10月, 2010年

新しい「パワースポット祈願」とは…

2010-10-26

昨今の雑誌やTVで“パワースポット特集”や“パワースポット廻り”が静かなブームとして紹介されている。パワースポットの一ヵ所だけを取り上げることは少なく、何箇所かを並べて紹介する形式や、それぞれのパワーの特徴や違いを解説しているケースが多い。或る種“心霊スポット”や“開運スポット”と重なり合うような紹介の仕方も多い。

実際「パワースポット」の定義は大変に難しい。“古代からの神聖な土地・地域”を意味していることもあれば“大地のエネルギーを享受できる場所”を意味していることもあれば“神々が降臨する場所”を意味していることもあれば“風水的な理想の土地”を意味していることもあれば“偉大なる神社・寺院・教会・神殿そのもの”を意味していることもあれば“世界中から人々が吸い寄せられて来る中心地”を意味することもあるだろう。多分、そのどれもが正しくて、どれもが少しだけ違っているのだ。「パワースポット」には様々なイメージや受け止め方があって良い―と私は思っている。個人や一部地域だけが認めるパワースポットもあれば、今日では世界的に知られているパワースポットもある。ともかく雑誌やTVで次々とパワースポットが紹介される企画が多いのは、それだけ今の日本が、或いは日本人が“パワー不足”に陥っているからなのかもしれない。

古代中国の風水的な考え方からすれば、大地には “龍脈”と呼ばれる大自然の“パワーを秘めた流動ライン”のようなものが張り巡らされていて、そのラインを見極めたうえで王朝都市を建設することが何より重要とされていた。だからこそ殷(商)王朝は八度も遷都したのだ。実際、古代の風水では“パワーの発信地”を「龍穴」と呼び、それを見極められるのが本物の風水師である…とした。べつに古代中国でなくても、神々が降臨する場所として様々な“神殿”“神社”“寺院”“教会”“仏閣”が設けられ、それらの中には現在でも何百万、何千万という人々が崇拝し、信仰し、祈願し、観光に訪れるところがある。これを「パワースポット」と呼ばずして何と呼ぶのか。一時期「ピラミッドパワー」というものが注目を集めたが、確かにギザの大ピラミッド内部には世界中から観光客が訪れ、多分「王の間」内部に何億人かが入って“無言のパワー”を感じたはずなのだ。私自身も入ったが“4500年前の圧力”のようなものを感じずにはいられなかった。ジャワ島のボロブドゥール寺院遺跡なども、遺跡壁面に彫られ埋め込まれた何千という信仰物語が建造に携わった人達のパワーとして迫って来るものがあった。そういった古代遺跡―神王(神仏)を意識した建造物―の多くは、今も世界中の人々を引寄せる力を持っている。

日本でも歴史ある神社・仏閣は“神”や“仏”の霊力のようなものを宿していて、だからこそ全国各地から信仰・祈願する人々が今も集まって来るのだろう。特別に宣伝をするとか、随時催し物を開くとかしなくても、人が集まって来る神社・仏閣には“神仏パワー”が備わっていることは間違いがない。人は誰でも潜在意識の奥底で繋がっているので、多くの人達が一ヵ所で“想いを一つに祈願する”ことで“計り知れないパワー”が生み出されることになる。風水的な自然条件にも恵まれた“古代からの神社・仏閣の選定地”は無条件にスピリチュアルな「パワースポット」であることに間違いないのだ。

但し、古代からの由緒正しき神社・仏閣であればどこでもパワースポットかと言えばそうでもない。古代には“パワー”があったが、現代ではそれが失われ、カラスなど鳥獣達が群生し荒れ果てた印象を与える所は“パワースポット”どころか、むしろ“霊的な危険地帯”と化している場合もある。これは何かの理由で“邪霊たちの巣”と化している場合が多いので近寄ってはならない。パワースポットブームが訪れたことによって、これら“廃墟に近い神社・仏閣”の中にも雑誌やTVで取り上げられる所が出てきているが“心霊スポット”ではあっても“パワースポット” とはならないので赴いてはならない。

海外の古代遺跡でも、心霊的なものに弱い人は、古代の墓地・埋葬所、無数の当該骨を収納した室がある教会・寺院、昔の刑務所、修道院、戦争時の収容所跡…など多数の生命が犠牲となった場所や遺跡に足を踏み入れるべきではない。そういう意味では、自分の意思でなく、誘われるままに“パワースポット廻り”を行うのは危険な要素もはらんでいることを忘れないでほしい。私は昔、観光で道教寺院に赴いた時、その内部で無意識に写真撮影を行ったら、銃口を向けた人物が飛び出て来て、血相を変えて怒鳴りまくり、慌てて退散した経緯がある。単に心霊的に危険なだけでなく、宗教施設での撮影は実質的に“身に危険が及ぶ”こともあるのだ。

多くの人は「パワースポット」と云うと大都会の中には存在しないかのように捉えているが、これはとんでもない誤解で“パワーが集中する地帯”という点では、正しく大都会のど真ん中こそ“パワースポット1番地”なのだ。多くの人、金、モノが集中する所というのは、それだけで“パワーが漲っている”原点であることは、誰が考えても理解できることだろう。したがって、もし本当に“パワーを得たい”のなら、田舎や郊外になど出掛けず“大都会のど真ん中”へと出掛ければ良い。もっとも、この場合の“パワー”はスピリチュアルなものではない。実生活に必要な“仕事・商売・勉強へのエネルギー源”として作用するものだ。早い話が“精神的な充実”ならスピリチュアルなパワースポットへ“物質的な充実”なら大都会のど真ん中へ行くと良いのだ。大都会のど真ん中の巨大高層ビル内の展望台やカフェで“成功を誓う”ことこそ、新しい形の「パワースポット祈願」と言えるのではないだろうか。

「未婚」と「既婚」の意味するもの

2010-10-06

“占い稼業”をしている私の元には様々な相談事が持ち込まれるが、その中でもっとも多いのは恋愛・結婚に関連する相談事だ。そのような事情から、恋愛や結婚に関連がある新聞・雑誌記事などに目がとまることが多い。最近目にとまった記事で私が注目したのは「生涯未婚率」というグラフとその解説だった。もちろん、これは未婚のまま一度も結婚することなく生涯を終えていく人の比率だ。それが90年代以降、確実に上昇している。それまでは大体5%くらいだったのが徐々に上昇し最早20%に届く勢いなのだ。グラフ形状から観て今後しばらくも上昇するのは間違いない。記事解説によると、近年は30代前半の2人に1人は独身であると言う。だが、だからと言って“結婚”を求めていないわけではない。私のところに相談に来る方達でもそうだが、決して“生涯未婚”のままを望んでいるわけではないのだ。結婚はしたいのだが相手が…というケースが圧倒的だ。中には恋愛したいが、まだ本格的な恋愛をしたことが無い、という人も増えて来ている。

その記事によると、現代は俗に言う“草食系男子”が増えたことによって、男性の側から交際を求める割合、或いはプロポーズする割合が極端に減って、その結果として結婚への道が遠のく男女が多いのだと言う。特に近年の若い男性は、傷つくことを極端に恐れるあまり、自分から積極的にアタックしなくなってしまっている…と記事は指摘していた。確かに、そんな気がする。

それにしても30代前半の2人に1人が独身と言うのは考えさせられる数字だ。数十年後になったら、未婚のまま人生を終えるのが“普通のこと”になって、結婚をするのが“特別なこと”のように変わってしまうかもしれない。少子化対策も大切だが、それ以前に“結婚奨励策”の方が急務なのかもしれない。子供を作る作らないは本人達の意思が左右するケースが多いが、結婚するしないは本人ひとりの意思だけではどうしようもないところに難しさがある。

私自身30代後半まで独身だったので、そういう人たちの気持ちは良く分かる。特に私は“自分の血を分けた子供”が欲しかった。仮に生涯独身のまま終わっても、子供がいれば“自分の継承”が出来るような錯覚があって、そういう意味で子供だけは欲しかった。すんなり20代で結婚していく友人や仲間達を見て、何故か羨望の気持ちを隠せなかった。一度20代で婚約した女性がいたのだが、種々な理由から婚約は破棄されてしまった。購入したダブルベッドは一人用に変わった。胸を切り裂かれるような傷を負って、女性と言うものが一時的に信じられなくなった。

一方、占い師としての私は、自分がやがて普通に結婚していくだろうことを予知してもいた。仕事面でも当時はどん底だったが、いつか日の目を見るときが来ると確信していた。けれども現実は恋愛・結婚も実らず、仕事もままならない状態から抜けきれずにいた。そういう中で私は最初の妻と出逢った。奇妙な偶然が重なって結婚へと辿りついた。そして2年後に子供も生まれた。その後、札幌へと転居し、仕事面でも出版の機会が訪れ、TV出演を何度も行い、雑誌連載を持って、忙しくなった。けれども、その頃から妻との仲がギクシャクしてきた。11年後に離婚。私の浮気が直接的な原因だった。離婚後何人かの女性と交際したが、出逢った最初の夜から意気投合した現在の妻と2年同棲の後、再婚した。つまり私は、自らが望んだわけではないのだが恋愛・結婚に関連ある“さまざまな状態”を結果的に体験してきたのだ。そういう意味で、さまざまな立場にある人達の気持ちが十分理解できる。

人には、普通に一度だけ結婚して生涯を終える人もいれば、二度、三度と結婚・離婚を繰り返す人もいる。同棲や半同棲、内縁や愛人生活のまま生涯を過ごす人もいれば、恋と別れの繰り返しの中で悩み続ける人もいる。ほとんど恋愛らしい恋愛を経験せずに生涯が終わってしまう人もいる。実に様々な愛情生活のパターンがある。しかも、愛情生活と言うのは “結婚”が終着点ではない。ほとんどの場合、結婚は幸せを願って行うものなのだが、必ずしも幸せになれるとは限らない。結婚したことで種々な不幸を背負ってしまったケースを私は多数見て来ている。そういう意味ではこれほど“摩訶不思議な実態”で我々の人生や運命を左右している魔物も他にない。

単純に“既婚”が良いとも“未婚”が悪いとも言えたものではない。それでも多くの女性達にとって“結婚”が“一つの愛の終着点”として認識されていることだけは間違いがない。そして、そのゴールを目指して恋愛のスタートが切られていることも大多数が認めるところだろう。多くの人にとって、恋愛・結婚は意図的に行うものではなく、いつの間にか辿り着いていたもので、そういう点では“運命”が左右している部分が大きい。だからこそ多くの人達は占いに“その活路”を求めて来るのだ。少なくとも“恋愛のない人生”より“恋愛のある人生”の方が良いし、その結果として“幸福な結婚・家庭”に結び付いていくのがより望ましい。占いがそのための“道しるべ”となることが出来るなら、これに勝る喜びはない。