7月, 2016年

やがて「女性王国」が次々誕生?

2016-07-08

混乱が続くイギリスで、次期首相が女性になることが確定した。最終決戦が“女性同士の対決”となったからだ。多くの人は気づいていないが、実は世界で“女性支配”が徐々に進みつつある。ドイツではもちろんメルケル首相が存在感を強めている。アメリカでも次期大統領がヒラリー・クリントンになるだろうことが確実視されつつある。途中まで破竹の勢いだったトランプは、ここにきてどうも旗色が悪い。大企業スポンサーが得られず、資金難なのだ。一説にはクリントンとの間で十倍くらいの差があるといわれる。もしかすると“大金持ちだったはず”のトランプは資金面で無理をし、大統領選に敗れて“無一文になる”などということが起こりかねない。まあ、どちらが大統領になろうと、日本からすれば“歓迎しにくい大統領”だが…。ところで、お隣韓国はご存知、朴大統領で“女性支配の国”だ。どうも世界は、というか“混乱の未来”は「女性王国」で徐々に埋め尽くされていきそうな気配なのだ。そこへ行くと日本は、どうもそういう雰囲気がない。それを察して(?)小池百合子氏が都知事選のほうで“崖から飛び降り”ようとしている。どうして誰も止めないのだろう。怪我をするではないか。日本で“怪我をしそうもない”のは、今のところ一部で「網タイツの女王」とも呼ばれる稲田明美氏くらいしか見当たらない。もちろん東京都ではなく「日本国の女王」になるのだ。“網タイツの女王”の下、男性政治家たちがかしずいている姿こそ、わが「邪馬台国」の未来にふさわしいのではないだろうか。

「目的の設定」が人生を創る

2016-07-07

何日か前、東大生が泥酔した女子学生に“わいせつ行為”を強要したとして逮捕された。最初から“わいせつ行為”をする目的で、東大の仲間と「東大誕生日研究会」というサークルを設立したらしい。そうして実際に女子学生を泥酔させ、全裸にして胸を触るとかカップラーメンを乗せるなどの行為をしたらしい。何となく、犯行の手口が“稚拙な印象”を与える。もう少し程度の低い学校の高校生などが行ったのなら「困った奴ら」で終わるのだが、東大生や東大院生の犯行ということになると、あまりにも“お粗末すぎる”印象がぬぐえない。もう一つ気になるのは「東大誕生日研究会」というサークルだ。標的となった女子学生は、多分このサークル名に惹かれたから“接近した”に違いない。このサークル名、私でも興味を持つ。かつて早稲田の「スーパーフリー」というサークルが同じような事件を起こしたが、あの時にも“興味を持ちやすい名称”だと思った。そういう意味では、何をやっているかはわからないけど“面白そう”と感じやすい名称を、思いついたのはさすがといえばさすがではある。ただ実際に“誕生日を研究している者”としては、こういう紛らわしい研究名称は困るのだ。それに、どうして本当に“誕生日の研究”をしようとはしなかったのだろう。こういう名称を使うからには、それなりに“そういう事柄”に興味を持っていたに違いない。そうであれば、なぜ“本気でそういう研究をしなかった”のだろう。最初から“わいせつ目的”だったというのが卑怯なのだ。百歩譲って、仮に最終目的が“わいせつ行為に簡単に応じてくれる女性”であったとしても、まずは“誕生日からそれが見分けられるかどうか”東大生なら研究してみようではないか。様々なデータを集めて、苦労をして、研究に研究を重ねて、そういう「誕生日」を発見できたなら、その生年月日時に見合う女性を捜し出す、最低でも“そのくらいの努力”をせずして、程度の低い高校生のような発想と行為は、迷惑以外の何物でもない。たぶん彼らは「東大に入ること」が当面の目的で、それを達成し現実的な“目標・目的”を見失ってしまったのかもしれない。けれども、本当はそこからの新たな「目的の設定」が人生を創っていくのだ。 

過度な「節電意識」が死を招く

2016-07-06

近年の日本の夏は“東南アジア地域の気候”に接近している。一気に気温が上昇しやすく、急激な豪雨に襲われやすい。先週一週間の間に“熱中症”で救急搬送された人は2847人で、昨年の5倍強の数字だそうだ。われわれは“熱中症での死者”というと、どうしても屋外での死亡を考えがちだが、実際には屋内での死者が9割を超えている。しかも驚くべきことに、そのうちの6割以上がエアコンがないところに居たか、エアコンがあっても使用していなかったか、どちらかだそうだ。最近の西日本や関東は35度以上も珍しくない。アメリカやインドの52度とか、51度とかに比べるとまだまだ“低温?”だが、日本人は元々皮膚が弱く、肌理が細かく、色白なので、猛暑・酷暑への抵抗力が弱い。われわれが東南アジアの熱い地域、バンコクとか、マニラとか、クアラルンプールなどの都会に行って感じるのは、屋外と室内との気温差の激しいことである。ちょっと冷房を利かせ過ぎではないか、と思うような場所が多い。つまり普通の日本人は、蒸し暑さにも弱いが冷房にも弱い。過度な冷房を長時間浴びると、それだけで体調がおかしくなる。そういう体質なので、一気に気温が上昇するとか、一気に湿度が上がると、身体がそれに対応できないのだ。東日本大震災以降、日本では「節電」が強く叫ばれ、特にお年寄りたちは“それに共鳴”した。震災の地域の人たちは大変なのだから、せめて自分たちも“節電くらいはしなければ…”という意識を“戦前派の人々”が強く持った。それは、もちろん“貴重な心掛け”ではあるのだが、それが行き過ぎると、どんなに暑くても“エアコンは使わない”という過剰な痩せ我慢に変わってしまう。“熱中症での死者”には、そういうケースが多いのだ。近年の日本は、昔の日本列島と同じ気候ではない。西日本や関東の夏は“東南アジア”と同様なのだ。そう思って“暑さ”と“豪雨”に対処した方が良い。

「男」と「女」の比率が入れ替わっていく

2016-07-05

多くの人が“何となく知っている事実”というものが世の中にはある。加齢による「男」と「女」の“逆転現象”も、その一つだ。つまり、歳を取ると自然に男性が“女性的に”、女性が“男性的に”、徐々にではあるが変化していく傾向がみられるということ。もちろん、すべての男女に当てはまるわけではないが、大体3割くらいには“当てはまっている現象”のように思われる。わかりやすい例でいうと、髪の長かった女性が、年齢が増すごと短くなって、ついには“刈上げの髪型”になって、着ていた洋服も徐々に“男性的な服装”に変わっていって、体形も変化し、見た目から“女が消えていく”婦人たちは多い。男性の方も、それまでスーツ姿で決めていたのが、定年後になって服装や髪型が変わり、表情から“硬さや緊張感”が消えて、どこか穏やかに丸くなって“男が消えていく”紳士たちは多い。これが70代、80代、90代と進むにつれ、より鮮明な“事実に変わって”周囲も違和感なく、それを受け入れていくようになる。実は、この変化は“幼いころに戻っていく現象”と関係が深い。幼少時も、不思議と男女が入れ替わって見えるケースは多いものだ。つまり、男の子なのに“女の子?”に見間違える、女の子なのに“男の子?”に見間違えるような容貌や雰囲気の子供たちは多い。もちろん、その中には“性同一性”といった本格的な子(?)もいるが、そういうのは実際には稀であって、やがて年齢が進むに従って“立派な普通の男女”へと成長していく。ところが“老い”が進んで来るにしたがって、性ホルモンの関係からか“本来の性”が失われて、入れ替わり現象が進んでいくようになる。ということは、元々われわれは“性同一性”に生まれついているのかもしれず、ただそれが“本格的かどうか”の違いだけなのかもしれない。

「ロボット」になれば何でもできる

2016-07-04

近年「イスラム原理主義」者によるテロ事件が後を絶たない。日本人には理解しがたいことだが、彼らは死ぬことを恐れないし、殺人を恐れない。何よりも“悪いことをしている”という自覚がない。どうしてないのかといえば、ロボットだからなのである。それも「神のロボット」だからなのである。神に代わって行っている、という意識が強いから、どんなに残虐なことをしても“悪いこと”としての自覚がない。だから犯行を実行するとき、必ず「神は偉大なり」と言いながら行う。誰でも解かるように、ロボットというのは“指令を与えられて”動いている。信仰心が強まることで、“聖戦を実行しなければならない”という意識が強まり、神からの“指令を受けた”かのような意識が強まって実行犯となる。実は、人間の“潜在意識”というのは、元々がロボットとして働くようにできている。古来からの宗教は“どの宗教”でも、この潜在意識に働きかけ、同じ暗示を四六時中与え続けて自分自身をコントロールし、人間を“ロボット化”することで、幸福を与えようとするシステムなのだ。したがって、システムとしてはどの宗教でも同じなのだが「イスラム原理主義」では、元々が“部族宗教”なので、“敵対すべき存在は抹殺すべき”という教えなので、その過激な部分が問題を起こしているのだ。そこで“潜在意識”の持っている「ロボットの部分」を上手く活用すれば、人間“何でもできる”ということになる。自分に対して、正確に言えば自分の“潜在意識に対して”四六時中暗示を与え続けることができれば、それが可能となるのだ。例えば、自分は“神に代わって癌の特効薬を発見しなければならない”との指令を与えて、その分野の仕事に取り組めば、いずれそれを成し遂げることができるようになる。但し、実際にその分野に関わっていること、そのためには多少の困難があっても仕方がない、と割り切ることができればだが…。

犠牲にならない唯一の方法

2016-07-03

またしても日本人が襲われた。昨日発生したダッカでの集団テロ事件で、狙われたレストランで食事していた8人のうち7人が犠牲となった。日本人以外ではイタリア人が多く9名が犠牲となっている。他にも、多分4名の外国人が犠牲となった。「イスラム国=IS」が犯行声明を出しているので、彼らに通ずるテロリスト7名(うち6名射殺)が実行犯であることは間違いない。最近、頻発しているこの種の事件は、いずれも「IS」のシンパともいうべき若者たちが起こしていて、ISのメンバーなのかは微妙である。けれども彼らも“実質的なISの戦闘員”であることに変わりはない。そして、こういう“外からの支援者や実働部隊”は見極めるのが大変に難しい。特に元々イスラム教徒の多い国や地域では、何をもとに摘発すべきか、その判別が容易ではない。日本の場合はイスラム教徒が少ないので、或る程度までは包囲できるのだが…。もちろん、イスラム教徒=テロリストではないから、一般の穏やかなイスラム教徒にとっては“迷惑な話”に違いない。但し、全く関係ないかというと、そうではない。今回の事件でも、外国人であっても「イスラム教徒」は“犠牲者”から除外している。どうやって見分けるのかというと『コーラン』の一節を暗唱できるかどうかだ。熱心なイスラム教徒であれば、必ず暗唱できる一節で見分けているのだ。この方法は、確かチュニジアでもテロリストによって試された。つまり、イスラム教徒であるなしに関わらず、もし『コーラン』を重要な一節を身に着けていれば、テロリストの犠牲にはならない。したがって、今後イスラム教徒の多い外国へ滞在する人たちは、イスラム教徒にとって“重要な一節”を抜き出してもらい、暗唱する癖をつけて、いざという時に備えたうえで出国すれば良い、ということになる。それしか逃れる術がないのだ。 

平等ではない「人生」のスタート

2016-07-02

私は幼いころ「どうして自分は貧しい家に生まれたのだろう」と不思議だった。悔しいとか嘆くとかいうよりも、不思議で仕方がなかったのだ。今考えれば、不思議でも何でもない。父親が岩手で事業に失敗し、夜逃げのような状態で北海道に渡った後生まれたのだから極貧なのは当然だった。子供時代ずっと貧しかったが、まだ戦後を少し引き摺っていて貧しい家庭も多かったせいで、成長するにつれ、当然なのかな…と受け入れるように変わった。大人になってからは、幸いなことに極端に貧しい思いをすることもなく今日まで来た。そして、もう私のような子供たちはいないもののように感じていた。そうではなかった。近年「子供の貧困」があちこちで報道されるようになった。貧しい子供たちに食事を与える「子供食堂」が続々と誕生している。全国で320か所以上出来ているという。無料のところもあるが有料のところもある。月1回のところもあれば週1回のところもある。「子供食堂」が比較的多い地域もあれば少ない地域もある。それにしても、食事なのに、月1回とはあまりに少ない。「子供食堂」なのに500円も取るところもあるって、それなら普通の食堂だろう。何かが不自然だ。全国一律で、国や市が援助する形で最低でも週1回は開く形でなければ機能しているとは思えない。使用されていない不動産が山のようにあるのだから、そういう場所を「子供食堂」に借り上げればよい。ただシングルマザーが多くなって、それが結果的に「子供の貧困」を生んでいる実態も何とかしなければならない。近年、一部芸能人やなどを見習うかのような形で“出産してしまう”独身女性が多い。誰もが、子供を産んだ時から「親」になる。十代であっても「親」になる。親は“子供を育てる義務と責任”がある。平等ではない「人生」のスタートは、不幸ばかりを生むわけではないが、幸福になるにはかなりの努力が必要だ。

「真正面」から受け止める生き方

2016-07-01

何か問題が起こった時、すぐ“逃げてしまう人”と、逃げず“まっすぐ受け止める人”とがいます。一見、とりあえず“逃げてしまう”方が楽なように思えますが「運命」という観点から考えると、逃げれば逃げるほど“それは追いかけてくる”のが鉄則です。なぜなら“そういう問題”が起こったのは、運命学的な観点からすれば“必然”だからです。「因果応報」という言葉がありますが、たとえ本人に“悪い部分”はなかったとしても、“前世的なもの”や“家系的なもの”も含めて、そういう“因子”を持っていなければ、人生上で“突如起こって来る”ことはあり得ないからです。“前世”とか“家系”とか言われても、そんなのは“自分ではない”と思うかもしれません。けれども、われわれが生まれてくるためには“両親”がいたからであり、その二人にも“両親”がいたからであり、それらの“因子”を排除することは出来ないのです。だから、少なくとも“血縁・家系を遡っていった”ところに、自分と何かしら“似た人物”がいた可能性は否定できず、その人物の“遺伝子が現世において体現される”可能性も否定はできないのです。つまり、“前世”とか“過去世”というものを“あかの他人”と考えず、“血の繋がりがある時代を遡った人物”と考えるなら、それらの“遺伝子”は確実にどこかで引き継いでいるので「因果応報」という受け止め方は“正しい”といえるのです。したがって、そういう運命学的な視点から見れば「関係ない」とは言えなくなってくるので、逃げず、真正面から受け止めるのが“正しい生き方”といえるのです。

2016年7月の運勢アドバイス

2016-07-01
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