9月, 2011年

“紳助問題”が意味するもの

2011-09-21

“黒い交際”の発覚によって、島田紳助さんが芸能界から消えた。“お笑いブーム”と呼ばれていたものを牽引してきた人物の一人だけに、各方面への影響は計り知れない。私は以前、このコーナーで近年のTV各局があまりにも“お笑いタレント達”に依存し過ぎて、その手の番組ばかりが増え過ぎ、どの時間帯、どの局を入れても、どういう番組であっても、必ず“お笑いタレント”が混じって来ている現状に警鐘を鳴らしていた。もちろん、愉しく笑わせること自体は悪いことではないが、それだけが“世間を生き抜いていく知恵”でもあるかのような押し付けには疑問を感じることが多かったし、学校や企業や役所までがそういうブームを後押しするような風潮は賛成出来なかった。

そういう意味では、TV局にも反省材料を与えるいい機会になったのかもしれない。大体が「お笑いブーム」が続くこと自体、景気下降気味であるのサインだと統計的には示されている。決して良い兆候ではないのだ。もちろん「笑う門には福来る」で、生活の中に笑いは必要だ。震災時のように深刻な内容の番組ばかりが続くと、見る側も憂鬱になって来る。ただ昨今のTV番組は“作り”が多く、自然に笑えるような内容ではなくなっているトークも多い。心から笑える内容や話しなら良いのだが、作られた笑いは一瞬愉しいが、心からは笑えない。

そういう“笑いのブーム”を牽引してきた一人が、間違いなく「島田紳助」だった。今回の出来事は、彼一人の問題だと済ませられることではない。昔から、芸能人、スポーツ選手、政治家が思わぬところから「黒い組織」と関係を持ってしまうケースは多い。特に本業以外で何らかのか商売・事業を展開している芸能人・スポーツ選手・政治家などは組織から狙われやすく、誘い水に飛びつきやすい。もっとも、芸能人を狙っているのは「黒い組織」だけでなく「宗教組織」「政治組織」「ギャンブル組織」など様々ある。社会的に有名で人気がある芸能人は、組織の拡大とか、組織の宣伝とか、組織の正当性とかに利用しやすいのだ。だからこそ大企業も“好感度タレント”をCMに起用したがる。時に宣伝など必要が無いような企業がCMを流すのは人気獲得だけでなく“企業としての存在感”や“企業としての正当性”をアピールする狙いもある。タレントの方からすれば、企業のCMを引き受けるということは“その企業の顔”になるということで、本人の人気が上がれば企業にとってもプラスだが、事件等起こせばその企業のイメージダウンは避けられない。時に莫大な「違約金」等が発生するのは当然だとも言える。

近年は「宗教組織」と有名人との関係や、「国籍問題」と有名人との関係も、よく取り沙汰される。後者は「政治組織」が絡んでいるケースも多く、中々に複雑で根の深い問題だ。日本という国は、これまで国の中であまり民族とか人種とか宗教とかで紛争することの少なかった所だが、それは一つには日本人が単一民族(厳密にはアイヌ民族が存在している)で、比較的まとまっていたからだが、国際結婚が増え、海外からの外国人居住者が増えてきた現在、今後の「日本」が世界に向けて、人種的に、民族的に、宗教的にどうあるべきなのか、明確な指針を打ち出していくべき時代に入ったと言えるだろう。フジTVに対しての抗議デモなども、ただ単に「韓流」氾濫の問題だけではなくて、外国とメディアの関係、外国人とメディアの関係、政治とメディアの関係、宗教とメディアの関係、外圧と TV局との関係―さまざまな問題の一環として捉え直していくべきで、決してフジTV一局だけの問題ではないように思われる。

黒い組織とメディアとの関係も、そういう意味では同じ土俵にある。関西系のTV局の中には“持ちつ持たれつの関係”も存在するかのような報道もある。いや、もっと根本的な問題まで遡れば、関係機関という微妙な形でなら一般企業と黒い組織との関係も100%断つのは業種によっては難しいかもしれず、知らずに関わっている場合もないとは言えない。企業だけでなく我々一般人にしても、知らずに関わってしまう可能性が無いとは言えない。例えばネット企業には、そういう意味で妖しい企業が沢山ある。さまざまなサイトの運営は通常の商店や事務所と異なり、顔が見えない。顔が見えなくても“サイト運営”“ネットビジネス”“ネット販売” “ネット商法”は可能なのだ。俗にいう「出逢い系」の運営等、微妙な企業が沢山あるような気がするのだ。もちろん、それらの中には真面目で優良な企業・経営者も沢山いると思うので、全てを色眼鏡で見ることは出来ない。我々は微妙な世界の真っ只中で、勘を働かせて生きていかなければならないのだ。

歴史の転換期が近づいている

2011-09-02

今年に入って我が国の国内事情が穏やかでないせいか、あまり世界の国々の出来事や変化についての報道を多く見掛けない。それだけ、今の日本は“自分の国”のことだけで手一杯なのだとも言える。確かにその通りなのだが、今一度世界を垣間見てみると、欧米にしろ、アジア諸国にしろ、イスラム世界にしろ、どうもこれまでとは様々な面で一緒ではなくなって来ているようなのだ。我々はともすれば日本だけが“天災”に遭って、困っているように思いがちであるが、実際には世界のあちこちで抑えられてきた問題が噴出している。それが証拠に、世界の主要な株価はいっせいに落ち込んでいるし、主要な通貨も「円」「スイスフラン」以外は大きく下落している。よく「円高」と言うが、実際には「円&フラン」意外が下落したことで、相対的に上がっているだけにすぎない。したがって、或る時、何もないのに急速に“円安への梶が切られる”ということはあり得る。もっとも、そうなってくれた方が日本経済にとってはプラスに働くことが多い。今の日本経済が冷え込んでしまったのは、円高の影響も大きいからだ。

よく円高になれば、海外旅行とか輸入品とかにはプラスに働き、その恩恵を受けられるというが、原油が高止まりしているので「サーチャージ」がプラスされ、輸送費が掛り、原材料費も値上げしているもの多く、結局メリットなどほとんどない。円高は日本経済にプラスにはならないのだ。だから韓国など国策として「ウオン安」を導入している。円高になると、それでなくても落ち込んでしまった海外からの観光客の来日にも影響が出る。せっかくアジア諸国の経済力が上がって、日本国への関心も高まっているのに、地震、放射能、円高で足止めをかけるのは、残念としか言いようがない。

それにしても、ここに来てアメリカ経済に陰りが見え、イギリスでは暴動まで起き、スペインの若年層の失業率は45%にまで跳ね上がり、イタリアも危うく、ギリシャ、ポルトガルの出口も見えない。ブラジル経済も不安要素が出て来て、頼みの中国も不動産を初めとする“バブル”の可能性が指摘されている。アフリカでは各地で独裁者が淘汰され、イスラム圏にも不満がくすぶっている。タイは落ち着きを取り戻したように見えるが安心は出来ない。経済の躍進が著しいマレーシア、インドネシア、フィリピン、ベトナムも火種を抱えている。奇妙なことに世界の経済は徐々にその格差をなくしつつあるが、牽引役がだれ一人いなくなってしまった。つまり、それぞれが貧しさからは脱出しつつあるが、経済的にも先進国だったはずの欧米各国や日本は今や“じり貧状態”で、世界をリード出来なくなっている。経済面だけで言えば、アラブ世界には歯が裁たなくなっている。もっとも、アラブ首長国連邦などの経済強国も一時ほどの勢いはない。中国やインドやロシアやブラジルの新興国も、全体的な豊かさとは言い難く、精神面や倫理観などの総合的評価も加えてリーダーシップを握れる国はなかなか見当たらない。

ただ、歴史を紐解けばわかるように、時代はそれぞれの国家・文明・民族に対して“栄枯盛衰”の転換期を与える。決して“永遠に繁栄し続ける国家・文明・民族”等ないのだ。例えば紀元前には3000年間もの長期に亘って、古代エジプト文明が栄華を競った。けれども、その後古代ギリシャ文明が花開き、ローマ帝国が領土を拡大し、ジンギスカンのモンゴルやオスマントルコが勢力拡大した時期もあり、ナポレオンがヨーロッパを席巻した時代もあった。当然のことながら中国や日本にも、それぞれの時代の盛衰が刻まれている。

勘違いしがちだが、第二次世界大戦後に生まれた世界の枠組みや秩序を“永遠のもの”と錯覚することなど出来ないのだ。それはちょうど我々の人生が、良いことばかりが続くこともなく、悪いことばかりが続くこともないのと同じようなものなのである。戦後“生まれ変わらなければならなかった”日本国は、今また震災・津波・放射能によって“新たなる出発”を嫌でも行わなければならない状況に追い込まれているが、それは日本国ただ一国だけなのではない。アメリカも、イギリスも、ギリシャも、スペインも、もちろん他のヨーロッパの国々も、中国をはじめとするアジアの国々も、ほとんどの国々が、特に“経済的な時限爆弾”を抱えていて、生まれ変わらなければならない必然性に迫られている。何度も言うようだが、日本一国の話ではないのだ。世界通貨が連動し、世界の株式が連動している以上、全世界規模での“大きな転換期”が身近に迫っている―とも言えるのだ。今度は、どの国が“世界の覇権”を握って、世界をリードしていくことになるのか、現代文明を根底から覆す発明・発見は生まれるのか、歴史の転換は徐々に来るのか、それとも一気になのか―それらもろもろ「地球規模ミステリー」が、いま静かに幕を開けようとしている。