3月, 2011年

大自然との向き合い方

2011-03-12

今年は年明けから自然災害が多い。寒波、火山噴火、大雪、大地震、雪崩など、さまざまな形で我々に襲いかかって来る。中でも、私が心を痛めたのは屋根の上に積もった雪を払いのけようとし滑り落ちて亡くなった多数の方達だ。北陸地方に多いが、北海道にも多い。しかも、そのほとんどは御老人たちだ。雪の多い地方では毎年必ずそういう事故が起きる。生活と密着しているだけに、何とか出来そうなだけに、ぜひ早急に手立てを打って欲しいものだ。不思議なことに、こういう事故の報道に対しては不思議にマスコミも“対策の急務”を騒がない。何故だろう。火山噴火や大地震に対しては異様なほど行政や科学方面への対応を促そうとするマスコミが“滑り落ちるご老人達”には沈黙したままだ。毎年百人以上が亡くなっているのに、一向に対策が施されようとはしない。もちろん、火山噴火の対策も、大地震に対しての対策も、雪崩に対しての対策も必要だが、その前に生活に密着し、毎年必ず死者が出る“雪下ろし”を放っておくのはどうしてなのだろう。その多くが“田舎の出来事”だからだろうか。“お年寄り達”だからだろうか。“注意すれば防げる”からだろうか。だが、現実に雪は降る。雪を払わなければ、家そのものが押しつぶされ危険なのだ。独り暮らしや、老夫婦では自分達でやるしかない。老人は足元が不安定だ。それに屋根の上は視界が悪い。滑り落ちるのは不注意ばかりではない。行政なのか、科学技術なのか、建設業者なのか…何なのか解からないが、とにかく黙っている手はない。対策は急務な筈だ。

自然災害に“運・不運”はつきものだ。今回のニュージーランドの大地震でも、大地震の前日に現地入りして事故に巻き込まれた人がいる。そうかと思うと、その日に限って友達からランチに誘われ、崩落したビルの外で食事していて助かった人がいる。注意力のあるなしとは無関係の運・不運のなせる技だ。私なども、これまで何度か危険な状態に出くわしたが、不思議と間一髪で救われてきた。イタンキ海岸の岩場から滑り落ちた時にも仲間がタイヤの浮輪を投げ入れてくれ助かった。登別の地獄谷に滑り落ちそうになったときにも間一髪地元男性が腕一本で支えてくれ助かった。横断歩道で自動車に衝突されたときにも身体が宙に浮き、雪が積もった路上に叩きつけられたのでクッションになって助かった。事故には確かに運・不運がある。

手相では、よく生命線が短いとか切れ目ある人は若死にし、切れ目も乱れもなく長くグルリ取り巻く生命線は長生きだと言うが、あてにならない。切れ目も乱れもない立派な生命線でありながら二十代で事故死した人や、四十代で病死した人を知っているし、大きく割れた生命線でありながら何度も九死に一生を得ている人を知っている。人相では“長寿の相”というのがあり、眉毛長く、耳毛長く、法令長く、側面に茶斑が無数に出るのは“長寿の相”とされている。私の父親は眉毛が極端に長く3本ほど10㎝以上あったが床屋さんが気を利かしたつもりで切り揃えたら、とたんに体調を崩して亡くなった。私も最近3㎝ほどに長くなったので切り落とされないようしなければならない。

いつも思うのだが、地球は生きている。その生命活動の一環としての火山噴火や大雪や寒波や大地震や雪崩や大雨や土砂崩れや台風や熱波や雷…なのだろう。大昔の人達が大自然現象に対して“神々”と恐れ崇めたのは実は正しかったのではないのか。地球が生命体である以上、人類にない力を持ち、人類をどうにでも出来る以上“神々”として恐れ、崇めるのは自然な姿なのかもしれない。実際、それに対して“神々”である“地球生命体”は、その地域の人々を天災から守り保護してきた。それがたとえ偶然だったにしろ、実際奇跡的に守られた人々がいたことは歴史的事実だ。もちろん、自然崇拝に立ち戻れ―と呼び掛けるつもりはないが、何かしら昨今の大自然と現代人との間に溝が生まれて来ているのは事実のような気がする。

現代のエジプトと古代のエジプト

2011-03-02

エジプト情勢が緊迫化している。

どのような政権でも、あまりに長期化した独裁政権に“歪み”が生じて来ることは過去の歴史が証明している。今回の「ムバラク政権」等まさにその典型であって、29年間にわたって大統領として強権を行使し続けたツケが今一気に噴出したのだと言える。

現代エジプト人の九割はイスラム教の熱心な信者だ。カイロ市内にはいたるところにモスクがある。タハリール広場に集まった人々の礼拝姿に象徴されるように、彼らイスラム教徒はとにかく信仰心が強い。私がエジプトを旅した時にも、どの地域のホテルに泊まろうとも、アラーの神を讃える音声は聞こえて来ていた。拡声器を使って朗々とコーランを唱え続ける声、集会への呼び掛けを誘い続ける声は1日5回、その第一回目は朝の5時から始まるのだ。モスクの位置がホテルに近くても、遠慮など一切ない。だから当然、寝ていられなくなる。よく旅行者から文句が出ないものだ。いや、あれだけ当然のごとく行われると、旅行者もうかつに抗議出来ない厳粛さが漂うから不思議だ。銀行等でも“祈りの時間”は両替をしてくれない。仕事よりもアラー(神)の方が重要なのだ。

そういう人達が反政府運動を起こし「ムバラク打倒」を叫んでいる。一般的な日本人の感覚からすると、信仰心の強い人達が激しい言葉や行動で大統領を引き摺り下ろそうとするのは異様に映るが、彼ら自身に矛盾はない。実は古代エジプトの人達も、歴史を紐解けば同じようなことを行っていた。だからこそ、古代エジプト王朝は一時期、無政府状態の時代があったのだ。第六王朝末期や第十八王朝末期がそれだ。“ピラミッド”や“王家の谷”が破壊され、そこに眠っていたミイラを引き摺り出すとか、黄金の副葬品を持ち逃げするとかした。もっとも、その時の信仰対象はイスラムの「アラー」ではなく太陽神「ラー」であったり「アメン」であったりした。

つまり、エジプト人というのは信仰心それ自体は厚いのだが、黄金には眼が眩みやすい人種なのだ。

実際にエジプトへ行くと解るが、現代のエジプト人は多様な民族の集合で、必ずしも古代エジプト王朝人種と同様な人種ばかりではない。ただ、数多くの彫像とかレリーフとかに残されている王朝人種の末裔と思われる人達が多数残っていることも事実だ。それはあまりにも古代の彫像に顔立ちが似ているので一見して分かる。それ以外にも、明らかにギリシャ系顔立ちの人達、アラブ系顔立ちの人達、ヌビア系顔立ちの人達もいる。王朝末裔の人達は、例えば“お土産ショップ”の店員であっても何処となく気品があり、日本人びいきのような気がする。プロポーションもセクシーである。私が話をした女店員は、弟が日本の名古屋で働いている…と言っていた。旅行社から出迎えに来てくれた男性はディーヴ・スペクターに似た王朝顔で、ダジャレの方も似ていて、古代エジプトでもこのような神王がいたに違いない…と思った。

現代のエジプトは若者の失業率が高く、収入格差も広がっている。或る意味、今、世界中が抱え始めている問題がデフォルメされているだけの話なのかもしれない。そういう意味では日本にとっても他人事ではないのだ。観光産業主体の国であるから、治安の悪化は即国益に影響をきたす。そればかりではなく、人類全体の“歴史遺産”を多数抱えるエジプトにとって国内での争いごとはタブーなはずだ。ファラオたちも嘆いているに違いない。

嘆いているといえば、現代のエジプトはイスラム教徒が大多数だが、少数ながらコプト教徒もいる。このコプト教というのは、原初キリスト教を普及させるに当たって、古代エジプトの神々を多少アレンジした形で取り込んだ宗教とも見られている。本当にそうなのだろうか。私は前々から疑問を持っていて、もしかしたら、原初キリスト教の聖書原典は“古代エジプト神話”の方にあるのではないか、という仮説を持っている。場違いなのでここでは深く追求しないが、随所に似た物語が存在していることは事実だ。

古代エジプト王朝期には、古代の日本と同じく“八百万の神々”が存在し、信仰されていた。中でも「ラー」「ホルス」「アトウム」「アテン」「ケペル」等“太陽神”を表す名称の神々が多い。古代日本でも同じように「天照大御神」「天照大神」「大日簋貴神」「天照坐皇大御神」と多数の“太陽神”を表す名称表記がある。似ているのだ。古代エジプト王朝の“ファラオ”も、日本の“戦前までの天皇”と似ていて“生き神様”として扱われていた。基本的には“独裁君主”だったのだが、王のブレーンで“信仰を背景とする神官軍団”と対立することも多く、ほとんどの王朝衰退には神官軍団の関与があった。現代のエジプトにおいても、イスラム・スンナ派が強く関わっていることは否定できない。

それにしても、古代エジプトの神々はもはや自分たちを信仰してくれない現代エジプト人達に“巨大な観光収入”を与え続けている。現地ガイドに、私がさりげなくそれを問いただしても、古代エジプトの神々は収入源ではあっても“信仰対象”としては全く興味なさそうであった。そして、器の大きい古代エジプトの神々はそのことを現代エジプト人達に知らしめたくて、今日のような“危険な状況”をもたらしているのかもしれない。