4月, 2017年

世界の先を歩んだ「日本」

2017-04-06

世の中には“先んじる”ということが、良いとは言えない場合もある。日本は確かに“世界の先”を歩んだ。「原爆」「VXガス」「サリン」…それらが“一般市民”に使用された国だからだ。まだ記憶に新しい金正男氏の暗殺。それは“VXガス”だった。そこで“オウム真理教”の事件が蘇ったのだが、今月4日の朝、今度はシリア国内で“サリン攻撃”が行われたらしい。これまた“オウム”の事件だ。日本は哀しきかな“世界の先”を歩んだが、それが“世界の教訓”とはなっていないようだ。そして、今回も戦争には直接関係していない一般の市民が犠牲者となった。戦争中であっても「サリン」は使用してはいけない禁止薬物である。世界192か国がこれに加盟している。今回、どこが攻撃を仕掛けたのかはわからない。実はシリア北部は反体制派が支配する地域だが、“アサド政権軍”、“ロシア軍”、“アルカイダ系組織”、“米国系有志連合軍”、何んと四つもの組織から“攻撃対象”とされている地域なのだ。これでは、とても一般庶民が穏やかに暮らせるはずがない。だから、多くの人達が危険を冒しても難民移動をする。ちなみに北朝鮮は「サリン」禁止薬物の加盟国ではない。戦争になったなら、使用する可能性もあるのだ。そう考えると、早い段階で“オウム真理教”のサティアンを壊滅したのは良いことだった。禁止薬物を大量に製造する可能性があったからだ。あの当時、オウム真理教はロシアに第二の拠点を設けようとしていた。その次は北朝鮮だった可能性もあるからだ。何しろ“青酸カリ”の500倍の毒性を持っているのが“サリン”だ。そういえば大昔、私が子供の頃に「サッカリン」と呼ばれる謎の調味料が売られていた。あの“白く光るぶつぶつ”をなめてみたい衝動に駆られていた私はおかしかったのだろうか。

“土星リターン”の試練を乗り切れるか

2017-04-05

占星学上の法則の一つに“土星リターン”と呼ばれているものがある。出生時の時、天空上で土星が位置していた場所に、再び土星が戻って来てピタリ0度で重なり合う現象のことだ。土星というのは天空を29.5年で一周する。つまり、29歳から30歳くらいの時に、誰でも自分の出生時の土星とトランジット(移動中)の土星とは重なり合うよう出来ている。この“土星リターン”がやって来ると、誰でも人生上の“試練を味わう”ということになっている。実は今、大リーグ・ヤンキースの田中将大投手がその時期に来ている。土星が重なり合っているのだ。その結果、三年連続となった名誉ある開幕投手の試合で彼はボコボコに打たれた。2回を8安打7失点2ホーマーと散々だったのだ。落ちるべきはずのスプリッドボールが落ちない。だから打たれる。かなり致命的な弱点だ。実は彼の“土星リターン”は5月半ばまで続く。おそらく、その期間は勝てない。したがって、アメリカのマスコミは徹底的にたたく。先日も「ヤンキース開幕投手史上最悪の出来だった」と酷評された。彼の今期年棒は24億5000万円である。酷評は甘んじて受けなければならない。「アメリカンドリーム」という言葉があるが、確かにアメリカには常人では掴み得ない「夢」がある。けれども、それは同時に“重い十字架”でもある。その“重い十字架”を背負う覚悟のある者だけが「アメリカンドリーム」を目指せば良い。かつて“輝かしいヒーロー”として迎えられた松坂大輔氏は現在“ソフトバンクのお荷物”となっている。田中将大氏が“第二の松坂”とならないためには、この“試練”に耐えるしかない。そうして出生時の天王星とトランジットの天王星が120度となる夏場には“生まれ変わった田中”…とマスコミで高評価される存在になれるか、或いは“一軍リストから抹消”と報道されるか、彼自身の“試練”はいま始まったばかりだ。

“東村山市役所”に志村けんの“顔”があった

2017-04-04

よく昔「東村山音頭」を聴いた。TVで志村けんが歌っていた。あの歌はドリフ用の歌なのだろう…と勝手に思っていた。ところが、そうではなかったことを初めて知った。今年の3月31日まで定年退職後も“臨時職員”として東村山市役所に勤めていたのが志村知之氏である。その完全退職日、東村山市長とツーショットで映っている“顔”が、市長のツイッター上で公開された。その“70歳の顔”は、あまりに実弟・志村けん氏そっくりではないか。…ということで話題になった。確かに似ている。それよりも私は、志村けん氏が、どうして「東村山音頭」を歌い出したのかの理由を初めて知った。自分の実兄が勤めている役所のPRソングだから歌っていたのか。しかも、この歌、本当の「東村山音頭」とは歌詞もメロディも異なるのだという。だから面白いのか。実兄が完全退職したのだから、志村けん氏も、そろそろリタイアして良い。私の中で、彼を認める最大の功績は「東村山音頭」ではなく「だいじょうぶだ教」にある。その当時、悩み事を抱えていた私は、志村けんがベッドの上で座り込み、法華経の人達が叩くおしゃもじのようなものを持ち出して「だいじょうぶだ―」と、素っ頓狂な声を上げる“宗教まがい”の人物を見て、腹を抱えて笑った。どんな悩みや相談にも「だいじょうぶだ―」と応じる。何んと素晴らしい宗教だろうと思った。もちろん“まがいもの”だが、実際のどんな宗教よりも“真実をついている”と思ったのだ。実際、多くの人達にとって信仰は“大丈夫”と支えてくれることにある。だから“経文”というのは、最終的には“大丈夫だ”と述べている。それ以外の何物でもない。彼がそこまで考えていたかどうかわからないが、当時「だいじょうぶだ教」が実際に多くの人達を“笑い”で救っていたことは間違いがない。

「プロ」と「アマチュア」の間

2017-04-03

いつの間にかインターネットの普及が、各種世界に存在して来た「プロ」と「アマチュア」の“見えない垣根”を取り払いつつある。その結果、アマチュアでも優秀な人は“プロ世界”に飛び込みやすくなったし、逆にプロとしてやってきた人でも、力量衰えれば撤退せざるを得ない状況に追い込まれている。良く言えば“自然淘汰”が行われやすくなったともいえる。芸術、芸能、文学、音楽、伝統工芸、特殊能力、専門技能などの分野が特にそうであり、“占い”も或る種専門技能・特殊能力の分野だから、これに当てはまる。先日、プロ野球の試合で、一試合に両チーム合計で“26個の四球”が出た。これは何んと80年ぶりの“珍記録”だそうだ。確かに、そんな試合、見たことがない。高校野球でも、そんなに四球が出ることはない。本来、プロ野球の投手というのは“ストライクが取れて当たり前”なのだ。投げてみないと解かりません…ではプロは務まらない、はずなのだ。占いの世界でも、本来はプロなのだから“読み取れて当然”だが、占いの知識はあるが判断が出来ない“プロ占い師”が増えてきているよう感じられる。なぜなら、私のようにネット上でもTVでも雑誌上でも、前もって具体的に判断する占い師が減ってきているように思えるからだ。特にネット上の場合、前もって堂々と発表するのはかなり勇気のいることである。後になって取り消しが利かないからだ。だから、本当に自信のある者しか、具体的な判断はしたがらない。自信のない人は、前もって判断せず、というか公表せず、後から“私が見たらこうだった”的なことを言う。卑怯なのだ。自信があるなら、堂々と前もって発表すればよい。私に言わせれば、それが出来ないならプロではない。さて、名だたる著名な“プロ占い師さんたち”…ご自身のHPやブログやSNSなど、何でも良い。どんどん、著名人などみんなが判る方法で“予言”してほしい。

2017年4月の運勢

2017-04-02

「慰安婦像」と「朴槿恵像」が重なる

2017-04-02

韓国の朴槿恵前大統領が収監された。独房へと入る前にしばし立ち止まり、涙を流したという。彼女が大統領になる時、誰が今日を予測したであろうか。確かに韓国の大統領というのは、呪われてでもいるかのように、その後の人生が悲惨な人たちが多い。殺害されたり、自殺したりしている人物が多いのだ。それにしても在職中に国民から指弾され、罷免され、独房に収監された。革命期のマリー・アントワネット王妃のようですらある。アントワネットの場合は、元々が“国民の声”に耳を傾けず、贅沢三昧をしていたから仕方がないともいえるが、朴槿恵大統領の場合は、その点かなり違う。或る意味で国民の声を“聴き過ぎた”ともいえる。その結果、日本を攻撃対象とし、日本の総理に対して“非礼”を重ねた。さらに世界各地に“慰安婦像”を建てた。皮肉なことには“慰安婦像”が増えるごと、韓国内は混乱し、朴槿恵大統領の政権は傾いていった。就任当初、圧倒的な支持を誇っていた政権は、いつしか吊し上げをくらい、罪人に仕立て上げられていた。私はかつて“慰安婦像”を建てることは、かつての日本軍の英霊に対し“唾を吐きかけている”ような行為で、恨みを買うことになるだろうと警告した。けれども、その後も“慰安婦像”は撤去されず、増え続けた。結局、英霊たちの“恨み”を買った結果、罪人としての生活を送る羽目になったのだ。日本に対して“過去の反省を促そうとした人物”は、今、自らの過去の反省を促さねばならない立場に追い込まれている。それも、もとをただせば“国民の声”を聴き過ぎたが故のことなのだ。今日、インターネットの普及は、大衆の多くが、今、何を求めているか容易にわからせる。けれども、大衆の多くの声が、常に正しいとは限らないのだ。

“自分を取り戻す”ための復帰劇

2017-04-01

がん闘病中のタレント・小林麻央さんの実姉で休養中のタレント・小林麻耶さんが4月から昼「バイキング」に復帰することが決まった。最初は坂上忍氏との“対談VTR出演”のようである。そして実際の出演時期は未定のままである。つまり、出るか出ないかわからないが、とりあえず“席を残しておく”ためのVTR出演なのだ。私は彼女が体調を崩して番組中に病院搬送となった翌日のブログで“周囲に気を使いすぎる性質”を指摘し、本来は“バラエティ番組は向いていない”ことを指摘した。そうして専門性の高い教養番組のMCとか、“訊き手に回る仕事”が相応しいと記しておいた。まだ、小林麻央さんの“闘病”が伏せられていた時期のことである。その後、小林麻央さんの“闘病”が明らかとなり、その影響での変化かのよう一般には伝えられた。ところが、どうもそれだけではないらしいことが徐々に明らかとなった。運命学的な観点からいうと、本来“仲の良い兄弟”は以心伝心しやすく、一方が病気となると、もう一方も体調を崩しやすい。二人で暮らす“仲の良い夫婦や親子や親友”でも同様のことが起こる。ただ看病に当たらなければ…という使命感が体調をぎりぎりで保っていくケースが多い。そういう点からいうと、妹の小林麻央さんの方はがんであり、回復のめどが立たない。その影響下にある姉が、そう簡単に回復するとは思えない。但し、だからと言って完全復活してから職場に戻ろうとしても、それまた難しい。通常の仕事や職場でもそうなのだが、こういう場合、多少、無理でも“仕事復帰”していく方が良い。その方が“以心伝心の作用”を多少緩和させる。そして社会的意識が“本来の自分”を取り戻させていく。だから早めに“実際に出る形”を取った方が良い。但し、最初にも述べたようにバラエティではなく、もっと“硬派の番組”が彼女には向いている。自分に与えられた「明るい天然キャラ」は忘れてしまうべきだ。

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