カリスマ占い師の著者が、仕事や能力や金銭などの面で「出世や成功をつかむ」ためのアドバイスを集めました!
「私は運が悪い」と言う人がいますが、宝くじも最終的には買わなければ当たりません。私自身、雨漏りのする六畳一間の家で生まれ育った<不運の児>です。 ここに書けない種々な不運も山ほど体験しています。その体験があったからこそ、<理解力には絶対の自信がある>占い師になれたのだと思っています。人生には<不運だからこそ力を発揮できる場面や領域>もあるのです。
カリスマ占い師の人生指南シリーズ第五弾!!
出生ホロスコープを見ると、緯度の高い英国生れである彼女の出生図では、必然的に各12ハウスの歪みが大きく、このホロスコープでは、意図的に地平線となるASCからDESのラインと、南中線となるMCからICのライン以外は省いてあります。(作図の関係で、水平になっていないことをお許しください)
私はこれを書くために、改めて欧米で発行されている西洋占星学書を何冊か読みましたが、総じて欧米の西洋占星学書というのは判りづらい書き方をしている、と痛感しました。ダイアナ元妃に関するホロスコープ解説でも、的確に述べられているテキストは1冊もありませんでした。
このホロスコープで重要なのは、まず、金星の位置です。ハウス位置では第5ハウス。アスペクトでは「おうし」24度に位置して、月(太陰)と90度、天王星と90度、土星と120度です。また、MCと150度です。
津川飛龍の占い教室には、セミプロ女性占い師や元・占い師の夫に先立たれた未亡人、魔女になりたい女子高生、占い師に憧れるしおりなどが通って来る。
ある日、津川はしおりと不倫関係に陥りその体に刺青が彫られている事を知った津川は、しおりの大切な部分にボディーピアスを施し自分好みのM女に変えていこうとするのだが……。
出生ホロスコープを見ると、太陽と海王星とは180度。火星と天王星とは180度。この二星同士の組み合わせが、それぞれ90度を形成していて、天空上で惑星同士が大十字形を描き出しているときに蓮池さんは生まれています。これが、俗に言う「グランドクロス」です。きわめて珍しい惑星配置で、こういう大十字形の惑星配置を持って生まれている場合、平凡な人生を歩んでいることは滅多にありません。
例えば、主婦の座から「発明サービスセンター」を設立し、やがて「アンネ・ナプキン」の創立者となっていった坂井泰子さん。全米の美少女コンテストでグリンプリに輝きながら、クリスマスに殺害されたジョン・ベネ・ラムジーちゃん。天才詩人・戯曲家で奇行癖でも知られていた寺山修二氏。「眠狂四郎」などで人気の頂点にありながら、肝臓癌で37歳の若さで死去した市川雷蔵氏など、いずれも特異な人生を歩んだ人たちばかりです。
近年に書かれた陰陽・五行関連の書物で、また中国系占術書において、「陰陽・五行」を「古代の七惑星」に直接結びつけて論じた研究書はありません。けれども、私は陰陽・五行理論が導き出された根底に、七惑星に対する星神信仰があったことを見逃すことはできません。
西洋における占星術思想が、その背景として、肉眼観察できる古代の七惑星に対する星神信仰をもっていたように、東洋(中国)における陰陽・五行思想が誕生していく過程においても、古代の七惑星が影響していたことは間違いないのです。今、それらを列記すると次のようになります。
古代の七惑星 | 陰陽・五行 | 支配黄経度 | 支配十干 | 支配(影響)十二支 |
---|---|---|---|---|
太陽 | 陽 | 180度間 (冬至以降の陽遁期間) | 甲・丙・戊・庚・壬 | 子・寅・辰・午・申・戌 |
太陰(月) | 陰 | 180度間 (夏至以降の陰遁期間) | 乙・丁・己・辛・癸 | 丑・卯・巳・未・酉・亥 |
木星 | 木 | 立春以降の72度間 | 甲・乙 | 卯・寅・未・亥・辰 |
火星 | 火 | 立夏以降の72度間 | 丙・丁 | 午・巳・戌・寅・未 |
金星 | 金 | 立秋以降の72度間 | 庚・辛 | 酉・申・丑・巳・戌 |
水星 | 水 | 立冬以降の72度間 | 壬・癸 | 子・亥・辰・申・丑 |
土星 | 土 | 四立前の各18度間 (18度間×4=72度) | 戊・己 | 丑・辰・未・戌 |
これらの関係を、より理解しやすいよう具体的な図解としてあらわすなら、【1図】と【2図】と【3図】のような区分・配当となるでしょう。(注意……十干・十二支に対する五行の支配(影響)については後から詳述するつもりなので季節配当のみ図解してあります)
古代中国において、肉眼観察可能な惑星たちは、最初から現在のような名称で呼ばれていたわけではありません。天空を動いていく五惑星は、それぞれの特徴から、次のような名称を持っていました。
木星=歳星(さいせい)=東方天空に蒼色の輝き=五行上は木(もく)=聖獣は蒼龍(そうりゅう)、
火星=螢惑(けいわく)=南方天空に赤銅色の輝き=五行上は火(か)=聖獣は朱雀(しゅじゃく)、
金星=太白(たいはく)=西方天空に銀白の輝き=五行上は金(きん)=聖獣は白虎(びゃっこ)、
水星=辰星(しんせい)=北方天空に暗色の輝き=五行上は水(すい)=聖獣は玄武(げんぶ)、
土星→填星(てんせい)=南西天空に黄土色の輝き=五行上は土(ど)=聖獣は麒麟(きりん)、
という捉え方です。
ここで注目すべきは、古代中国人の各惑星に対する捉え方です。元々動きのある惑星を、その出現しやすい代表的方位を固定し、惑星色を限定し、天空上を動き回る聖なる獣として「色のある神聖生物」に見立てていたことです。聖獣の認定は早く、紀元前3000年紀には既に「蒼龍」と「白虎」がその方位と共に特定されていました。つまり、陰陽・五行理論よりも先に、星神信仰としての「蒼龍」「白虎」が崇められていたのです。
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今日、「十干十二支」と呼ばれているものについて、中国では近代まで「十幹十二枝」と記されるのが一般的でした。 それは十干十二支が植物の「幹」と「枝」の関係であるとして捉えられていたからです。現在でも、多くの推命家たちは、この仮説が古来の伝承そのままであるかのように誤解しています。ところが、実際には中国の漢代以前は「十干十二支」を「十母十二子」と記していて「母」と「子」の関係として捉えていた節があり、さらにそれ以前の史料では「十日十二辰」と書いて、「十の太陽」と「十二の月」として捉えていたことが明らかです。
そして、十の太陽とは、原初の感覚でいえば「殷(商)王朝部族に与えられた十の太陽」であり、だからこそ殷(商)王朝の王子は、その干支暦日に由来した十干王名を持っていたのです。呪術王朝であった彼らが、いかに「十の太陽」というものが自らの身体に宿っている…と信じていたか、それは甲骨文字としての初期の文字形に表れています。【図1】
これらの文字の象形を辿っていくと、人体そのものの一部を象形化していることに気付かされるのです。【図2】一般に十干十二支の文字形が、干支共に「植物の象形から来ている」と解説する占術書が多いのですが、それは先にも述べたように、近代までの「幹枝説」に惑わされているからです。原初の十干十二支は、決して幹枝などに由来するものなどではなく、「十の太陽」と「十二の月」という、もっと解りやすくてシンプルな事象に由来しているのです。そして、その「十の太陽」を表す実際の象形は「身体の十部位」に求め、「十二の月」を表す実際の象形は「各月ごとの代表的季節現象」に求めているのです。 | |
したがって、「甲」=「頭骸骨の前頭縫合の形」、「乙」=「下頤から咽にかけての象形」、「丙」=「両肩とその肉の象形」、「丁」=「心臓の象形」、「戊」=「胴に巻く鎧の形象」、「己」=「腸の象形」、「庚」=「脊髄を中心とした骨格の形」、「辛」=「女性の陰部から股にかけての象形」、「壬」=「下肢骨の象形」、「癸」=「両肢を交差させた形」といった各人体部位の象形にそれぞれ由来しているのです。 | |
ちなみに、これらの解釈は、決して独りよがりのこじつけなのではありません。 中国の『説文』にも、「「甲」は人頭にかたどる」とか、「「乙」は人の頸にかたどる」とか、「「丙」は人の肩にかたどる」とか…記されているのです。 |
一方、十二支の方はどうかというと、「子」=「頭髪の象形」、「丑」=「手指の象形」、「寅」=「錘をつけた矢の象形」、「卯」=「開門の象形」、「辰」=「大はまぐりの象形」、「巳」=「胎児の象形」、「午」=「杵の象形」、「未」=「木枝の象形」、「申」=「稲光の象形」、「酉」=「酒壺の象形」、「戌」=「鉞の象形」、「亥」=「豚骨格の象形」に、それぞれ由来しています。【図3】
より具体的に云えば、子節=頭髪に基づく呪術儀礼が行われる、丑節=農具を紐で結ぶ、寅節=錘の付いた矢を延ばす、卯節=門の両扉を開く、辰節=月節の標準星・大火(アンタレス)を含む星象と「大はまぐりの形」を結びつけた、巳節=甲骨文字には二つあり、その初期は頭の出来かけた細く小さい胎児の形、その後は季節的な蛇の跳梁する姿、午節=穀物類を杵で搗く、未節=木の枝葉が重なり合う、申節=雷鳴時の稲光の形、酉節=酒壺の神酒を神にささげる、戌節=月節の標準星・参(オリオン)を含む星象と斧鉞の形を結びつけた、亥節=殷(商)の開祖と目される王亥(おうがい)と結びつけた豚骨格――などを根拠に、各季節現象としての文字形を採用しているものと考えられます。
けれども同時に、この十二支の方も人体と無関係ではないのです。
十干が、殷(商)王朝族の人体各部位に結び付くように、十二支の方は殷(商)王朝族の妊娠から出産に至る胎児の成長過程と結びつけた暗示的記号でもあるのです。
子=王児の生霊が宿る意、丑=生霊と母体が結び合う意、寅=受精卵が成長する意、卯=母体内で独立していく意、辰=胎児が動き始める意、巳=頭と身体が出来掛ける意、午=胎動が激しくなる意、未=手足が成長し始める意、申=胎児の身長が伸びる意、酉=胎児の身体が成熟する意、戌=叫び、吠え、体外に出ようともがく意、亥=胎児の骨格が固まる意……がその成長過程です。
われわれが「四柱推命」と呼んでいる占術は、中国では古来さまざまな名称で呼ばれてきています。「子平」「命理」「八字」「算命」等ですが、どれも研究者の間ではポピュラーな名称です。名称がたくさんあるように、その誕生の経緯や変遷についても種々なことが言われてきています。ただ、ここで知っておかなければならないことは、この占術を誕生させた中国人の気質についてです。中国人はことのほか古いものに対して価値を置く民族性を持っています。したがって、その起源を実際よりも過去にさかのぼらせ過ぎるきらいがあるのです。 |
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中国の史実は、事実上は夏王朝からスタートします。その夏王朝と次の殷王朝、それに続く周王朝の王名を比較したものを掲げておきます。【表1】これらに四柱推命誕生のヒントが隠されているからです。これら王名をじっくりと比較すると、これまで中国系占術を研究されている方なら、誰もが奇妙な違いを発見することになると思います。その違いとは、殷王朝の王名のみ「十干」が王名に含まれていることです。夏王朝の王名にも、周王朝の王名にも、十干は見当たりません。殷王朝の王名のみ十干が含まれているのはなぜでしょう。 |
それは、この王朝成立前後に、十干十二支による干支暦【図1】が出現していること、その十干十二支に呪術的役割を見出していたこと、各王と十干とを結びつける何かが存在したこと…を物語っているのです。有力な説としては、それぞれの王名十干は、各王の生まれ日における干支暦上の十干と考えられています。古代中国における神話伝説では、天空に輝く太陽は元々十種類あるとされ、それが十干としての「甲」「乙」「丙」……「癸」なのだ、とされていました。したがって、毎日交代で上昇循環する太陽にはそれぞれの性質があり、個々の日に生まれた王子には、それぞれの性質や能力が付与される――と考えられたに違いありません。 | |
ところが「呪術王朝」とも呼ばれる殷王朝以外の王朝では、それらの考え方は継承されなかったようです。亀卜(きぼく)と呼ばれる占いが盛んに行われたのも殷王朝で、王朝開始以前の系譜とされているものを見ると、興味深い事実に気付きます。【表2】 | |
( )内の甲骨文字・王名によって殷王朝系譜をさかのぼっていくと、「王亥(おうがい)」までは辿れるのですが、それ以前は発掘史料としては出てきません。それ以前は伝漿のみです。そして、甲骨文字上の王名は多少入れ替えがあるものの「大乙(天乙)」以前も十干を含ませていたことが明らかです。つまり、神話伝漿に基づく個々の太陽がもたらす生まれ日十干によって、それぞれの性質や能力が付与されるという命理学(呪術)的な解釈は、すでに殷王朝成立以前からこの部族内では始まっていたのです。 |
ただし、よく一般の占術書で述べられることが多い「干支暦は黄帝の時代に始まる」と云う俗説は、何ら根拠のある主張ではなく、先にも述べた先人を尊ぶ中国人的思考・信仰に基づく盲説に過ぎません。通常考えられる黄帝の時代とは紀元前4000年紀かと思われますが、その時代にはまだ文字も暦法も存在していなかったからです。