12月, 2011年

「占い」の進歩と後退

2011-12-30

近年になって私は海外に出向くたび、その国の言語で書かれた占いの書籍を何冊か購入してきた。中華系言語の書籍がもっとも多いが、英語、タイ語、ハングル語、インドネシア語、ドイツ語、ベトナム語、アラビア語等…実にさまざまな言語で書かれた占い本を日本に持ち帰った。手相に関する本がもっとも多いが、人相、占星学、風水、紫微斗数、易占など図解・写真・実例が多いものを主体に収集してきた。ほとんどの場合、文章がきちんと読めるわけではない。占いの本なので、何となく書かれてあることが感覚的に理解できるが、実際にきちんと把握できているわけではない。それでも、実例が多数掲載されている本や、独創的な研究が記されている本は、私の新たな研究意欲を刺激する。そういう点で私には有益なのだ。

日本では書店巡りをしても、最近はあまり刺激のある占い書籍と出逢わない。続々と新刊は出ていても、どれもこれも似たり寄ったりの内容で、独自の研究とか、多数の実例データによる実証とか、新たな新説・奇説とか、既存の通説に対する批判とか、その人にしか発表出来ないような占い書籍や秘伝書というものをほとんど見かけない。確かに日本の占い書籍は海外と比べて解かり易く、図解や表記が整理され、文字配列も整っていて、一般読者が読み易い内容となっているものが多い。けれども、歳月を掛け研究・実占してきた結果として、自分が心血を注いで書いたという―自負というか、情熱というか、気迫というか、我々読者の心に迫って来るものがあまりにも乏しい。

もちろん、これは著者ばかりを責められないことで、出版社側も大多数の読者達も“易しいもの”“解かり易いもの”“面白いもの”を占いに求め過ぎた結果が招いたことなのだとも言える。今年訪れたベトナムは社会主義国家で表面上は占いを禁じている国なのだが、大型書店で売られていた多数の占い書籍はいずれも百科事典のように分厚く大判のハードカバー本で、日本の占い書籍とは比べ物にならない。しかも書店内の中央部分の一角を山のように埋め尽くしていた。中華系の占い書籍もあれば、西洋系の占い書籍もあったが、総じて大判・百科事典型でもう少し小型で薄ければもっと購入して帰れたのに…と残念でならない。多数の本が売られるということは、当然購入していく人も多数いるということで、日本でならこういう専門書的本は並べても売れないと思うので、そういう意味でも興味深かった。そういえば、かつては共産圏だったチェコのプラハでもオカルト書店は存在し、多数の占い書籍が並べられていた。しかも、本格的な分厚い占星学書が多かった。ヨーロッパの書籍は総じて図解や写真が少なく見た目に地味で華やかさや解かり易さに欠ける。その代わり入門書は実例を多く掲げている本も少なくない。ヨーロッパの書籍価格は比較的高く、インドネシアの書籍価格の5倍以上するのが普通だ。マカオの占い書籍も驚くほど安かった。私の場合、文字が読めなくても感覚的に分かり易い手相書の数が多いが、それぞれの国にはそれぞれ固有の見方、判断の仕方というものが時々存在する。そういう見方を知って、研究意欲を掻き立てられることもある。

あらゆる学術が日進月歩の時代、占いだけが立ち止まってこのままで良い筈がない。ところが日本の占い業界では誰ひとりとして危機感を共有する研究者がいない。大体、日本には本当の意味で研究者と呼べるような占い師が見当たらない。それが証拠に“占い界の大御所”とか“占いの第一人者”とか呼ばれているような人で、未来を見据えて占い学識や技術を総合的に探求していこうとする機関を設立しようとする動きが全く見られない。存在するのは、いずれも金儲け主義の機関ばかりで、いたずらに権威付けばかりを優先し、少しも後世の人達の為に真摯にデータを取るとか、実例を集めるとか、新しい理論を構築するとか、客観的な検証を重ねるとか、学術らしいことには何一つ指を染めようとはしていないのだ。だから「占い」そのものは進歩が止まっているどころではなくて、むしろ後退し続けている―という事実にさえ気付こうとはしていない。けれども、このようなことは何も占い業界だけなのでもなく、現代という時代だけなのでも実はないのだ。

例えば、今から4500年前のエジプトのギザでは、誰もが知っているような三大ピラミッドが作られた。あのピラミッド作製の技術は今日からみても優秀なものだった。より厳密にいえば、ギザのピラミッド群の中でも技術的に最も正確なのは「クフ王のピラミッド」で「カフラー王」「メンカウラー王」と続く。ところが、この順序自体、本当はおかしいのだ。誰もそれを指摘しないが、本来であれば、王位の順序はクフ→カフラー→メンカウラーなのだから、技術的にはメンカウラー→カフラー→クフの順となっていなければ技術の伝播としておかしい。つまり、後世になるほど技術が後退していったことになり、きちんとした技術の継承がなされていなかった可能性があるのだ。三大ピラミッド以降の時代に作られたピラミッドなどは見るも無残に砕け散っていて、技術の劣っていた(後退していた)ことを露呈している。

このように一見、歴史は徐々に進歩していくかにみえるが、実際には後退してしまうケースも多く、特に技術面はそういった要素を多分に持っている。占いの技術・能力にしても、明かに現代は進歩している分野と後退している分野とがあり、例えば「観相(人相)術」等、その後退の典型と言える。私が思うに、観相術は日本の江戸後期~大正後期頃がもっとも技術的に飛躍した時期で、それ以降は急速に技術継承が失われ、昭和後期を過ぎるともはや優秀な技術を持った観相家はことごとく喪われてしまった。そして、それと比例するように技術書としての観相学書も優秀な書籍は何一つとして出版されなくなってしまった。もちろん、ここでは観相のみを取り上げたが、他にもそのような形で失われていった占いの知識・技術は多い。私のように素質がないものではなく、もっと優秀な素質ある者が、このような事実に気付いて現状を打破すべく手立てを打ってくれることを願わずにはいられない。

恋愛なき世代

2011-12-09

近年の調査で未婚の男女(18歳~34歳)の内、男性は6割、女性は5割が今現在付き合っている相手がいない―という結果が出たらしい。又、若い世代に限って言えば、SEXそのものに拒否感を持つ人達が、その内3割近くにも達しているらしい。しかも、このことを香港等外国の新聞が「日本の少子化の深刻さ」という形で報道している。その一方、未婚の男女で「いずれは結婚したい」と望む人達も9割弱存在する。つまり、本当は結婚したいのだが、今現在は誰とも本格的な付き合いがなく、どうすれば恋人を得られるのかが解からない―という人達が増えてきているのだ。また近年は処女・童貞の比率も高くなり、先のデータのようにSEXへの拒否感・嫌悪感を抱く比率も急上昇している。これらは、いずれも私の若かった頃には考えられない比率で、いかに今の時代・教育・世相が若者達から“自然な恋愛や結婚やSEX”を奪い取ってしまったか、或る意味では世界で“もっとも孤独で愛を忘れた若者達”を輩出しているか―如実に表す数字として興味深い。多くの人は気付いていないが、日本の若者のこのような状況は、実は世界的に見たとき、良くも悪くも“最先端を行く数値”であると私には思えるのだ。何故なら過去の歴史上では、どの時代・地域でも恋愛やSEXへの拒否感が強く働くことなどありえなかったからだ。そして日本が数値的に急上昇しているので目立つけれども、外国でも先進国ではその兆しはいろいろな点で見受けられている。

人は教えられて恋愛をしてきたのではない。いわば本能として恋愛し、SEXし、結婚し、子供を作ってきたのだ。生物学的には♂♀の生殖行為は自然発生的なもので、人類もまた同様だった。ところが、さまざまな要因が混ざり合ってのこととは思うが、恋愛感情が生まれない、性的欲求が生まれない、或いは拒否する10代半ば~20代前半の世代が日本では秘かに膨張しつつある。近年になって、同性愛者が急速に増えつつあることも、これらと無関係ではない。婚姻成立や子孫繁殖にストップをかける恋愛の仕方だ。あれほど家庭的だったはずの日本人はどこへ行ったのか。あれほど結婚が当たり前だったはずの日本人はどこへ行ったのか。実は「少子化」という問題以前に、ごく普通に恋愛をし、ごく普通にセックスをし、ごく普通に結婚し、ごく普通に子供が生まれる―という図式そのものが崩壊し始めている。少なくとも、若者たちの意識とか頭脳とかでは“それも一つの選択肢”に変わりつつあるのだ。

もちろんこのような考え方が悪いというのではない。或る意味で、あらゆる生き方を認める“自由の国”として好ましい。但し、それが蔓延していった時、間違いなく日本国家は衰退への道を突き進むだろう。日本では明治~昭和にかけ“お見合い制度”というものがあって、これが結婚・出産に大いに貢献してきた。未婚者の9割近くが意図的に独身を貫こうというのではなく、いつかは結婚したいと捉えている今なら、そのチャンスを多数設けてやるのが、軌道修正可能な現代の日本国としての責任ではないだろうか。そういう意味で、どうやって付き合う相手を求めて良いか解からない独身者達に、昔のような“お見合い制度の復活”が有効なような気がする。元々日本人は社交生活というのが苦手な国民性を持っている。だから政治でも外交能力が劣っているのだ。私の云う「お見合い制度」はどちらかと云えば明治~昭和にかけ行われていたもののイメージに近く、平成以降の“お見合いパーティ”とか“結婚相談所”とか“婚活コンパ”とは微妙にニュアンスが異なる。もちろん、それらでも良いのだが、もっと“一対一のお見合い”、及び“仲介者の意見を尊重する決定”に基づくお見合いの方が実際の結婚には有効なような気がするのだ。又、最初にメールのやり取り等を重ねて、互いの結婚条件とか、結婚生活の考え方とか、そういう部分を知った上で逢う形を取れば、決断を下し易いように思われる。さらに重要なことは“お見合いから結婚まで短期間に執り行うこと”で、最初から結婚の意思を持って行うお見合いに、決断まで半年以上を掛けるのは無意味なことと言える。もし、迷うようなことがあったら、占い師に見て貰って判断するのも一つの方法で、結論を引き延ばしにしている内に壊れてしまったケースはあまりにも多い。

平和で物静かな朝

2011-12-03

東南アジアの国から日本に戻って来ると、我が国がいかに平和で物静かで美しく整備された国であるかが解かる。インドネシアでもタイでも感じたが、今回訪れたベトナムほど“オートバイで埋め尽くされている国”は他にない。とにかくオートバイの数が多い。異様なほど多い。何処にでも乗りつける。歩道にも平気でバイクは乗り上げて来る。だから怖いのだ。車の隙間を縫うように走り過ぎていく。まるで暴走族に追いかけられてでもいるような不思議な圧迫感がある。慣れないと道路を横切るのが難しい。これはエジプトでも感じたし、インドネシアでも感じたものだが、とにかく人が横断歩道を渡っていても、平然と次々車やオートバイが通り過ぎていく。青信号とか、赤信号とか、あまり関係が無いのだ。もしも途中で怯えて立ち止まったりすれば、間違いなくその人はオートバイに跳ねられる。ここではいったん横断歩道を渡り出したなら、途中で止まることなく普通の速度で渡り続けなければいけない。足が悪くても、老人や幼児で歩みが遅くても、一般的な速度で歩き続けないと跳ねられる可能性がある。とにかく青や赤の信号機を鵜呑みにすることなど出来ないのだ。信号機絶対の日本人にとって、眼の前に飛び出してくる車やバイクを常に意識しなければ道路を歩けない街は日を追うごと苦痛になって来る。車やバイクからの警笛音も四六時中聴こえて来る。街中が警笛音だらけなのだ。ホテルの窓からもそれは響いて来て日本人の神経を逆なでする。一週間もいれば普通それらの音に慣れていきそうなものだが、最後まで慣れることは出来なかった。第一、横断歩道の信号機そのものが、あまりにも少なすぎる。信号機があっても車用の信号機で、歩行者用の信号機が無いのだ。だから交通量の激しいメインの道路を向こう側に渡るのには、或る種の勇気と決断を必要とするのだ。実際、多くの人が横断歩道の途中で困っている姿を見かけたものだ。しかも、観光客が困っていても、誰も地元の人が手を貸すでもない。おそらく日本なら、お年寄りなどが困って立ち往生していたなら、誰かが手を貸したりするだろう。そういうような意識や様子はホーチミン市民にほとんど見掛けない。うろうろしてるんじゃない―とでも言いたげに警笛音を鳴らしながらバイクで走り過ぎていく。しかも、歩道自体が狭い所が多い。或いは歩道自体は狭くなくても、その歩道にバイクや人や物が置かれているため実質歩道が無くなってしまっている箇所も多い。だから車道の端を車を気にしながら歩かなければならないのだ。

多分、日本は特に私が暮らす札幌市内は道路等いたるところが整備されていて、碁盤の目のようになっていて道幅も広く、そういう面で街歩きに不安を感じないから、余計に喧騒とした街が怖く感じられるのだろう。とにかく横断歩道だけでももう少し増やして歩行者用の信号機も取りつけて欲しいものだ。そうでないとせっかくの観光客がおびえることになる。いたるところで建設途中の工事現場があり、バイクも多いせいで街全体が妙に埃っぽいのも気になった。日本に戻っても喉のイガイガが取れない。もうひとつ、治安の悪さも観光客を怯えさせる原因になっている。スリや引ったくりや騙し商法も多い国なのだ。私は昔、イタリアで観光馬車に乗って大金をふんだくられた経験がある。料金表示をしていない国はそういう部分があるから注意しなければならない。日本人は料金交渉というものに慣れていないので、ついそれを忘れて乗り込んでしまうケースが多い。またイギリスでは危うくバッグをひったくられそうになった記憶がある。何人かが私の後ろに来て歌い出し、徐々に接近し、バッグを触り始めていたところで振りかえったら、あっという間に居なくなった。そういう海外の街に比べれば、日本は天国である。余程のことがなければ気を許して歩いていても心配はない。我々はともすればこの平和で自由で不安のない生活に慣れてしまって、日本の国に暮らすことの良さを忘れがちになる。基本的に誠実さと勤勉さを持っている日本人という人種に生まれてきたことへの感謝も忘れがちとなる。そう我々は素晴らしい素質や性質を祖先から授かっているのだ。先ごろ「世界で最も好感をもたれている国」のランキングで日本は第一位であったらしい。毎日、ホテルの窓から外の喧騒が聞こえていたせいで、我が家に戻って物静かな朝を迎えると、それ自体が素晴らしいことのようにさえ感じる。刺激の少ない国ではあるが、穏やかな日々を送ることで我々は長寿の国になっているのに違いないのだ。