4月, 2013年

カンボジアの占いと占い書籍

2013-04-13

「アンコールワット」で有名なカンボジアへ行ってきた。予想以上に、アンコール遺跡群は広く、たくさんあり、どれがどれなのか、明確な判別が付けられないまま見学は終了した。印象としてはエジプトのピラミッド見学に似ている。砂漠地帯ではないが、土ぼこりが常に舞っていて埃っぽく、赤茶けた大地が剥き出しとなっている。エジプトのピラミッドと同じく、石造りの階段があちこちにあり、急角度で上り下りするのが結構大変なのだ。観る場所が大体同じなので、世界各国の観光客とどこに入っても鉢合わせする。感動的な夕日や朝日とアンコール遺跡のシルエットは天候の関係で写真のようには見えなかった。もともと私はそれをそんなに期待していなかった。過去にインドネシアのボルブヴール遺跡を訪れたとき見事な夕日とのコントラストに既に出逢っていたせいでもある。実際には“見事なシルエット”を浮かび上がらせる日は、年間を通して数多くないのかもしれない。エジプトのアブ・シンベル大神殿の朝日もそうだったし、バリ島の夕日も見れなかった。大体がこういうものは「必ず見れる」と思う方が甘いので、プロ写真家はそのために何度も何十度も通うのだ。遺跡自体もそうだが写真や絵ハガキの方が、実際の肉眼観察よりきれいにも偉大にも見えるのが普通だ。帰りの航空チケットの列で後ろに並んた女子学生たちが、あちこち虫に刺され遺跡もきれいじゃないと文句を言っていたが、世界的な観光名所・歴史的遺跡というのは大体がそういうものだ。思い込みなど持たず見たなら、写真や絵ハガキの方がはるかに美しい。それなのに多くの人が観光に来るのは、実際に自分の足で大地を歩き、昇り降りし、手指で触れ、その周辺を見渡し、自分の感覚の中に焼き付けてみたいからだ。生な遺跡と出逢って古代人の息吹を感じ取り、新たな人間として蘇りたいからだ。私達など零下3度の札幌から気温36度のアンコールへ出掛け、まして私は帽子も被らず直射日光を浴びながら遺跡地帯を歩き回った。考えてみると過去にエジプトを訪れたときも10日間帽子をかぶらず灼熱の日差しを浴び続けたものだ。

ところでカンボジアには古典的な占いが残っていると聞いた。宗教的な「経典占い」や「ヤシの葉占い」がそれで、実際に行っている人がいないか探したが見つけられなかった。その代わりというべきか「アンコール国立博物館」の中に、面白い占いを見つけた。それはちょうど香港や台湾の道教寺院で行っている占いと同じ方式で、まず仏像に向かって祈りを捧げ、置かれている三日月型木片二つを投げて「陰・陽」の形(裏表)に三度なったなら、占い棒が入った筒を両手で持って、占い事を思いながら何度も振る。そうすると一本だけ、占い棒が飛び出してくる仕組みだ。香港や台湾で見掛ける占い形式が、そのまま残っている。ただし、向こうは道教寺院なのに対して、こちらはヒンズー寺院(又は仏教寺院)という違いがある。ここの親切なところは、占い棒の番号札に沿った「ご神託」の紙にはクメール語だけでなく、英語やフランス語や中国語や日本語でも併記されていることで、多少、日本語の意味としてはおかしい表現もあるが、とにかく日本語でも書かれてあることに感動する。私は15番だったが、そこには「特に取引、すべてが成功するだろう。(略)相棒が似合う人になりそう。(略)最幸運が寄って来る。病からすぐ回復する。(略)全体的に特によろしい。」と記されてあった。意味不明な判断もあるが、良い運であることは間違いなさそうだ。

本当はその後、実際に現地の占い師の方にも見てもらう予定だったのだが、前日はOKだったのに、その日になって気持ちが変わったのか逢ってもらえなかった。ガイドが何度か電話を入れ、自宅前にも出向いて門まで開けてもらえたのに、なぜか直前になって逢えないということになった。もしかするとガイドとの間で金銭面の交渉が決裂したのかもしれない。クメール語でのやり取りなので何故直前で不可となったのか、ガイドの説明も今一つ要領を得なかった。門はあったが、決して立派な住宅とは言えず、次々客が訪れるような場所でもなく、いったん鍵を外して門を開けてくれただけに、奇妙な印象が最後まで残った。

占い書籍に関しては、ガイドもホテル従業員の日本人女性も、最初から反応が良くなかった。まず、書店そのものが乏しいのだ。遺跡関連の書籍はあるが、それ以外が極端に少ない。何店か書店らしきところを廻ったが、大型書店と言えるような場所は一軒もなかった。最後の可能性がありそうな場所として案内してくれたところに、たまたま来店していた女性は日本語が堪能で、しかも占い好きらしく一緒になって占い本を探してくれた。その中から図解の入った書籍を四冊ほど入手してきた。手相・人相の本が一冊。風水の本が一冊。ホロスコープの本が一冊。そして干支による運勢の本が一冊。ただホロスコープ以外はすべて現地のクメール語で書かれている。なかなかユニークな本ばかりだ。正直、占いのレベルは高くないが、人相に関しては興味深い内容となっている。ただ紙質や印刷技術は極端に悪い。ページが繋がっているとか、折れ曲がっているとか、二重に写っているとか、擦れて印刷されているとか…とても日本なら書店に並べられる商品ではない。それでも現地占い師の確かな情熱が頁のそこかしこから漂ってくる。