1月, 2011年

生き物としての「本」

2011-01-25

暮れから正月にかけて私にとっては“苦悶する日々”であった。12月29日からウイルス性腸炎というものに掛ってベッドの上で七転八倒したのだ。その日、午後から翌朝にかけて4度も大量に吐いた。ただ事ではない。胃液の全部が“出尽くした”というくらいに吐いた。きっと、何かしら良くないものを食したに違いない。それが何なのか分からないので、より恐怖だった。体調を回復するまで5日くらいを要した。最初、高熱も出たので、もしかしたら“何か悪い病気”なのではないかと緊張した。普段、健康な私は病気になると妙に慌てる。

結局、おせち料理というものを食べる機会を失った。せっかく奮発し高級ホテルのおせちが運ばれて来ていたのに、食べれたのはお粥のみであった。何しろ、怖くて生ものに手が伸びないのだ。以前からそうだが、私は病気になると“野生動物”に似て来る。野生動物は病気になると本能的な行動を取る。まるで自分自身が医薬の知識を持っているかのように振る舞うものだ。それと同じで、こういうときはどうすれば良いのか本能的に察知する。だからとりあえず、お腹を空にした方が良い。その後のお粥も少量だけが良い。一応、医者から薬も貰ったが、お腹の中がごろごろ言って正直逆効果だった。

占いでもそうだが、世の中“逆効果”ということは珍しくない。よく姓名判断でも改名して逆効果となってしまう例は多い。気学でも風水でも、なまじかじっていると妙な時間に目的地に出発したり、家具類を不自然に置いたりして逆効果となるケースは多い。不自然なのは姓名学であれ、気学・風水であれ、誤った教えなのだ。

それはともかく、体調が良くなって最初に出掛けたのは普段は行かない密教系寺院だった。別に最初から行こうとして行ったのではなく、何となく病み上がりで長蛇の列に並ぶのは嫌なので、途中から並ばなくても“厄除け払い”してもらえる寺院へと変更したのだった。奇妙なもので、そういう所へと行くと“もう完全に大丈夫”といった気分になって、デパート催事場へと足を伸ばした。古書展示即売会が行われていて、正月だから閑散としているかと思いきや、意外と人が溢れていた。私は時々この催事場や古書専門店へ行って古典的占術書などを物色する。インターネットを利用することも多いが、ネットは実物を見られないので、よく失敗するのだ。暮れにも東京や名古屋の古書店から何冊か送本してもらったが、失敗した。私の場合、書名だけで購入を決めるので、外れると一銭の価値もない。例えば『観相学秘伝秘法録』という書名に惹かれ注文すると、実際には人類学の研究書で“観相学”とは程遠い内容だったりする。それでも古書はキャンセルが難しい。そういうこともあって、デパートの催事場のように中身を判断したうえで購入できる所はありがたいのだ。

いつものようにぐるりと一周しなければ気のすまない私は、ふと或るコーナーで立ち止まった。十数冊の占い本が箱入りとなって展示されている。昔の本ばかりだが、こういうところでは滅多に見掛けない種類の占い書籍ばかりだった。何気なく捲ってみるとピンク色のペンで文書中に線が引かれてある。おやっと思った。その線の引き方に見覚えがある。いやいや見覚えどころではない。私の線の引き方ではないか。本の中の説明図解にまで線が引かれていて、普通は引かない箇所と箇所とを繋いである。こういう線の引き方を私以外はしない。何と偶然にもそれらは、私がかつて売った書籍類だったのだ。

それは今から25年以上も前、これらの書籍を売ったのは正確に言うと私ではなく、私の兄で、私に無断で売りさばいたのだ。その当時で1000冊は下らなかったと思うが、誰にどういう形で売りさばいたか、種々事情があって私は知らない。売りさばかれた私にも“非”があるのでどうこう言えないが、高額で今となっては入手困難な貴重な本も多かった。それらの内のごく一部が、こうして私の目の前に或る。私が購入した本にはところどころ“髪の毛”が混じっているのですぐ判るのだが、購入した後になってパラパラとめくって行ったら、髪の毛が何本か出て来たので間違いなかった。こうして私は自ら購入し、そして大昔に売りさばいた本を、今になって再度そのうちの何冊かを買い戻したのだ。

別に、どうしても必要―と言うほどの本ではなかった。ただあまりに懐かしく、しかも正月早々思いもかけぬところで出逢ったことが、私に買い戻しを要求したのだ。そう、それは本の方から「買い戻して欲しい」と訴えているよう私には思えた。古書というのは新書と違って、それを読んだ人の“念”のようなものが書籍から感じられることがある。私のように“髪の毛”や“ふけ”が挟み込まれているのは次の購入者に不快な印象しか与えるかもしれないが、線とか書き込みとかは、必ずしもそうとは言えない。前任者の“想い”のようなものが伝わって来て、微笑ましく感じることもある。私は昔、売れれてしまうことを想定していたわけではないが、よく書き込みをした。それは必ず、その書籍の不足している部分を補うような内容で、注記や附録のような意味合いを込めて書き込んだものだ。したがって、もし私の書籍を購入した方がいらしたなら、必ず、得した気分を味わうはずなのだ。もっとも潔癖感の強すぎる方は拒絶反応を起こすに違いない。

買い戻すといえば、私は以前、自分自身が著述した本を偶然見つけて古書店から購入した経験もある。当然のことながら、単に所有していた本よりも、自分が著述した本の方が買い戻すのは馬鹿らしい。しかも8000円もしたのだ。どうして、そんな馬鹿なことになったのかというと、自分の著作が種々な理由から手元に1冊も無くなってしまっていたからだ。自分で書いたものが無くなってしまうことほど寂しいことはない。実際に自分が使う、使わないはともかく何冊かは取り置きしておかないと、こういう馬鹿なことをしでかすこととなる。

今年、私は久しぶりで新たな著書を世に問うつもりだ。売れる売れないはともかく“波木星龍らしい”と思われる本にしたいと願っている。ところで私が過去に書いた書籍は、どれにしろ今となっては貴重で古書店価格も高い。高価となった金額で古書店から購入して下さった方達には心からお礼申しあげたい。そして、生き物としての“私の本”は購入者の頭脳で“生命”を得て、活躍してくれることを願わずにはいられない。

雷蔵とGACKTの眠狂四郎

2011-01-10

まだ幼い頃、私は兄に連れられて映画「眠狂四郎」を見た。何故か市川雷蔵という俳優の物言いと横顔に惹かれた。どこかもの憂い翳(かげ)があった。その独特な物言いにも、その横顔の表情にも、言い知れぬ翳があった。幼心で聴いた「俺に近づいた女はことごとく不幸になった…」というセリフも頭から離れなかった。いかにも役者らしい雰囲気の美男俳優として人気があったが、病気を抱えていたらしく30代であっけなく逝った。あの声には、あの横顔には“死が貼り付いて”いたのだ…と後で思った。大人になってから、改めて映画「眠狂四郎」シリーズを見る機会に恵まれたが、幼い時以上の感慨を持った。今の映画では表せない“時代劇としての美学”が貫かれていた。滅多に“剣を抜く場面”は見当たらないのだが、反って其れが“剣の達人”であることを証明していた。横顔や言葉や眼の動きの翳りが“人の命を奪う”虚しさを表しているように見えた。

あれから何十年も経って、再び眠狂四郎と出逢うとは思わなかった。しかし、今度の狂四郎は雷蔵ではなくGACKTという歌手・俳優だった。確かに美男という点では雷蔵には劣らない。ただ雷蔵のニヒルさは天性であり、占星学的にも“グランドクロス(大十字形)”惑星配置を出生図に持って生まれた役者だからこそ描き出せた世界でもある。時代背景として描かれている“黒ミサの世界”や“宣教師の私生児”という出生秘話など、江戸時代の暗黒部分を描写するのに雷蔵ほどふさわしい役者はいなかったのだ。いや役者でなくても、惑星による大十字形をホロスコープに持って生まれた人が“十字架を背負って”人生を歩んでいることを多くの事例から知っていた。私は100歳を超えながら毎日仏道修行にはげみ続ける住職にも大十字形を見たことがあり、ピエロの詩集を出し続けている詩人にも大十字形を見たことがあり、九死に一生の事故に遭いながら超能力者として活躍した人物にも見たことがあり、半身不随に陥りながら作家として活躍した人物にも見たことがある。文字通り重い“十字架を背負って”生きていくことを宿命づけられた人達ばかりだ。

GACKTの生年月日が判然としないので何とも言えないが、出生年代から考えて惑星“大十字形”はない生れのはずだ。彼は彼なりに眠狂四郎を理解しようと努力したのだろう。それは何となく解かるのだ。この舞台にかける意気込みのようなものも、それなりに伝わる。ただ彼は眠狂四郎という人物の根本が解かっていない。眠(ねむり)は、決して社会に背を向けたアウトローなのではない。粋がっての浪人でもない。その道を歩むしかなかった“宿命の児”としての無頼の徒なのだ。現代的な観点から“無頼の徒”を捉えると無教養な者を連想しがちだが、それは違う。元々は武家に育ち、剣術の達人でもあるので、間違いなく幼い頃から、武家としての教育を受け育っている。立ち振る舞いについても当時の武家はうるさい。つまり深い教養・修業を基礎として独自の“円月殺法”に辿り着いたのであって、ただ単に喧嘩に強かったのとは訳が違うのだ。性格的にも、宣教師の血が入っているので冷酷な人物などではない。それなのに“無頼の徒”として生きていかなければならない“苦悩”が、眠に或る種“凄味”を与えているのだ。だから、そういう“壮絶な葛藤”が言葉の端々に滲み出なければ眠狂四郎ではない。その部分が、GACKTには解かっていないのだ。それゆえに言葉が軽くなる。感情を顕わにすべきでない部分で、感情的な物言いになったりする。諸行無常を知っている眠は、そう単純に感情を顕わになどしないのだ。感情を抑えた台詞回しは市川雷蔵の独壇場だった。何故、そうしたのかをGACKTには知って欲しい。もっとも、舞台演劇としての公演なので、やや誇張した表現を求められての演技なのかもしれない。そうだとすれば演出家の方に責任がある。もっとも舞台であるがための長所も存在し、背面映像を殺陣に取り入れて迫力を出しているのは大変に良い。映像・音・光が見事に調和し“円月殺法”の美的表現には見事に成功していた。成功と言えば、高齢の女性達が座席を多数陣取っていることには驚いてしまった。GACKTのファンなのか、それとも眠狂四郎のファンなのか、オペラグラスでしっかり見届けようとする人が多いことにも微笑ましさを感じた。昔、能の舞台を見に行った時、意外にも若い人が多数来ているのに驚いたことがあったが、今や年齢などお構いなく、それぞれの道を突っ走るような日本人が増えてきたことは“充実した日々の過ごし方”として、平和で善い国になった…証拠と言えるのではないだろうか。