2016年1月8日、つまり今日「亜利弥20周年記念試合」が行われるそうです。「亜利弥」というのはフリーの女子プロレスラーで、昨年、乳がんが発覚し現在ステージⅣで、本来ならとても試合に出れるような状態ではないそうです。けれども本人の強い意志でメインイベントとして、大仁田厚や田中将斗も参加する“男女混合タッグマッチ”の形式で闘うようです。タッグマッチに出るのは共鳴してくれたレスラーたちで、特に田中将斗は小学校からの同級生だそうです。本当はリングデビューした4月に行いたかったようですが、それまで持たない可能性があるため今日になったようです。小学生からプロレスラーになることを誓っていた少女は「命のろうそく」をかざしながら、リングに立とうとしているのです。
人には誰しも「禁じられた扉」があります。つまり、開いてはいけない「扉」というものがあるのです。よくホラーには「開かずの間」というのが出てきますが、それとは多少違って、本人だけは“決して開けてはならない扉”のことです。なぜなら、その扉を開くことによって、人生の階段を大きく“踏み外してしまう”可能性が強いからです。云ってみれば、その人が“覗いてはならないもの”がある部屋だということになります。人によって「それ」はさまざまで一概には言えません。多くの場合、その扉には「厳禁」の表示がなく、最初は“怖い部屋”だということに、全く気付かないのが特徴です。
“謙虚である”ことは、素晴らしいことです。けれども、“謙虚すぎる”ことは必ずしも“良い”こととは言えません。ネット社会は“自己主張の強い”人々に活躍の場を与えて、若い“日本人の性質”を大きく変えました。元々、民族的に“謙虚な性質”が培われていた日本人ですが、近年は“自己主張”をし、自らの“存在感をアピール”することが、当然の社会へと変わりつつあります。そういう“世の中”になって、古典的な血を強く受け継ぎ、謙虚さを身に着けた日本人はしだいに隅に追いやられているような気がします。良いことであったはずの“謙虚さ”は微妙な立場となり、“謙虚すぎる”人々は自分の“居場所”を失いつつあります。もっと毅然と、もっと貪欲に、もっと明確に、自分の“想い”を表して生きないと、現代を生き抜けなくなってしまいます。
「神」「仏」に対して、いろいろと難しいことを言う人たちがいます。その代表的なものは「自分の願望などを願ってはいけない」というものです。一見、正しいかに思える“偉そうな言葉”ですが、これは大間違いです。そもそも、なぜ神・仏が生まれたか、という根本的なことを解っていない人の言葉です。「苦しい時の神頼み」という言葉があるように、人は苦しい時、悩む時、日頃、不信心な人でも“信心深く”なるものです。世界各地で“さまざまな神”が登場したのは、それだけ人間が苦しい時に“未知なる力”に“祈り”“願った”証拠なのです。そして、その時、助けてくれた感謝と御礼で「神の像」が登場するのです。「仏」も同じことで、“救い”への感謝の気持ちが“祈り”へと変わるのです。
最近、さまざまな分野でロボットが活躍し始めている。そこで「占いロボット」を作ろうという計画が、実は“進んでいない”のだ。何故かというと、今のところ、需要が見込まれないからである。多くの人達は、実は占いに対して“癒し”や“救い”を求めても、“的確な未来”や“予言”は求めていないからである。人間の心理とはおかしなもので、現在「占い」自体は日常的に“顔を出している”が、それはあくまで“癒し”や“救い”や“パワー”の心理的な効果を担う意味からであって、“未来予言”としての位置づけからではない。それでいながら「占いサイト」などでの宣伝文句は「的中する」ことを極端に並べ立てているのだから、矛盾も甚だしい。多分、そうしないと“飛びついて”くれないからだろう。しかも、そこに記されているのは“心理描写”が八割で、具体的な“予言”など片隅にしかない。そうしないと“売れない”からだ。つまり、ほとんどの占いサイトの内容は大同小異で、違いなどない。TVとか雑誌とかで“名が知られている占い師”のサイトも、無名に近いような占い師のサイトも、中身的な違いはほとんどない。基本的には回答の中身が“本当の占い”に近いサイトほど売れなくなる。奇妙だが、それが実態のようだ。
近年、あらゆる分野でコンピュータが活躍し、ロボットが出現しているが、占いの分野では、今一つ立ち遅れていて、本当の意味でのコンピュータ化も、ロボット化も、90年代に一時的に進んだがそこで止まっていて、この十五年間まったく進歩がない、というのが現状だと思う。90年代に進んだのも、実際には“占いの計算とか作図法”であって、占いそのものの知識や技術の組み込みではなかった。実は人間のように判断できる、つまり「占い師」のように“回答する”コンピュータを作るのは相当に難しいらしい。そこでどうしても“大雑把な分類”から“回答を引き出す”方式となる。ところが人間は“百人百様”だから、そういう大雑把な分類で、本当に納得できる回答など作れるはずがないのだ。例えば12星座分類ですべての回答が作られたら、ワンパターンすぎて面白みがない。そこで最初は実際の占い師が行うように、いくつかの面から回答を総合的に引き出すような方式を用いようとした。ところが、コンピュータでそういうものを作ろうとすると、必ず“矛盾した回答”が出てきてしまう。人間の場合には、矛盾がある場合はその“強い方”だけを述べたり、“両方を混ぜながら”述べたりするが、コンピュータは“微妙な言い回し”が出来ないので、丁度、自動翻訳機を使った時のような“意味不明な個所”が生じやすいのだ。
現在はかなりコンピュータも進んでいるので、相当に時間をかけ、詳細に打ち込んでいけば、或いはかなり“矛盾を抑えられる”回答を引き出すことが可能となっているかもしれない。但しコスト面から、なかなか実用化は難しい。それに、仮にそのロボットが“正しい回答”を引き出してくれたとしても、それで相談者が納得できるかというと、それはまた別の話で、多くの場合は“合理的すぎるロボットの回答”は情緒的に“受け入れがたい”ものとなる。そう、人間というのは、この“情緒的な部分”を持っているので、どんなに回答が正しかったとしても、正しいから受け入れるとは限らないのだ。
早くからそのことに気付いていた「占いコンテンツ」の経営者たちは、極端に言えば「占い」を“お飾り”としたコンテンツの制作に乗り出した。それは丁度「開運印鑑」の販売者たちが、占いをお飾りとして印鑑を販売する手法と似ていた。つまり、実質的には心理学的な“癒し”や“トラウマの克服”を文章に盛り込むことで、“当たらなくても求められる”「占いのサイト」を作ることに成功したのである。この場合、占いはお飾りなので、実質的に「的中する」必要性はない。それよりも“誰にでも当てはまる”優しく、解りやすく、勇気と情熱を引き出すような文章が求められた。その結果、占い産業は一大ブームを巻き起こし、本当の占い師が占いとしての文章を書くより、占いをお飾りとした“癒しの文章”の方が高評価を受け、多くのファンを掴むという現象が起こった。但し、これが“本当の占いファン”なのだと、コンテンツの経営者たちは誤解してしまった。ここから「正当な占い」が“無力化する”時代が始まったともいえる。
正当な占い師の価値が下がり始めたのである。極端なことを言えば「正当な占い」などいらない、という雰囲気がコンテンツ業界で定着したといえる。ところが、実は「占い」そのもののファンも当然のことながら居たので、そういう人たちにとっては“サイトの占い”が結局は“いつも同じ結果”で、占いではなく「読み物」として心地は良いが、結局は“それだけ”であることにだんだん気づき始める。そうなったことで、徐々に「占いサイト」から人が離れ始めた。
つまり、日進月歩なはずの15年間を「占い業界」は“空白の時”として過ごしてしまった。本来であれば、いかにして占いの専門的な知識や技術をコンピュータ化し、未来の「占いロボット」に役立てていくか、追求すべき時代であったものを、頭から無理とあきらめてしまったために、本当は“見えたかもしれない未来”は閉ざされたままと言える。しかし、同時にそれで「良いのかもしれない」と思う部分もある。現状の「占い」はまだまだ未完成であり、中途半端なものでしかない。それを“完全な答え”だと認識してもらっては困るのだ。そういう意味では「占いロボット」など夢のまた夢でしかないのかもしれない。
例えば、明日大きな餅が喉につかえて生死をさまようかもしれない。二日後に社長から職場をリストラされてしまうかもしれない。三日後に雪下ろしで屋根から滑り落ちてしまうかもしれない。四日後に置手紙を残して恋人が失踪してしまうかもしれない。五日後にオレオレ詐欺で全財産を失ってしまうかもしれない。六日後に死んだおふくろが甦って部屋に居つくかもしれない。七日後にすっぽんがペニスにかじりつくかもしれない。そういう未来だったら、嫌だな。だから、未来は知らない方がいい。よく「悪いことでも、何でも言ってください」という人がいる。そういう人に限って、次回からは何故か来なくなるのだ。
誰でも一年の初めには、大なり小なり、その年の目標や希望を願うものですが、それが叶うかどうかは潜在意識と“どう折り合いをつけるか”に掛かっている面が大きいものです。つまり、潜在意識が“叶うかもしれない”と判断すれば、それに向かって本能的に努力し、実力以上の力を発揮するし、最初から“100%無理”と判断すれば、いつの間にか方向がずれてしまうようにできているのです。つまり「夢は叶う」のではなく、“折り合いがつく「願いは叶う」”のです。折り合いというのは、現状からみて“達成可能なレベル”ということで、つまり年内に「突拍子もない夢」は叶わない、ということです。あくまでも“15%程度”の可能性は持っている“強い願い”であれば、潜在意識はその人の“願いに応えて”力を貸してくれるのです。
昨年の統計によると、日本の婚姻数は63万組、離婚数は22万組だそうです。つまり、3組に1組は“離婚している”計算になります。そういう時代になったのです。離婚というと、すぐ「相性」を持ち出す人がいますが、相性そのものが悪くなくても“離婚する”ケースは沢山あります。元々結婚運が良くないとか、家庭運が良くないとか、独身型、或いは再婚型の運命であるとか言った場合です。先天的・運命的な“独身型”“離婚型”“死別型”“再婚型”は、比率としてそんなに多いわけではありません。「結婚」は愛情だけでなく、偶然やタイミングが左右するケースも多く、意志や衝動が決定してしまう場面も多いものです。
心の鏡をのぞいてごらん。
ほら、いろいろと見えてくるだろう?
えっ、何も見えない。
それは「心の鏡」が汚れているか、眼の視力が失われてしまったかだよ。
「癒やしの病院」へ行けば見えるようになると思うよ。
えっ、のぞかなければ良かった…。
確かに、キミはのぞくべきではなかった。
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