9月, 2012年

愚かなる争いを防ぐために

2012-09-17

ロンドンオリンピックで浮かれていた日本の国に周辺諸国からの魔手が伸び、いつの間にか奇妙な包囲網が敷かれつつある。韓国が竹島の領土権を主張し、大統領自ら現地に乗り込むという理解しがたい行動に出て、中国が尖閣諸島の領土権を主張し、活動家たちが魚釣島に乗り込んだだけでなく、全土で若者達を中心とした領土権の主張と反日運動が展開され、北方領土の方には既にロシアの閣僚が乗り込み実効支配が行われ、沖縄の米軍基地移設問題も頓挫したまま月日だけが流れ、徐々に日本の領土が周辺諸国から侵食されて不穏な空気が流れ始めている。

前にも書いたが、民主党政権に変って以降、日本の領土が徐々に狭まっていく不安が拭いされない。一番の問題点は明確なビジョンが見えないことだ。今後、領土問題に関してどうしていくのか、どうしようとしているのか、何が出来るのか、他国からの侵略や干渉をどう防ぐのか、日本国としての威信をどうやって保っていくのか等、何一つ明確なビジョンを知ることが出来ない。もしかしたら、何一つ持っていなかったのかもしれないが、それならそれで早急に持たなくてはならないし、対策を打たなくてはならない。

結局、日米間での基地問題の解決を先送りしたツケが今になって廻って来ているのだ。韓国にしろ、中国にしろ、アメリカが日本で見張っている間は大人しくしているが、アメリカの基地が日本から撤退するなら魔手を伸ばしますよ…というメッセージのようにも感じられる。韓国にしろ、中国にしろ、今日のような経済発展がもたらされた陰には日本からの力添えがあったればこそなのだが、子供が親の有り難味を忘れてしまうように、どちらの国にも感謝の気持ちなどみじんもないらしく、逆に戦時下の怨念を未だにむし返していたりしている。何千年もの世界史の中で、それぞれの人種や民族、部族などが抗争を繰り広げて来たのが人類の歴史だが、完全な占領下が続いているならともかく、一応それぞれの国が平穏無事におさまっている現状を破壊しようとする行為は愚かとしか言いようがない。特に韓国は、近年これだけ日本の中で“韓国ブーム”が続いていて、その食品や化粧品や芸能活動や観光産業を支えてきたのに大統領の心ない発言はあまりにも日本人全般に対して礼を失しているのではないだろうか。

日本の国にとって怖いのは韓国よりも中国で、尖閣諸島に上陸したのが中国本土の活動家だけでなく、香港、マカオ、台湾の活動家も一緒になっていることで、つまり“中華が民族として一体化”していることにある。本来、中国、台湾、香港、マカオはそれぞれ異なった政治・思想であるかのよう見られてきたが、ここにきて急速にその距離を縮め、一つの民族として手を結び合おうとする動きが加速している。つまり“中華連盟”のような連帯意識が生れて来ているということである。どうしてそういう意識が生まれたのかというと、中華全体で“世界を支配したい”という野望を持っているからだ。世界第二位の経済大国となった中国にとって、その野望に待ったを掛ける国があるとすれば、それはアメリカでもヨーロッパでもなくて、日本国なのだ。経済力では問題なく勝てるが、日本という国は種々な面で欧米からの信頼度が高い。アジア諸国からも信頼度が高い。ただ単に経済力とか武力とかではかなわない統一性と信頼感と底力のようなものを中国人は感じているのだ。だから、日本国内がガタガタしている今、その日本を叩き潰してしまいたい―という本音を隠しているような気がしてならない。

さらに中国が怖いのは北朝鮮やロシアとも密接な距離感にあることで、地図上では無論のこと政治的にも経済的にも提携可能な位置にある。日本はこれらの国ともぎくしゃくしたままだ。要するに、今の中国は台湾、香港、マカオ、北朝鮮、ロシアと手を結び、日本を取り囲んで脅かす脅威を秘めているのだ。これまで日本はとかく北朝鮮だけを軍事的脅威であるかのよう錯覚してきたが、アメリカの基地が日本から無くなれば北朝鮮よりも中国の方が脅威になり得るのである。

先ごろ亡くなられた浜田幸一氏が盛んに「日本はアメリカに守って貰わなくて、どうやって生きていくんですか」と声高に叫んでいたが、彼の憂国の精神は必ずしも間違いとは言えなかったのだ。もちろん、日本国が自国だけで本土を守り切れるなら、それに越したことはない。けれども島国である日本は、資源の乏しい日本は、孤立して生き延びられる国ではない。そうであれば先ずは周辺諸国が手出しをしてこないような体勢を整えておく必要がある。そのうえで世界と手を結び、柔軟な外交を展開していく必要があるのだ。そういう基本的な戦略が今の政府からは感じられない。

終戦記念日特集で、第二次世界大戦の実写フィルムを繋いだ各国共同制作のTV番組があったので見てみた。客観的な事実だけを伝えていく手法に共感が持てたが、その中で改めて考えさせられたのは戦争時の“支配領域”についてだった。大戦の途中まで日本とドイツとは広大な占領支配権を持っていて、今の国土面積とは大きく違っていることだった。カミカゼ日本も武力によって世界を牛耳ようとしていたのだ。けれども結果的に見ると、その領土拡大・支配拡大の野望が敗戦を招いたような気がする。やはり日本民族は日本列島で暮らすのが良いことを神は教えようとしたのだ。やがて日本のバブル時代にも今度は経済によっての支配領域拡大を日本は無意識に目指してしまった。金に物を言わせて世界各国の不動産を購入しまくったのである。それもまた神は許さず、バブル崩壊という結末ですべてを失わせたのだった。

今、中国や韓国は日本のバブル期と似たような方法で世界各国に魔手を伸ばし始めている。日本と同じ轍を踏まないためにも、中国も韓国も他国に土足で踏み込まないような形で進出していくことを望みたい。かつての日本に学び、争いを避けながら世界の覇者を求めていくことこそ王道と言えるのではないだろうか。