4月, 2009年

地球にやさしい日本経済の復活

2009-04-19

このところ日本の経済活性化と云う点で、政治・行政的にも、民間の各企業においても、さまざまな企画・具体策が実行され始めている。その中でも目立ってきたのが、リサイクル買い取り作戦だ。ジャパネットたかたのブラウン管テレビの買い取り価格は3万→4万→5万と高くなった。半年ほど前に私自身もそれに乗せられて地デジ対応の42型に買い替えることとなったが、その結果として家電専門店よりも安く買えた。たぶん私だけでなく邪魔になった家電を買い取ってくれる…と云う点が無駄を嫌う世代からは圧倒的に支持されたと思う。私の記憶ではこの方式を始めたのはジャパネットが先陣だと思うが、その後ジャスコや、イトーヨーカドーや、西友や、ビッグカメラや、高島屋などが追従し始めている。買い取るモノもさまざまで、洋服や、家電や、婦人靴にまで及んでいる。そして、その甲斐あっていずれの店も売り上げが伸びているという。よくよく考えてみれば、今もっとも消費が落ち込んでいる住宅や車においては、昔からこの制度があった。だから、その意味においては特別目新しいことではない。ただ、住宅や車のように単価の張るものではなくても、新製品を購入するときに引き換える形で古いものが高価で買い取られる点に新しさがある。昔は(今だって)使わなくなったテレビなど、どこへ持って行っても絶対に5万でなど買い取ってくれなかったからだ。しかもテレビの場合、地デジに全面移行することが決まっている。環境対応を促進すると云う意味でも、ジャパネットの果した役割は大きかったのだ。

環境対応と云えば、住宅や車やTV以外の家電に対しても、政府は地球にやさしい製品の買い替えに対して援助金を出そうとしているらしい。ドイツなどヨーロッパでは既に環境対応車の買い替えに対して助成金が出され、それによって大いに需要が喚起され始めている。その政策の効果は確認済みなのだ。高速道路料金にしてもそうだが、実際にこれまでよりも大幅に安くなるなら利用しようと思うのは自然で、結果的にはそれらに付随する分野の消費も促される。ましてや開発途上の太陽住宅やエコカーの場合、それが地球環境の浄化につながり、裾野産業の活性化にも貢献するのであれば、日本のタンスに眠っているらしい莫大なお金も重い腰をあげて動き出すのに違いない。

以前から私が警告してきたように、先進国の中で今回のアメリカ発の経済ショックによる落ち込みは日本が飛びぬけて高かった。それだけに、そこから抜け出すには他の国々よりも官民一体となった取り組みが必要なのだ。そういう意味でも、実際に観たことはないが高齢者たちのタンスに眠っているらしいお金を目覚めさせる必要がある。眠らせたままのお金が多いため、お金持ちでありながら慎ましすぎる生活をしている方が多いのだ。そして今一つ経済が活性化していかないのだ。私のようにどこからもタンス預金を受け取れない人たちにとっては金持ち優遇に思える生前贈与も、すぐ地球環境対応住宅等に消費され日本経済そのものを活性化させるなら、眠らせておくのはもったいない。経済というのは、活性化し始めれば徐々に末端まで回っていくように出来ている。やがて金持ちのおこぼれを我々も受けられるようになるはずなのだ。

大体、どの時代、どの地域でも、金持とそうでない人たちはいる。完全なる「公平」等と云うものは世の中にない。あると思っている方は「絵に描いたモチ」を追い続けている方だ。一時期、共産主義思想は「公平」をうたい文句に国づくりを進めた。ところが結果的に真の意味での公平・平等とは、ほど遠い国々が誕生したのだ。これは男女の人気度などにも云えることで、わかり易く云うとどの時代どの地域にも「もてる男」は必ずいるし、逆に「もてない男」も必ずいる。いくら公平な条件を与えたって、もてる奴はもてるし、もてない奴はもてない。1人の男が10人の美女に囲まれて居るのは、考えようによっては不公平だが、必ずしも世の中が悪いわけではない。

「運命」と云うものにも似たようなところがあって、決して平等なものではない。けれども、どんなに恵まれた人生を歩む人であっても、必ず苦悩する時期があり、悲しみにくれる時がある。どんなに不遇な人生に生まれた人であっても、チャンスを与えられる時期があり、希望の明かりが見えて来る時がある。神様はちょっとだけ優しく、ちょっとだけ不平等で、あっという間に気分を変えてしまうセレブな美女に似ているのかもしれない。

身体が要求する生活形態

2009-04-09

今週から新年度入りと云うことで、さまざまなものが新たな方式へと切り替わっていく。各種行政や料金等も切り替わるらしいが、各企業においても新年度入りと云うことで新たな顔ぶれが出そろうことになる。この時期になると、私は自分自身が会社勤めをしていた頃を思い出す。思えば、私はサラリーマンらしくないサラリーマンだった。出社は常に始業開始ぎりぎりだったし、退社は常に終業ベルとともにであった。ほぼ全員が残業をしているような時であっても、私だけは自分の仕事を終えて一人だけ先に帰ると云うことが珍しくなかった。会社組織の中で出世しようとか、成功しようと云う気はみじんもなかった。だから同僚たちが陰口を言っても、全く気にならなかった。もちろん仕事をしないのではない。仕事時間中は誰よりも仕事だけに集中し休憩と云うものを取らなかった。残業をするくらいなら1分1秒を惜しんで仕事し、早く片付けてしまう方を選んだ。ただ自分の仕事が暇になった時、誰かの仕事を手伝うような奉仕精神もなかった。ハッキリ言って組織に向いている人間ではなかった。

私の場合、会社勤めをしながらサイドビジネスとして「占い」も行っていた。会社の方でも黙認されていて、そういう点でも恵まれた環境にあった。考えてみれば、私はこと社会生活においては、かなり自由奔放にわがままを通して生活してきている。その点では昔も今も変わらない。例えば一昨年から今年にかけても、台湾に行き、エジプトに行き、香港に行き、中国に行き、沖縄に行き、韓国に行ったが、すべてがプライベートであり、4~11日間は仕事を100%オフにしての旅行でもあった。もちろん前もってその間に必要な執筆などの仕事は片付け、旅先で仕事をすることはない。もっとも会社勤めであればそんな自由は許されるはずがない。さすがに私も会社員時代は頻繁に旅行していないが、サイドビジネスや飲み疲れなどで休みを取ることは多く、有給休暇を全部使い切って、それでも足りなくて欠勤で休んだ年が何年かある。今考えると、よく会社の方が雇い続けてくれていたものだ。しかも、それでいて上司に対して「こんな納期で納められる筈がないだろう」等と撤回させたりしていたのだから、まあなんと我が侭な社員であったことか…。あの当時の上司がこれを読んでいたなら、本当に「ご迷惑かけました」と謝っておこう。

ただ人間の生活形態と云うのは、基本的に環境が変わったからと云って特別大きく変化するわけではない。たとえば働くことが本当に好きな人は、どんなに休んで良いと云われても働いてしまうものだ。仕事人間として第一線で働き詰めだった人が定年となって何もすることがなくなって、本当に何もしていないのかと云うと、その多くは働き続けている。定年などなかったかのように働き続けている。それはもちろん収入面からそうなる場合もあるが、そうでない場合の方が多い。そうして本人の身体が働くことを要求する場合、無理に隠者(退職者)として仕事を奪うと、とたんに健康面などで支障が生じてくるケースが多い。つまり、それまでの生活のリズムのようなものが狂ってしまうからだ。長期間にわたってしみついた身体のリズム(体内時計)は、そう簡単に変えられるものではない。急に変えると心身のどこかで歯車が狂ってくるのだ。逆に身体そのものの方が、仕事に対してストップをかけてくるケースもある。男性でそれが定年時に符合するなら、最も理想的な年金生活に入ると云えるだろう。ただ、長寿社会となっている今日、両者が見事に符合するケースは少ない。そういう意味では早期退職してリタイヤし50代後半から何もしないと云うのは、能力的な点からも或る意味でもったいないと云える。むしろ、体力的に恵まれているなら、その時期から第二の人生として、本当にやりたかった仕事や趣味に打ち込むような生活を考えるべきだろう。退職金を用いて新たな事業や商売を起こすのも、営業意欲のある人なら良い機会かもしれない。経済的に満たされているなら、ボランティアや趣味、スポーツ、旅行、学習・研究など、その人に応じた燃える生き方を、身体が要求する生活を続けるのが最も幸福な人生となるのに違いない。

往々にして自営業の場合は定年がないので、死ぬまで仕事に奔走しがちとなるが、後継者がいる場合は頃合いを見て託すべきだし、職種によっては徐々に仕事を減らして身体に負担が掛からないようにすべきだ。そうすることによって、いつまでも楽しく充実した形で仕事を消化していくことが出来るからだ。ブルドーザーのように仕事を消化し、収入を増やすことに夢中になる人がいるが、お金は自分が使いきれるだけあれば良いので、使いきれないほどのお金はどこかに寄付した方が子孫のためにも良いものだ。

パチンコ「天才バカボン」と、組み合わせの不思議

2009-04-05

喫茶・レストランに入ると種々なスポーツ新聞・週刊誌が読める。それらをめくると似たような記事のオンパレードだ。スポーツ紙では「イチロー・松坂」の名が出て来るし、芸能紙では「紀香・陣内」の名が出て来る。ん?まてよ。これらの組み合わせって、何かが共通だな。

イチローと松坂は共に女子アナウンサーと結婚している。どういうものかプロスポーツ選手、なかでも野球選手と女子アナウンサーの組み合わせは多く、古田や石井や井畑や依田など数え上げればきりがない。同じくプロスポーツ選手で多いのは昔のスチュワーデスとの組み合わせだ。運命学的な観点からみると、基本的に職業的な組み合わせとして、これらはパートナーとして悪くない。海外で活躍したいプロスポーツ選手は、女子アナと結婚すれば成功できる可能性が高くなるものだ。ちなみにそれは英語が出来る、出来ないとは無関係だ。

紀香と陣内の結婚は最初から危うかった。それは格差婚だから…と云うよりも、お笑い芸人と女優の組み合わせだからだ。昔から、お笑い芸人と女優・タレントの組み合わせは上手くゆかないケースが多い。そのまんま東とかとうかずこ、さんまと大竹しのぶ、コアラと三原じゅん子、キム兄とえみり、遠藤と千秋、井戸田と安達祐美など、初期の熱々ぶりが嘘のように家庭崩壊となってしまう例が多い。

お笑い芸人は基本的に話術のプロである。つまり、女心を落とす話術が身についているのだ。女優・タレントに限らず、女性は昔から甘い言葉、わざとらしいセリフ、駆け引きのある対応に弱いものだ。話術のプロである彼らは、外見には自信のない分、得意の話術で女性を惹きつけ、笑いを絡ませながら心の鎧(よろい)を解いていく。昔から何故かマイペース型の美人は笑いに弱いものだ。男性で美人好みの人は、自分の外見に自信がなかったなら、相手を笑い転げさせることだけ考えれば良い。そうすれば、黙っていてもマイペース型の美人は心を開く。多分、上記の芸人たちも、このような方法で彼女たちに接近したに違いない。これは別にお笑い芸人でなくても、一般社会でも十分に通用するテクニックだと云える。昔から優秀な営業マンは美人を妻にするケースが多い。積極的な誘いと笑わせる手法で気に入った美人を落とすことに成功するからだ。但しお笑い芸人の場合、それが結婚後も通用するかと云うと、そうはいかない。美人は総じて「美しい空間」を好むもので、芸人に限らず男性は日常におけるその空間には無頓着な場合が多い。そこに、これらカップルの悲劇と落とし穴が待っているのだ。

それにしても近年、美人女優の中には自らお笑いの方へと歩みよっているような人たちも多い。中村玉緒や高畠淳子などは、それによって新たなファン層を開拓したと云っても良いだろう。朝丘雪路や小沢真珠などもその路線へと舵を切り始めたのか、パチンコ「天才バカボン」のCMは呆気にとられるほどの変身ぶりで見事と云うほかない。中々あそこまで思い切るのは勇気がいるものだ。素晴らしい。ところで、それにつられたわけでもないが、先日私は久しぶりにパチンコで大負けをした。いくらかは云えないが、3泊4日の旅行が出来るほどの額だ。最近はちょぼちょぼ勝つようなことが多く負けても大負けはしなかったので、我ながらショックが大きかった。ギャンブルで大負けしたことのある方なら誰でも納得してくれると思うが、その帰り道が遠くて、足取りが重く感じられることと云ったら…自ら「このバカボンめ!」ではなく「このバカ者め!」と自分を思い切り叱りつけたくなってしまう。正に穴があったら、パチンコの玉になって入りたい…と本気で思うほどの落ち込み方なのだ。久しぶりに長時間パチンコを打てる空きが出来たことが失敗の始まりだった。大体、そんな暇があったらもっと仕事しろよ、と云う話だが、まことにごもっともであり…申し開きが出来ない。