4月, 2016年

「価値観」&「境遇」の類似が人生を変える

2016-04-05

誰でも“自分に近い人”に対して「親近感」を覚えるものです。自分とは“異なる人”に対して「尊敬」はあっても、親近感は抱けないものです。“自分に近い”と感じる一番の決め手は「価値観」です。人生もろもろの考え方、感じ方、捉え方の“一致”や“類似”で、同じような感覚を持っていれば、或る種“安心感”を持って、その人に接することが出来るからです。もう一つは「境遇」です。自分と似たような“生い立ち”や“家庭環境”や“時代背景”を持つ場合、それから自分の現在の状況が“その人の過去の一時期”と重なっていれば、共感性とともに“今後も重ね合わせられる”可能性を感じるものです。したがって、そういう人の「解決策」や「成功の秘訣」や「人生の導き」には反発を覚えず“素直に従える”ことが多いのです。全面的には従えないとしても、その一部は“取り入れていく”ケースが多いものです。実際、そういう形から“困難”に立ち向かい、或いは“苦境”を乗り越え、“性格”を変え、“運命”を変え、“幸福”を掴んだ人が少なくありません。結局、自分が「重ね合わせられる人」こそ、自分を救い出す一番の「鍵」を握っている人だといえるのです。

5年4か月の眠り

2016-04-04

「人間活動」に入って、アーティスト活動を休止していた宇多田ヒカルが帰って来た。確かに宇多田は、その間に結婚をし、出産をした。疎遠となった母親の自殺もあった。間違いなく「人間活動」をしていた。私は「人間活動」などという“嘘くさい言葉”は大嫌いだが、それでも間違いなく「人間活動」であった。そして5年4か月の“眠り”を経て、今日から本格的に「アーティスト活動」を始動する。NHK朝のテレビ小説・主題歌「花束を君に」と、日本テレビ系報道番組の新エンディングテーマ曲「真夏の通り雨」の2曲が同時披露となる。テレビ小説と報道番組で毎日“流れ出す”なんて、いかにも“天才アーティスト”として十代半ばから新記録を連発した宇多田ヒカルらしい復活の仕方だ。運命学的に捉えると、彼女は母親「藤圭子」と似た“人生の軌跡”を歩んでいる。母親も十代半ばで「天才少女」として出現した。独特の歌唱で脚光を浴びたが、すぐに結婚し、すぐに別れた。その後海外に居住し、再婚し、ヒカルを産んだ。そういう意味では共通した「遺伝子」を持っている。母親は“演歌”だった。“恨み節”とも呼ばれた。「人間活動」を経た宇多田が復活をかけているのは“日本語のタイトル曲”だ。少しだけ“演歌”に近づいた。5年4か月の“眠り”は、日本人としての魂を、もう一味“熟成”させて帰って来たのかもしれない。

2016年4月の運勢

2016-04-03

「神」が差し伸べてくれた手

2016-04-03

人は誰でも「見えない壁」に行く手を阻まれて“苦しみもがく”一時期がある。どんなに努力しても、頑張っても「見えない壁」に押し戻されて、そこから脱出できない“苦渋の時”がある。人が「運命」というものを本気で感じるのはそういう時だ。そう「運命」を“本当の意味”で理解するのは、決して幸運な時や順調な時ではない。そういう時には「幸運」だとは思うのだが、それを“運命のなせる業”だとは思わない。けれども不幸が続くとか、予期せぬ失敗が続くとか、アクシデントに巻き込まれるとかした場合、人は嫌でも「運命」の存在性を意識させられる。先人たちの多くが口にした「運命」とは、こういうことだったのか、と理解する。人類が太刀打ちできない「運命」の激流に“飲み込まれてしまった自分”を、嫌でも自覚するのだ。そして、そういう状態が続くと、人は「神」を観る。神の幻影を見る。少なくとも“それらしき存在”を探す。「神の手」が観える。それに触れる。その途端、幻影は見事に消える。次々と「手」は現れ、次々と消えていく。もはや「神の手」などないのか、とあきらめかけた時“皺だらけの手”が伸びる。ごく普通の身近な人物の手。引き上げる「力」などなさそうな手。それでも、もう疲れた人物は“それ”にしがみつく。意外なほどの「力」が“生きる勇気”を与えてくれる。そうして、徐々に“引き上げられていく”のを感じて意識が遠のいていく。

急激に太りだしている地球人

2016-04-02

「BMI」という指数があるそうだ。「太りすぎ」を調査する指数である。しかも全世界186カ国の約2000万人成人を対象とし、700人以上の研究者が持ち寄った合計数としての調査結果である。それによると、この40年間に「BMI」は急激に増加し、このままいくと2025年までには成人男性の18%、成人女性の21%が「肥満」になってしまうのだという。つまり、5人に1人が「太りすぎ」の地球人になる。100年後にはいったいどうなるのだろう。やせすぎの宇宙人から見たら「地球人はブタばかり」に見えてしまう。いや、そんなことはどうでも良いが、今現在でも「低体重」の比率よりも「過体重」の比率の方が上回っていることに注目せざるを得ない。われわれはどうしても世界全体で考えると、栄養が十分でなく「やせ細っている人達」がたくさんいる連想をしがちだが、そうではなかったのだ。実数でいえば成人の6億4000万人以上が太りすぎなのだ。実は高所得の国の中では、日本はこの「BMI」がもっとも低く、すぐ連想できるようにアメリカの「BMI」がもっとも高い。そう考えると「和食」「日本料理」というのは“世界最高のおもてなし”なのかもしれない。

「阿吽の呼吸」が“生きている”国

2016-04-01

片岡愛之助氏と藤原紀香さんが「結婚記者会見」を帝国ホテルで行った。二人は終始「阿吽の呼吸」で言葉をつないだ。そういう「記者会見」を久しぶりに見た。日本人的な対応の仕方で、結婚会見であるのに「プロポーズをまだしていない」というのも、日本人カップルらしい“形”であった。そう日本人同士のカップルには元々「愛の告白」であるとか「付き合ってください」宣言であるとか、改めての「プロポーズ」であるとか、本来、不要のものなのである。日本人カップルの何割が「告白」の後で付き合っているだろうか。或いは何割が「プロポーズ」後に入籍しているであろうか。実際には“意外なほど少ない”のではないだろうか。日本人は元来、欧米人にはない「テレパシー集団」で、仕事でも結婚でも「阿吽の呼吸」の中で行ってきた。言葉など用いなくても“通じ合うもの”があり、それで十分だったのだ。だから「告白」などいらずに付き合えたし「プロポーズ」などせずに入籍できたのだ。それで違和感を感じることもなかったのは、元々が言葉なくても“通じ合う”「阿吽の呼吸のテレパシー集団」だったからだ。近年、日本人なのに「告白」から入ろうとする人が多すぎる。日本人なのに「プロポーズ」で確証を得ようとする人が多すぎる。日本人なら“黙っていても通じる”のが本来の姿なのだ。

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