あまり大きなニュースとはなっていないが、世界的大不況の影響で業績が傾き、その責任を取って主要な大企業のトップの顔が次々と入れ替わりつつある。大企業の場合、株主からの突き上げが激しいので、変えざるを得なくなるケースが多いのだ。運命学的な観点からみると、トップの顔が変われば、当然その企業の運勢も変わる。したがって苦境に立たされた企業にとって、トップを誰にするかは、その企業の命運を決することにつながるのだ。かつて「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助は一代で「世界のナショナル」を築いたが最早その名称すらない。経営の神様がいなくなったことで、松下電器産業も消えたのだ。アパレル業界で独り勝ち組と云われる「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングも、創業者の柳井正社長が一時期は社長の座を譲ったが業績上がらず、再び戻って来て今日の繁栄を見ている。
大企業だけでなく、政治や宗教の世界でもトップの顔は重要だ。北朝鮮がキナ臭い状況となって来ているが、これはアメリカと韓国のトップが変わって、金正日自身もトップの座が揺れ動き始めている証拠のような気がする。釜山で田口八重子さんの御子息とキム・ヒョンヒ元死刑囚が逢えたのも、それらと無関係ではない。北朝鮮のように不安材料をたくさん抱えている国は、金正日のようなカリスマ絶対君主型でないと国民を掌握できない。かつてイラクのフセインがそうであったようにだ。もちろん、絶対君主政治と云うのはいつかは崩壊する運命となっているのだが、崩壊直後は必ず動乱期がやって来て、すんなり統一できたりしないものだ。金正日の失敗は経済面に限って資本主義的な形を少しだけ取り入れようとしたことだ。中国を見習い、北朝鮮の苦しい台所事情がそうさせたのだが、そうしたことで絶対が絶対でいられなくなってしまった。後継者が誰になるにせよ、今の体制を維持していくのは無理だろう。私は中国の故事を思い出す。
秦の始皇帝は中国において初めて巨大国家を統一し、万里の長城建設に着手、息子・胡亥(こがい)に次期政権をゆだねたのだが、あっという間に秦王国は滅んだ。カリスマ権力者の後継者は往々にして掌握力に欠ける。したがって巨大帝国を維持できないのだ。もっとも金正日と云うのは二代目であって初代ではない。そういう点だけから云えば立派な二代目だったのだ。同じような時期に栄華を極めていたのが創価学会の池田大作だった。ちなみにこの人は三代目であって創始者でも二代目でもない。ただ「世界の創価学会」に築き上げたのはこの人の力によるところが大きい。小説『人間革命』は隠れた超ベストセラーだ。あまり文学的な作品ではなく、情緒性にも乏しく、小説としての完成度は低いのだが、ともかく売れた。占いの方のカリスマ細木数子の『六星占術』も隠れた超ベストセラーだが、こちらも占いの書物としてよりは「厄払い本」のような意味合いで売れていたわけだ。その二人の顔にも「後継者」の三文字が浮かぶような時代になった。
ここ4日間ほど、私は韓国に居た。ハングル文字で埋め尽くされているような街を歩いていると、ちょっと息苦しくなる。大型書店に入って占いの書物を調べてみたが、日本の書店と比べると3倍くらいのスペースを占い関連書籍が占めていた。風水、易、占星術、タロット、奇問遁甲、手相、人相など、さまざまな占いが普及している。漢字で書名が書かれてある本は総じて日本・香港・台湾等からの翻訳書で、自国の著者によるものは書名もハングル語表記が普通だ。これは占い関連の本だけではなかったが、総じて図解が乏しい。現代の日本の書籍が図解を多用しているのに比べると、文字だらけ…の印象が強い。表紙のデザインも凡庸な気がする。そういう点から云えば香港や台湾や上海の方がはるかに現代日本に近い。韓国はIT王国と思っていたが、どうも実生活においての進化はそれほど華やかではないのかもしれない。商業ビルも香港とか上海の方が華やかだし、女性のファッションにしても総じて地味な印象が強い。ただ優しさ、家庭的雰囲気、親切心、細やかな心配り…そういうものは、他のどの国よりも強く感じさせる。日本人とは、多分、情緒的につながり易い人達であるに違いない。そして、そういう意味では、日本人と韓国人との国際結婚はもっともっと増えて良いような気もした。今日の比率がどうなっているのか知らないが、家庭・家族への違和感のなさからすれば日本人と中国人の結婚よりも、日本人と韓国人との結婚の方が、比率が上昇して良いような気がするのだ。
帰りの車中で、日本に留学している韓国人留学生と親しく言葉を交わした。北大生だが母親の誕生日を兼ねて帰国していたらしい。最初カナダに留学し、その後日本へと来たらしいが、現在、韓国総領事から見合いの話があって18日に逢わなければならない…と嘆いていた。どうも日本女性の方がお好みらしい。せっかくの出世コースからは外れるが、そのうち日本の心優しい女性を射止めることが出来るに違いない。
それはともかく、私もそろそろ「波木流占術の後継者」を考えなければならない年齢へと近づきつつある。もっとも、大した業績を残しているわけでもなく、多くの人達に支持されているわけでもなく、多くの門下生を占い師として成功させてきたわけでもない。果して波木流占術は後世へと引き継がれていくのであろうか。誰かが後世の人類のために、波木流を勝手に盗用し「自分が発見・創始した見方」として広めても一向に差し支えない。私としては正しいものが後世に残され、それが一人でも多くの人達に役立ってくれるなら本望なのだ。
歌手・玉置浩二と女優・石原真理子が入籍した。二人が出会って25年―長い道のりだった。その経緯についてはマスメディアによって広く知られていることなので、ここでは改めて触れない。どこにも書かれていない運命学的に注目すべき部分について述べておきたいのだ。
まず「復活愛」と云うものについてだ。出逢って25年、別れて23年―まさに復活愛の典型と云える。この場合、二人が入籍にまでこぎつけられたのは、双方共その間に別な相手と結婚・離婚していたからである。これが重要なのだ。占い好みの人の中にはどういうわけか「復活愛」を望む人が多いのだが、たいていは別れた時の状態と変わらないまま復活を求めようとする。ほとんどの場合それは叶わない。それが叶うのは、別れて1年以内で双方とも独身の場合だ。どちらかが既婚(別居状態も含む)である場合は1年以内でも叶わない。また、双方とも独身であっても別れて1年以上経過している場合の復活は大変に難しい。別れて1年以内であっても、その本格的な付き合い期間が3カ月に及んでいないのは、この場合対象外となる。早い話が、付き合って3カ月に及ばない内に別れてしまうのは「復活愛」以前の問題で、運命の恋とは云えないのだ。運命的要素の強い恋愛は少なくとも3ヶ月は続くものなのだ。その間、例えば1ヶ月に1回しか会えなくても、電話やメールで頻繁にやり取りがあったならOKである。これらの原則から云えば、まず独身同士の場合は3ヶ月以上付き合っていて別れて後1年以内であることが復活の第1条件となる。1年以上を経ている場合は、双方とも離れている間(別れて後)に別な相手と付き合っていることが条件となる。必ずしも婚約・入籍・結婚・離婚していなくても良いが、少なくとも結婚を意識した本格恋愛・見合いを行っていることが復活愛が成立しやすい第1の条件と言える。
最初の付き合いが不倫から入っている場合は、既婚だった方が離婚(或いは再婚・再離婚)し、独身だった方が別な相手と結婚・離婚していることが望ましい。俗に「生まれ変わったら一緒になろうね」と云う表現があるが、正にそういう状態を無意識に双方とも作っていた場合である。当然、両方とも既婚で出逢っている場合はいったん別れて、その間に双方とも離婚が成立していることが条件となる。この場合、二人が別れないで離婚へとこぎつけていったらどうなるか…確かに条件としては同様だし、独身となったのだから入籍は可能なのだが、なぜかスムーズに入籍できない。しかも多くの場合、同棲しても上手くゆかなくなって早期に別れてしまう。いったん別れる…引き離される…と云うプロセスを踏んでいないと「生まれ変わった」ことにならなくて、強引に結ばれても幸福になれないのだ。
運命学的観点からとらえた「運命の恋」=「前世からの絆」は、スムーズに結婚まで到達できない場合は「何かの厄」を宿命的に与えられているわけで、それを払わないと決して「結婚・入籍」と云うところまでたどり着くことはできない。特に不倫からスタートしている場合は、既婚者側が相当な代償を背負う形を取らないと、離婚→再婚とスムーズには進まない。もし女性側が独身で男性側が既婚で、不倫恋愛が本格化して双方とも結婚を希望した場合、相当な代償は覚悟の上で結ばれることを願った場合、方法はひとつしかない。まず、双方の実家のお墓に二人で詣でることである。そして先祖の方々に、不倫恋愛の末に入籍・結婚へと到達できるよう先祖の方達に力添えを願うことだ。その際、無事、結婚できたなら、必ず墓参りを欠かさないと誓うことだ。結婚と云うのは、恋愛と違って両家の家系・血縁が一体化される行為なので、先祖を無視しては成立できないのだ。これを実行できるなら、その恋は成就される確率が高い。
話が横道にそれたが、玉置浩二と石原真理子の入籍で私が注目するのは、二人とも社会的に言葉は悪いが「落ちぶれていた」と云うことだ。このことが皮肉にも「純粋な愛」を呼び戻してくれたのだ。もし、どちらかが第一線に居たなら、その立場が純粋さを失わせていたに違いない。そういう意味では二人とも過去の栄光を失ったことで「純粋な愛」を手に入れることが出来たのだ。もう一つ、私が注目したことの一つに、二人が「ニトリ」家具店で生活用品をそろえた…と云う点にある。ニトリと云うのは激安で知られた家具・生活用品の店だが、実は近年まで北海道だけで店舗展開していた家具店なのである。つまり元々が北海道・旭川出身の玉置が道内で知られていたニトリを知らなかった筈がなく、或る種の懐かしさのようなものも手伝って、その店で生活用品を買いそろえようとしたに違いない。それは無意識だったかもしれないが、故郷への回帰が感じられる。一時期、旭川市長選に立候補する…と云う噂も流れたことがある玉置には、病気になって本能的に地元・北海道から進出してきた家具・生活用品店で新生活の必需品を揃えたくなったのだろう。そこには歌手と女優の結婚ではなく、田舎から出てきて中年期を迎え、都会に傷つき、互いに支え合おうとする男女の姿が見える。
運命学に私がもう一つ注目するのは「石原真理子」の改名についてだ。彼女は最初「石原真理子」でデビューしながら、途中確か「石原真理絵」に改名していたはずだ。いつから戻したのか知らないが、戻したことで、その存在感が強まったことは間違いない。芸能人には途中から名前を変える人が何人もいる。それが売れていない時期に変えるのは解かるが、十分、名を成して以降に変えるのは感心しない。画数がどうとか言われて変える人もいるらしいが、その姓名で成功したのなら、その名前そのものは悪いわけがない。大体が、名前を変えてから、悪くなった人たちの方が多い。津川雅彦や千葉真一など、その典型と云える。改名して悪いと気付いたら、すぐ元に戻せば良いのだ。長い人生にはどんなに良い姓名でも窮地に陥ることがある。けれども俗に「名を成す」と云う言葉からもわかるように、日本中に名前が知られている存在と云うのは、それだけでその名に価値があると云うことなのだ。ユメユメ画数の術中に踊らされてはならない。