10月, 2012年

世界共通語としての「日本MANGA」の役割

2012-10-18

「漫画」自体は世界中に存在しているが、子供達を引き付ける華やかな動きや内容を備えた漫画本・アニメという点で云うと、日本の作品は群を抜いていて、世界中の子供達から愛され、支持されている。15年ほど前ドイツの街を歩いていた時、母親に手をひかれた三歳くらいの坊やがピカチュウの人形を抱きしていたのを見て驚いたことがある。

実際、近年になって日本にやって来る若者達の多くが、日本の漫画本やTVアニメを見て育った人達である。子供時代の影響は強く、先日もウルトラマンやガンダムの撮影で使われた作品群が展示されていると言うので、たまたま立ち寄った会場には中華系の国から来ている若い旅行者二人が、熱心に写真撮影をしていた。宣伝が行き届いていなかったせいか、入場料が若干高いせいか、初日で時間も早かったせいか、我々以外には、その若者たちの姿だけしか見ることは出来なかった。きっとその若者達は私などよりアニメに詳しいのだろうと思った。

日本のMANGA・アニメは、今や世界中の子供達が見たり読んだりしていて、文化使節として多大なる貢献を果たしている。何よりも日本語の普及に貢献しているし、日本人の考え方、日本人の生活様式、日本人の情緒性を理解させる上で効果的なのだ。何処の国で育とうと、幼児期から日本のアニメや漫画本で過ごすことで、妙な云い方だが“日本人っぽい発想や雰囲気”が自然に身につく。教えて身につくのではなく、教えずとも身につくのだ。そうすると奇妙なことに、何国人であろうと、学ばずして日本語を話し、日本の文化・しきたりを理解し、日本社会に溶け込み易い若者を作る。

そういう若者たちがどんどん日本に集まり、日本で暮らし、日本人と結婚し、子供を産んで“新しい日本人”を誕生させるのが良い。あらゆる国との“ハーフ”が産まれ、あらゆる異国文化を受け入れ、育み、取り込んで、21世紀の「新たな日本」の文化を誕生させるのが良い。実際、日本の「安土桃山文化」というのはヨーロッパの文化・芸術を若干吸収して誕生した文化だった。「大正ロマン」と呼ばれた大正時代の文化・芸術の多くも、ヨーロッパからの影響を多分に受けている。日本独自の文化・芸術よりも、異文化の影響を受けながら新たに誕生したものの方が画期的な作品が誕生するケースが多いのだ。

前にも記したが日本の「MANGA・東京ファッション・和食」は、世界中に浸透しつつあり、世界中にファンを持っている。日本と日本人を理解させるという意味でも、これらの果たす役割は大きい。本当は日本の歌謡とか、小説とか、映画とか…そういうものもヒットできれば良いのだが、残念ながら今一つ世界的に受け入れられる…という状況までは至っていない。ただ、ここにきて受け入れられそうなものが二つ出て来ている。それは「AKB48」と「キティちゃん」だ。この二つは予想以上に海外からの受けが良い。しかもこの二つには共通点がある。AKB48もキティちゃんも先の「MANGA」と「東京ファッション」とを掛け合わせた存在だと言うことである。しかもオリジナルからの派生商品が次々と誕生している。間違って欲しくないのは、AKBはその歌謡曲としての「歌」が受け入れられているわけではない。振付とファッションを含めた“アニメキャラクター的な部分”が受け入れられているのだ。だから世界各地に真似たグループが次々に誕生したのだ。けれども結果的にそれらが、日本と日本人との理解につながり、日本文化全般の受け入れ態勢を整えてくれる。キティちゃんなど今や世界中のキャラクターとなっていて、そういう意味ではサンリオの果たした役割は大きい。

今は世界中がインターネットで繋がり、情報はアッという間に世界を駆け抜ける。島国であった日本は、欧米からも遠く、どちらかというと文化的輸出という意味では不利な国だった。それがここにきて島国であることのハンデキャップが無くなり、あらゆる国々に対して発信可能となって、MANNGAも、東京ファッションも、歌謡曲も、デザインキャラクターも世界に向けて一斉発売しやすくなっている。

ここ数日、中国では反日デモが拡大しているが、日本に来る中国人観光客の多くは身近な人達へのお土産として電子炊飯器を購入していく。つまり、今、中国人富裕層の多くの家庭では日本製の電子炊飯器が使われ、毎日食事しているのだ。その電子炊飯器を放り投げている中国人は今のところ見掛けない。これらを中国人全家庭が放り投げることが出来るなら、半日を訴えるのも良い。或いは日系企業に勤めている全従業員達の給料を投げ返すことが出来るなら半日を訴えるのも良い。それが出来ないのなら、あまり見苦しいデモを逸脱している行為は採るべきではない。

国際司法という場があるのだから、正しい主張ならば、そこに訴え出るのが正当なやり方であろう。中国マスコミもそれを政府に要望すべきである。