出来ているのだ。円安を誘導する一番の手立ては、アメリカ経済に活気が戻って来ることだ。特に住宅と車だ。これらに回復の兆しが見え始めれば、間違いなくドルが強くなり、円安となる。黙っていても日本の株価指数は上向く。そして株価指数が上向くことで、国内の消費が促され雇用も促進されることになるのだ。そういう点から云うなら、日本の経済は麻生政権と云うよりもオバマ政権に掛かっているのだ。

日本経済の先行きを知りたかったら、オバマ政策が住宅と車に回復の兆し(あくまで兆しで良い)を与え始めるかどうか、それだけを注目していればよい。

もし、今年6月迄に与え始めることができなければ、日本ばかりでなく、世界の経済そのものがすぐには回復困難となる。ヨーロッパを始めとして世界各国の失業率が増加し、歯止めがかからないような事態を招く。派遣切りで住宅を失う人ばかりでなく、正社員切りで職と住宅を一気に失うような人もたくさん出てくる可能性があるのだ。2003年から2006年にかけて、日本の株価は大きく回復したかに見えた。そしてそれを実証するかのように日本経済も回復の兆しを見せた。ところが株価の回復も、経済の回復も喜ばない人たちがいた。素直に喜べない人たちがいた。自らの国が繁栄することを喜べない人たちが増えた時、神仏は制裁を加えたのだ。

そんなに「お金なんていらない。心が欲しい」と云うなら、お金をなくしてあげる……さあ、心を取り戻しなさい、と。

こうして、神仏は、多くの人々が求めていたものを与えたのだ。今、我々は試されているのだ。お金をなくして心を取り戻すチャンスを与えられたのだ。人は人として助け合わなければならない。職を失い、住宅を失った人を、助け合わなければならない。助け合うことによってのみ、人は心を取り戻すことが出来る。私はフィリピンへ行ったとき、貧しい人達が生き生きと笑い合って生きているのを肌で感じた。みんな貧しかったが、仲が良く、それぞれが助け合っていた。そして明るかった。私は1人の独身女性の住まいに連れて行かれた。彼女は、私に「恥ずかしいけど、あなたには私のすべてを知ってほしいから…」と云って自分の住まいに案内してくれたのだった。それは正に路地裏と云うにふさわしく、周りの建物の影響で、その住宅だけ昼間でも日が差さないように出来ていた。

日本で云えば4畳半位の部屋の中は窓がなく真っ暗だった。30ワットくらいの蛍光灯は付いているが、それを点けても薄暗かった。堅い木のベッドが置かれ、そこに座る以外、座る場所もなかった。冷蔵庫はあったが、電源が入っていなかったし、中は空だった。キティちゃんの大きな縫いぐるみだけが、違和感を伴ってその部屋の方隅にあった。他には何もなかった。本当に何もなかった。「何か出したいけど、何にもないの…」そのはにかんだような物言いに、私は思わず彼女を抱きしめていた。恥ずかしさを忍んで、自分をここに連れて来てくれたことに対しての感謝と、何とかしてあげたい、あげなけらば…と云う妙な責任感、同情心、義侠心のようなものが一緒になって、抱きしめずにはいられなかったのだ。

もし、あのときフィリピンの女性が日本にそのまま出入国出来るなら、私は彼女を日本に連れて帰ったかも知れない。彼女だけでなく、私が知ったフィリピンの女性たちは皆貧しかった。けれども皆明るかった。私よりもはるかに明るかった。そして親切だった。ごく自然に助け合うと云うことを知っていた。当然のように助け合って生きていた。私を案内してくれた日本人男性の話によると、この国は敬虔なカトリック信者が多いので、相互ほう助の精神が深く根付いているのだと云う。近年、日本にはフィリピンやタイから介護士が多数やってきていると云うが、信仰心が根底にある国から来てくれている人たちは日本人以上に、親切に介護してくれるのではないだろうか。

世界不況によって心を取り戻す環境を与えられた日本は、やがて国内だけでなく、世界各地で仕事を行って、心も一緒にその国へと授けて来ることが出来るように変わっていく若者を誕生させるに違いない。

年末年始のもう一つの顔

2009-01-13

不景気だ、雇用不安だと云っても、年末年始の街は買い物袋を抱えた人であふれている。北海道の場合は寒いので晴れ着などを着ている人はあまり見かけないが、あちこちから福袋の売り込み声などが聴こえると正月なのだと実感させられる。

このところ初詣に行く時間が徐々に遅くなり、2年前は午前0時の前から神社の前に並んだのに、昨年は元旦の午前中になり、今年は二日になってから初詣に行った。2年前の正月は切羽詰まった願い事があり、どうしてもそれを叶えなければ…と云う思いがあった。その必死の思いが通じたのか、苦しい時の神頼みが効いたのか、私の願い事は正に奇跡的な形で叶えられた。したがって本当はもっと持続すべきなのだろうが、どうも喉元過ぎれば…で、日頃から神社に出向くことが少なくなった。もっとも、自宅の神棚に合掌し、祝詞をあげることは毎日のように行う。

このように書くと宗教的には神道なのかと誤解されそうだが、私は特に固有の宗教に属してはいない。大体、祝詞の前には仏壇に向かって読経するし、祝詞の後にはキリスト教の聖書一節を読む。まあ、仏教→神道→キリスト教の巡りを軽く行うのが私の習慣なのだ。このようなことを書くと、一つの宗教だけを信じている方からはお叱りを受けるかもしれないが、元々神仏と云うのは狭量ではなく、同時にいくつもの信仰をもったからと云って罰が当たるようなことはない。ただ問題は死んだときで、あの世から引く手あまたで悩むのではないかと…まあ、その辺の心配くらいだ。

エジプトへ行った時、イスラム教のモスクからは午前5時前になると、あちこちの方角から拡声器を使った祈りの声が響いてくる。我々の泊まったホテルはモスクからは離れていたはずだが、それでも大音響の祈りの説教は眠りを覚ます。近所迷惑など構っちゃいない。とにかくアラー神なのだ。まあ私もイスラム教も取り入れようかと思ったが、何しろ1日5回もお祈りしないといけないのではとても続かない。アラブ人はエライ!…が、しつこい。あのしつこい性格は信仰心と関係があるのか。

とにかく、信仰心が強いのか弱いのか分からない私は、なんでも祈っておけば悪さはされないだろう…という安易な発想で、あちこちに出向くたび神社、仏閣、教会、遺跡の神など、あらゆる所で手を合わせるようにしている。ただ私だけでなく、多くの日本人は年末年始になると神社に行ってにわか神道の使徒と化す。クリスマスの時にはケーキを買ってキリスト教徒となる。身近な人が亡くなると数珠を持って仏教徒となる。私だけが三信仰の信者なのではない。私は「普通の日本人」に多少色付けしたような信仰の仕方をしているだけだ。

「普通の日本人」と云えば、年末年始に特有の現象として、普段あまり家族や親戚と付き合いのない人であっても、この時期になると急に血縁・家系と云うものと向き合うことになる。普段は離れている親子・兄弟・親戚でも一緒に向き合う機会が出て来るのが年末年始の特徴だ。例えば普段は仕事、仕事で深夜にならないと帰宅しないような父親であっても、年末年始だけは会社人間から解放されて父親としての顔を見せる。或いは普段、愛人宅に入り浸りの親父が、何故か家族思いの父親面をして家に居たりする。逆に普段は親など糞食らえと顔も合わせようとしない息子や娘であっても、年末年始だけは実家に戻ったりするから不思議だ。親戚同士が集まる家庭などは、奇妙なライバル心なども働いて、ぎこちない顔合わせが実現したりもする。この年末年始特有の「顔」は何なのだろう。

誰だったか忘れたが、作家で愛人生活を続けていた女性が、年末年始だけは嫌でも自分が愛人であることを実感させられる…と何かに記していたのが印象深い。そう、年末年始とは誰もが「家族としての顔」に変わる時期なのだ。昔、私は年末年始が嫌いだった。仕事にも恵まれず、金運も乏しく、恋人にも裏切られ、孤独で虚ろに過ごしていた30歳過ぎくらいの年末・年始にかけてが最も嫌いだった。親も亡くなり、兄弟とも離れていた私は、信じていた恋人にも裏切られて将来が見えない時期であった。長い人生の中には、何らの希望の明かりさえも見い出せない時期と云うのがある。そういう時、人は往々にして焦るものだが、溺れた時に焦ってもがくとますます溺れてしまうように、慌てず流れに任せていることも人生には時として必要なのだ。運命は必ず救いの手をさしのばす。その時、手を差し出せば良い。運命の神と云うのは決して見放してはいないものなのだ。

背伸びし過ぎた人生と世間の評価

2009-01-03

元タレントの飯島愛が死亡していたらしい。突然の芸能界引退から1年半、彼女のニュースがこういう形で飛び込んでくるのは何とも哀しい。

私の個人的な記憶では、彼女がはじめて脚光を浴びたのはAV女優としてより「Tバックの女王」としてで、一種のファッションカリスマのような形で、当時旋風を巻き起こしつつあったTバックショーツ姿の代名詞として注目されたのだった。つまり当時の「イケイケギャルの典型」として華やかなスポットライトを浴びたのである。決してタレント的才能が注目されたわけではなかった。実際、彼女はその役割を見事にこなし、Tバックスタイルで種々な雑誌グラビアやTV番組などにも出演していたように思う。ただ最初の内、超ミニスカートのTバックスタイルで売って来た筈の彼女は、途中からジーンズ姿となり、ワイドショーのコメンテーター的な姿しか見せなくなっていった。「さわやかな毒舌」は最初の内、ギャル風でおもしろかったが、だんだんつまらなく小ざかしいだけになっていって、多分その辺は自分でも徐々に気付いていたはずで、引退する半年前位からはトンチンカンな突っ込みも目立った。

彼女の人生を大きく変えたのは自伝的要素もある『プラトニックセックス』という本を著わし170万部という思いもかけぬほどのベストセラーとなったことからだろう。私は、もし彼女が、この本を出さなければ、芸能界から引退することもなく「ごく普通のタレント」として活躍し続けていられただろうに…と残念でならない。この本を出したことで、そうしてこの本が予想外なほど売れてしまったことで、彼女は自分と云うものを見失い、錯覚し「作家・文化人らしくならなければ…」と妙に背伸びする生き方へと突っ走って行ってしまったのだ。この本は「エイズ撲滅運動」と云う奇妙なキャンペーンに見事に利用され、その結果もあって予想外の売れ行きをもたらした。ところが、彼女自身はそれを「自分の描いた作品」が評価されたものとして、自分が或る種エイズ世代を代表しているのだと気負い、妙な方向性に舵を切り始める。

最近、タレント本が脚光を浴びるケースが多い。けれども、その多くは本人が執筆した作品ではない。ゴーストライターがいて、本人から聞き取りを何回も行って、一種の「自伝らしい小説」に仕上げるのだ。本当に自分自身で執筆しているタレントなど、ごく一部でしかない。アントニオ猪木などは出版会の席上「オレまだ読んでないから…」と正直に語っている。ただ、そういう本であってもベストセラーになると、世間的扱いは「作家・文化人」となって、もたらされる仕事にも違いが出て来る。たとえば「お笑いタレント」であっても、文芸雑誌から執筆依頼が来たり、お堅い講演会の依頼が来たりする。そういう扱いを受けるようになると、自然と本人の中にも文化人的な意識が芽生えて来るのだ。そして、そこに落とし穴がある。

芸能タレントは元々芸能タレントであって作家ではない。お笑いは「笑わせるプロ」であって執筆のプロではない。ところが世間的な扱いに惑わされ、作家・文化人として振る舞おうとすることで、本来の自分自身との間にギャップが生まれて来ることになる。元々が「Tバックの女王」であった頃には違和感のなかった飯島愛に、背伸びし過ぎた発言が目立つようになったのはその頃からなのである。何故、周りはその辺を察して、入って来る仕事の種類を軌道修正してあげられなかったのか。これは彼女一人の問題ではない。似たような経緯から、自分を見失いかけているタレントは他にも何人かいる。

近年、インターネットが発達したせいで、世間的評価と云うか、大衆からの視線と云うか、常識的な指摘と云うか、あらゆる形で一瞬の内にネット上を駆け巡り、TV・ラジオ・新聞・週刊誌・雑誌など、ありとあらゆる形で有名な人やモノのイメージが「勝手に形作られてしまう」ケースが多くなった。政治家も、スポーツ選手も、タレントも、歌手も、芸術家も…いったん社会に浸透してしまったイメージはそう簡単にはぬぐい去れない。韓国などではインターネット上の心ない書き込みによって、何人かの女優が自殺したという。

私は元々匿名での書き込みには疑問を持っていて、例えば私の占いなどでも、実際に私の占い鑑定を受けたことがないのに、ネット上の問いかけに対して「まるで過去に受けたことがある」かのように批判的感想を述べている者がいたりする。どうして受けたことがないのかが判るのかと云うと、私は鑑定の仕方に癖があって、直接鑑定では或る順序に従って鑑定しているからだ。ところが、その書き込みの主は私なら行わない順序を述べている。だから実際には受けていないと判るのだ。そういう偽評価が許されるネット上の書き込みには、疑問を感じるのが当然であろう。

もっとも私のように元々世間的評価と云うものに無関心なタイプなら、どのように的外れな評価でも良いのだが、必要以上に周囲を気にし、世間を気にする人にとっては、ある事ない事を書き込まれてしまうと悩むのは当然と云える。問題は、そこから自分と云うものを見失わないことである。人間というのは弱いので、世間の評価が定着してしまうと、たとえ本当はそうでなくても、そうなのではないか…と自分自身の方に疑問を抱くようなケースまで出て来る。自分を完全に見失っていくのだ。そうなると、今度は世間の視線にさらされること自体が怖くなってくる。これは何も芸能人とか、政治家とか、スポーツ選手に限らない。一般の人であっても、ごく普通の会社勤めでも、そういうことは起こり得る。自分自身を疑うほど悲しいことはない。社会の評価、世間のイメージ、周囲からの眼…くれぐれも、これらに踊らされた人生を歩み出さぬよう注意されたい。