7月, 2009年

実力とチャンスと運と…

2009-07-24

全英のゴルフで日本の石川遼が好スタートを切っている。17歳でメジャー出場2度目を掴んだこと自体チャンスだが、今回は「ゴルフの申し子」タイガーウッズと一緒に回れるチャンスも与えられた。世界中のマスメディアとゴルフファンが見守る中でプレーできる。ウッズ自身が言ったように「一緒に決勝リーグで顔を合わせる」結果を残すことが、今後の石川遼の人生を決定づけるかもしれない。

別にグルフの世界だけでなく、あらゆる世界で「実力」だけではなく「チャンス」と「運」も合わせた形で人生・運命の道筋が織りなされていく。例えば入試、入社にしても、出世・成功にしても、結婚・出産にしても…あらゆる場面で、実力だけでなくチャンスや運が結果を左右していくケースが多い。

西洋のことわざだったと思うが「幸運の女神に後ろ髪はない」と云う教えがある。つまり、幸運がやって来た、チャンスだ…と思ったら、その時すぐ捉まえないと、行き過ぎてから慌てて捉えようとしても、後ろ髪がないのでもう捉まえられない…と云う教えだ。長い人生には、どんなに不運を嘆くような人であっても、一度や二度は「幸運の女神」が通り過ぎていくものだ。ただ、それは多く予期せぬ形で表れるし、決断を躊躇しがちな状況の時に出現するものだ。一瞬の判断でそれをモノにできるか、躊躇して見逃してしまうかは本人の性格に委ねられるところが大きい。もちろん「幸運」だと思って飛びついたものが、実際には「幸運の女神を気取った悪魔」で人生の階段から引きずりおろされていくケースもある。そういう点から云うなら「運も実力の内」と突き放す賢者の発言も、言い得て妙といえようか。

石川遼に話を戻すと、彼が注目を浴びたのは「15歳で優勝」したからだ。これはもちろん実力があったからだが、優勝候補が次々と脱落していく幸運も手伝っていた。実はチャンスと云うのは、そういった形で訪れることが多い。ギャンブルで大勝ちするときなどでも、奇妙な偶然が伴っているケースが多いものだ。私は昔、パチンコでいったん席を立って帰りかけたら、顔を合わせたくない人が入って来たので慌てて座り直し、再び打ち出したらすぐ大当たりとなって、それから22回連続で当たり続けたことがあった。これも若い頃だが、風邪で寝込み、会社を休んで横になっていたとき、たまたま聴いたラジオから流れた「歌詞募集」に応募して大賞を獲得し20万円を得たことがある。暇つぶしに寝ながら詞を書いて応募したのだ。入賞すると思っていなかった私は住所を書いていなかった。それに「女性名」で応募していた。新聞社から連絡があった時、慌てた私は「妹は今外出中ですので…」とうろたえてしまった。結局、女性名で応募したことを告白したが、その時の新聞写真には私の「思索にふける姿」が大写しされ、その上に大きな女性名としての活字が躍っていて、何とも恥ずかしく、応募したことを悔やんだものだ。

かえって一生懸命頑張って努力したような時には不運に見舞われたり、チャンスを逃してしまったりするケースも多い。中学生の頃、身体を鍛えようとエキスパンダーでトレーニングを始めたら、手が滑って頬骨を直撃し、骨折して顔が包帯でぐるぐる巻きとなってしまったことがある。勤めた会社では、組合のトップとして会社側と賞与交渉をし、他の社員達を喜ばせることは出来たが、自分自身は完全にとばっちりを食らって昇給・昇進がストップされた経験もある。人間、頑張り過ぎるとろくなことがない。

実力と云うのは誰でも日頃から努力していれば徐々に身についていくものだ。そして実際には一般の人が思うほど、人間の能力や素質には大きな差があるわけではない。これは例えば手相の違いなどを観察していれば判る。もちろん、素晴らしい能力を発揮している人とそうでない人との差は歴然だが、それは「運」の方であって「能力・素質」の方ではない。それに「運」の方だって、いつの間にか変化していくもので、今現在、運の良い人がいつまでもその運を継続するとは限らないし、逆に今現在どんなにチャンスや運を失って居たとしても、それが永久に続いていくほど神仏は無慈悲ではない。或る時を境に、ぐんぐんと幸運に恵まれ出すケースだって山ほどあるのだ。そしてそれに比例するように手相も変わっていく。つまり「不運な手相」から「幸運な手相」へと大変身を遂げていくのだ。そういうケースを私は何人も見ている。だから今現在、どんなに不運でチャンスに恵まれていなくても、そんなことは気に病む必要は全くない。心がポジテヴで未来に向けられていさえいれば、いつか必ず幸運の女神はほほ笑んでくれるものなのだ。日頃から何事にも否定的な感情が強いと、幸運の女神もおいそれと近づきにくいようだ。それさえ無くせば、必ずチャンスは来る。人生は長いのだ。但し、最初に戻るが、躊躇や迷いは禁物だ。ここぞと思ったら、迷うことなく女神の前髪を掴むのだ。決して後ろ髪を掴もうとしてはならない。

「運命の子」「宿命の玩具」としての人生

2009-07-17

「運命」と云うものを扱う職業にとって、注目すべき人々がこのところ次々と急死している。その代表例はマイケル・ジャクソンだ。他にも、プロレスラー・三沢光晴とか、ロックシンガー・忌野清志郎とか、元タレント清水由貴子とか、韓国前大統領・ノ・ムヒョンとか、少し前にはロス疑惑・三浦和義とか、元アイドル飯島愛とか、元歌手・フランク永井とか……いずれも光と影のある人生を歩んだ人たちばかりだ。

世の中には「運命」としか言いようのない人生を歩む人達がいる。良くも悪くも、我々に「運命の子」「宿命の玩具」としての割り振りを神から与えられているのか…と感じさせずにはおかない生涯を歩む人達がいる。よく「運命などというものはない」と言い切る人もいるが、そういう人であっても「運命」と云う言葉を使いたくなる人生と云うものはあるものだ。その代表的な例がマイケル・ジャクソンだ。もし彼が黒人として生まれていなかったなら、このような人生を歩んだであろうか。或る意味で、彼は「黒人と云う宿命に逆らった」のだ。けれども「逆らいきれなかった」のだ。結局、彼は「白人」を手に入れたが、生命を縮めた。『スリラー』前後くらいまでの彼の顔貌は「素晴らしく金運の良い顔」となっている。ところがそれ以降、彼の顔からは徐々に金運が「失われていく」のだ。整形をして整えたつもりの鼻は「金運の乏しい鼻」に様変わりしていく。せっかく神が与えてくれたはずの栄光と財力を、宿命に逆らって「理想の顔立ち」へと近づけたことで、もろくも失っていってしまったのだ。当然その報いのように「借金に追われる人生」へと変貌してしまった。

だが、本当にそうなのであろうか。神は最初から、彼に金品を与え、顔貌を変えさせ、異常性愛に目覚めさせ、世界中から嘲笑を買わせて、地獄へと突き落とさせ「神に逆らったらどうなるか…」「宿命に逆らったらどうなるか…」思い知らせようとしていたのではないか。「宿命になど逆らわず、死ぬまで歌い、踊っていれば良かったものを…」とほくそ笑んでいるのではないのか。三沢光晴にしてもそうだ。タイガーマスクが自ら覆面を剥いで三沢光晴として闘い出した時から、リング内においてプロレス技で死すストーリーは定まってしまっていたのではないか。

もちろん、誰もが彼らのような「激しい人生」を生きるわけではない。神にとって「宿命の玩具」としてふさわしい人だけが選ばれ、正に劇画的人生を授けられるのだ。『君恋し』や『有楽町で逢いましょう』で一世を風靡したフランク永井は、愛人問題で苦悩し、自殺未遂したのち、すべての記憶を失い、その後は廃人同様の生活を送った。自らの歌声を聴いても「上手な人ですね」としか言えない人生が始まっていた。『お元気ですか』のヒットがある清水由貴子も、母親のためだけに生きて来たような人生に疲れて逝った。最後は介護のためにタレントを捨てたのだが、それが命取りになったような気がする。宿命としかいいようなない人生を歩む人の中には、自分自身の人生でありながら、結果的に見ると「誰かのためだけに生きていた…」と思えるような生涯がある。それが幸福なら、それも人生だが、犠牲となって終わってしまっている例があまりにも多い。

忌野清志郎のように、或る時期を境として自宅と病院の往復となる人生もある。病魔に魅入られたかのように、次々と病気が身体を蝕んでいく例も多い。飯島愛のように、或る種のトラウマが原因で世間から逃れるように身を隠して、心身が衰弱していくケースも多い。人間は世間と隔絶した状態の中では生きていけない。徐々に心身が弱っていくものなのだ。熟年離婚やリストラ等が原因となる引き篭もりが怖いのは、そういう部分に自らは気付かないからだ。人間が住まなくなった廃墟が、あっという間に生命力を失って色あせるように、社会・世間と隔絶して独りになって仕事もせず、外に出ることもなく、誰とも話すこともなく、24時間独りだけで生活し続けていると、心身が弱って生命力が徐々に失われていくのだ。このような場合、座禅を組むとか、読経するとか、ヨガをするとか…独りであっても規則正しい生活をしながら、自分に何かを課して、何時間もそれに打ち込んでいるなら話は別だ。そういう場合は生まれ変わったように徐々に容貌が変わって変身していくものだ。決して生命力は衰えない。

人間に与えられている個々の運命は、怖がる必要などまったくないが、無視すべきものでもない。生まれながらに与えられている「業(ごう)」と「縁(えにし)」は、人によって強く作用している場合と、それほどでもない場合とがある。「業」は多くの場合、職業として与えられるが、趣味、特技、ボランティア、義務、責務として与えられている場合もある。どうしても、そこに行き着いてしまう人生上の課題なのだ。そして、多くの場合、それは何となく本人が自覚しているものだ。だから、どうしても自分に合う仕事がないとか、どの職場でも長続きできないと云う人は、仕事以外の部分で「業」が与えられている可能性もある。「縁」の方は、一言でいえば「出逢い」であって、運命・人生を変えていくような人物との関わりのことだ。この場合、家族・親戚がそうである場合もある。もっとも多いのは特定の異性との出逢いで、仕事上のパートナーとか、恩師とかの出会いであるケースもある。もちろん、良い出逢いばかりでなく、人生の足を引っ張る家族や、腐れ縁としての異性が演じる場合もある。とにかく個々の人生が、人と人との出会いからスタートしている以上、縁を無視して生きることはできない。しかも、その出逢いは多くの場合、奇妙な偶然から始まるのだ。

選挙が面白くなる三つの形

2009-07-08

東国原宮崎県知事が、国政に打って出る条件として提示した「次期総裁候補」発言が注目を集めている。このところ不透明な話題しか政界にはなかったので、その意味では食傷気味の一般の人々を惹きつけ、中々にインパクトがあった。今、世の中は不況で暗い話題が多い。本来なら政治に対しての期待感がもっとあって良いのだが、いつの頃からか多くの人達は政治、及び政治家に対して期待を抱かなくなっている。それが証拠にどの地域で選挙を行っても、投票率は極めて低い。どんなにマスコミが騒ぎたてても投票率が80%を超えることはない。中には50%そこそこの地域さえある。政治に無関心と云うよりも、どこの党がやっても、誰に変わっても、自分の生活にそれほど大きな変化はないだろう…と思う人が多くなっているのだ。

政治、及び政治家への不信は日本ばかりではなく、世界的な傾向でもある。アメリカのオバマ大統領にもかつての勢いはない。ヨーロッパ諸国はそれぞれが火種を抱えていて、イタリアの首相など下半身が火種を抱えていて、各国とも政府は今一つ求心力がなく、国民から信頼感を失っている。インドも、中国も、韓国も、北朝鮮でさえ統制に陰りが見えている。本当に安定感のある国民から信頼を寄せられている国や政府を見出すのが難しいほどだ。

世論調査によれば、今の日本では民主党への支持が自民党への支持を上回っている。安部政権→福田政権→麻生政権と、いずれも何となくギクシャクした政治が続いたので仕方がないが、では民主党が政権を取って、鳩山由紀夫政権となったなら安定するのだろうか?熱い支持や人気を国民から得られるのだろうか?どうも、今一つ、そういう雰囲気でもない。背後霊のような小沢一郎の存在がちらついて見える。それに「友愛」などと云う抽象概念を政治の世界に掲げているようでは熱狂的な支持など得られるわけがない。すでに安部政権の時「美しい国ニッポン」と云う抽象概念は無残にも打ち砕かれているではないか。お坊ちゃま政治家として、国民からそっぽを向かれたではないか。鳩山氏は何故あそこから教訓を学ばなかったのか。

鳩山氏と云えば、このところやっと沈静化したが自民の方にも鳩山邦夫氏がいるではないか。そこで次期選挙を大いに盛り上げ、国民の関心を政治に向けさせる秘策がある。民主党の鳩山由紀夫氏と自民党の鳩山邦夫氏とでガチンコ対決をさせれば良いのだ。つまり、自民党は総裁選を前倒しし、鳩山邦夫を自民党の「顔」として衆議院選を戦えば良い。そうすると嫌でも兄弟対決と云うことが前面に出て、マスメディアが盛り上がることは間違いがない。その総裁選には鳩山邦夫氏だけでなく、舛添要一氏や東国原英夫氏や石原伸晃氏や野田聖子氏も出て、自民党の「新しい顔」を競い合えば良い。そういう中で鳩山邦夫氏が出て来たのであれば大いに盛り上がるだろう。(誤解を避けるため記しておくが、私自身は別に鳩山氏の発言や行動を支持しているわけではない。誰が出て来ても良い)

鳩山邦夫氏や東国原氏の場合、もう一つの選択もある。鳩山邦夫氏を中心として、自民党総裁選以前に、大阪府知事の橋下徹氏も誘って新党を立ち上げてしまうのだ。鳩山・東国原・橋下の三氏が中心となった新党であれば大きな票が入る。正義感の強い渡辺喜美氏も加えた方が良い。もっとも橋本氏は鳩山氏や渡辺氏より中川秀直氏との方が相性は良さそうであるが…。ただ中川氏は新党結成には動きそうもない。新党結成に動くとすれば鳩山氏の方なのだ。もちろんこれらは選挙戦が面白くなり、政治離れの人達を呼び戻す一つの方法として、提示しているに過ぎない。

大体、自民党も姑息な手段を使って票集めをもくろむから、逆効果で党内からさえ批判されるのだ。どうせ人気取りで票集めをするなら、堂々とそれが判るような形で行えば良い。今回のような一人に絞るのではなく、票に結びつきそうな種々な分野の著名人達を多数担ぎ出せば良いのだ。黙っていてもマスコミが集まり、政治から距離を置いている人たちも投票したがるような人達を国政へとひっぱりだせば良い。庶民派の経済アナリストとして人気がある森永卓郎氏、裕次郎人気も取り込める石原良純氏、TVでの活躍で知名度抜群の島田紳助氏、かつての風雲児・堀江貴文氏、世界で最も美しい女性政治家となった藤川優里氏、橋本・丸山の元弁護士(現政治家)と法律相談で論戦を張った北村晴男氏、現役を引退し放浪を続けているサッカーの中田英寿氏、格闘家を引退後は作家として活躍している須藤元気氏などの面々だ。

もちろん、これらの人物が政治家としての適性があるかどうかは微妙なところだ。ただこれらの人物が政治に関心を持っていることは間違いないし、出馬するとすれば自民党だろう。それに何よりも票が集まる。政治に無関心な層からの票が集まる。これが何よりも強みだ。アイデァ面でも優れた人物が多いだけに、不謹慎かもしれないが選挙と政治を面白くしてくれそうなことだけは間違いがない。