5月, 2017年

難民孤児たちはどこへ向かうのか

2017-05-08

日本であまり報道されない問題の一つがヨーロッパの「難民・移民のニュース」である。日本に直接的な関りが乏しいのは事実で、だから自然ニュースとしての価値は低く、特別な時以外はスルーしてしまう。5月5日、6日の二日間だけで、イタリア沿岸において6000人の難民が集中救助された。すごい数だ。毎日のようにゴムボートや木造船を使って、地中海を渡り、難民や移民がやって来る。その中には子供たちがたくさん乗っているが、その多くは孤児であるという。どこからやって来るのかというと、リビア、ナイジェリア、トルコ、ギニア、シリア、ソマリア、バングラディッシュ、エリドリア、エチオピアなどからである。実にさまざまな国からやって来るのだ。つまり、それらの国では、戦火が絶えないとか、政情不安があるとか、紛争に巻き込まれたくないとか、働き口がないとか、どうすることも出来ないで結果的に欧州を目指す人たちがごまんと待っているのだ。どうもわれわれ日本人は、難民というと1ヵ所や2ヵ所のように考えがちだが、さまざまな地域や国家で“生活困難な状況”に陥っている現実があるのだ。そうでなければ、死の危険を覚悟で海を渡ったりしない。これでも、2年前から比べると良くなった方で、その2年前には100万人以上が海を渡ったのだ。もちろん、その途中で命を落とすケースも多い。昨年、欧州入りした難民孤児のうち約1万人が現在行方不明となっている。一体どこへ消えてしまったのか。あまりに数が多すぎて、その実態を把握できず、追跡調査もままならないのが現状なのだ。特にヨーロッパの場合、みな陸続きで、国境を超えるハードルが低い。昔、ハンガリーからチェコにわたる時、特別なにも徴の無い山道で、ガイドさんから“今国境を越えました”と教えられたことがある。別に、車をストップするでもない。素通りの国境越えなのだ。あのような国境を孤児たちは歩いて超えていったのか。その手掛かりは何もない。

イスラムの神が“脱走”を手助けした?

2017-05-07

日本ではありえないことが海外では時々起こる。360人の定員に対し、1870人が入っていた。この1870人という人数自体、判然とはしていない。多分、そのくらいの数なのだ。とにかくインドネシア・スマトラ島の刑務所は“ぎゅうぎゅう詰め”になっていたことだけは間違いがない。インドネシアではイスラム教徒が多い。国民の約8割がイスラム教徒だ。昔は9割近くだったが、最近は少し減っている。暑い国なのに、女性たちのほとんどが頭のスカーフを外さない。ちなみに日本人に対しては大変友好的である。私は昔、インドネシアに行ったとき、20代のイケメン青年と、女子中学生グループから“一緒に写真を撮ってほしい”とせがまれたことがある。最初、青年がそれを言ってきたとき、私はてっきり“そっち系の男性”なのかと思い通訳に尋ねたが、そうではなく“日本人好み”なだけであると教えられた。女子中学生グループなど、きゃあきゃあ騒いで私の周りを取り囲んだ。まるでアイドルになった気分。但し、あれ以来、どこの国でも経験したことがない。そうだ、エジプトへ行ったとき、お土産屋の女店員から“素敵だ”と言われた。女店員とはいっても、素晴らしい美女だった。しかも片言の日本語が話せた。まあ、日本人客への単なる誉め言葉にすぎなかったかもしれないが、セクシー美女から“素敵だ”と言われるのは悪い気分ではない。大昔、イタリアに行った時にも、イタリア女性からウインクをされて戸惑ったことがある。もっとも私好みの女性ではなかったが…。本題に戻って、この刑務所、イスラムの金曜礼拝の時だけは外に出られる、その後に看守から暴力を受けたという者が出て、その混乱を利用して受刑者たちが一気に門へとなだれ込んだらしい。こうして門は壊され、200人くらいが脱走した。その後130名が拘束されたが、まだ逃走中の受刑者たちがいる。正確な数はわからない。受刑者があまりに多すぎるので、イスラムの神が“逃亡”を手助けしているのかもしれない。

“瞬時の判断”が命を救うこともある

2017-05-06

われわれは人生の中で何度か“瞬時の判断”をしなければならないことがある。その“瞬時の判断”で、一人の命が救われることもあるが、同時に“二人の命”が失われてしまうこともある。近くの子供が川に流されたと知った時、あなたは瞬時にその川へと飛び込み助けに向かうだろうか。もちろん、誰もが“助けてあげたい”と思う。けれども、川の状態によっては自分も溺れてしまうのだ。或いは追いつけないかもしれない。こういう時、迷ったなら飛び込まない方が良い。実際、こういう形で何人もの大人が犠牲になっている。だから、泳ぎに自信があって、生命力に自信がある人だけが、その勇気を持つべきだ。子供の日に、大分県の大野川では「どんこ釣り大会」というのが行われる。近くに住む医師の宇野克彦氏は「子供が流れている」という叫びを耳にして、迷うことなく、その方向へと飛び込んだ。そして100mほど泳いで少年に辿り着き、その子を抱えるようにして岸へと向かった。こうして少年は無事救助された。私は大昔、一度は室蘭のイタンキ浜の崖っぷちで滑り落ちるところを救助され、もう一度は登別の地獄谷でこれまた滑り落ちるところを救助された。いずれも若い男性で、無言のまま去っていった。この医師にしても瞬時の救助で、少しでも迷いがあれば、少年に追いつけなかったことだろう。彼自身、このまま自分も溺れてしまうのではないか、という恐怖が一瞬過ぎったという。それでも、一人の命を救いえたのは、日頃から“命を救う仕事”をしているからなのか、それとも、その勇気を神が認めたからなのか、誰にも解からない。

“米朝”より“中朝”の方が一発触発の危機

2017-05-05

よくあるんだ。仲がよかった人どうしがケンカすることって。あのね。アメリカさんという人がいて、この人がけっこう気が短いの。それでね。あぶないから、中さんはね「やさしく頼むよ」って、いつも言ってたの。でもね。今のアメリカさん、気が短いからさあ。「おまえが何とかすれば見逃してやるよ」って、けっこう強気なんだ。だから、ホントは嫌なんだけどね。中さんは、仕方なく“カリアゲくん”に「静かにしてないと絶交だぞ」と言ってやったんだ。そしたら友達に言われたから“カリアゲくん”怒っちゃって「おまえに言われる筋合いはない」って強気なんだな。だいたい、最近、紙ヒコウキ花火がなかなかうまく飛ばなくてイライラしてたわけ。そんでもって中さんに八つ当たりもあって「うるさくすると、お前とケンカするぞ」って、方向てんかん。なにしろ“カリアゲくん”って、ガキ大将だからさ。紙ヒコウキ花火たくさん持ってるしね。もちろん、とばっちりの中さんも怒り出して「オレ、おまえのために苦労してんだぞ…へやんなか覗くって脅されてんだぞ…わかってんのか」って、必死なの。なんか今一つ、わかんないケンカだよね。でもね。ほんとうはアメリカさんと“カリアゲくん”だったんだけど、今じゃ本気で、中さんと“カリアゲくん”の“ののしり合い”になっちゃってるの。そんでもって、どっちも“引けない事情”ってもんが横たわっているわけ。だからね。これはね。アメリカさんのひとり勝ちだよ。だって、何もしていないのに、ほんとは“きらいな二人”がケンカしてくれるんだよ。しかも本気なんだ。最近、中さんも、いろんなとことケンカして、ちょっとお疲れ気味なの。強気の“カリアゲくん”にビビり始めているかもしれない。ただ“カリアゲくん”長期戦はダメだよ。だって、アブラが切れちゃうから。寒いし、暗いし、車動かないし…で万事休す。やるなら“速攻攻撃”これしかないよね。

小学校内での“宴会芸”は犯罪

2017-05-04

「アキラ100%」という名の芸人が受けている。昔からあった“盆を使って局部を隠す芸”の現代版だ。少しも新しくなどないが“宴会芸”としては面白い。ただ学校内でやるようなことではない。ましてや小学校の教師が女生徒に向かって“強要する”ような芸ではない。ところが、これを行って逮捕された教論(29歳)がいる。そうかと思うと、女児のわいせつ画像を大量に保有し、それをインターネットを使って一般公開し、“児童ポルノ禁止法違反”で逮捕された小学校教論(34歳)もいる。小学校内で複数回にわたって十代女児の身体を触るなどして“強制わいせつ”で逮捕された教論(31歳)もいる。また学校内ではないが、14歳少女を“強姦”して逮捕された高校教論(27歳)もいる。すべて最近の出来事なので、一応、名前は伏せた。いずれも20代や30代の若い教師たちだ。多分、ストレスと性的欲求が溜まっているのだ。それは理解できないこともないが、自らの“神聖な職場内”で行ってはいけない。それよりも問題なのは、“少女愛→少女性愛”の強い男性たちが“教職”に就いているという事実である。小学校や中学校の教師になるということは、多少なりとも子供たちに対しての“愛情”を抱く部分が無ければならない。そうでなければ“愛を注ぐ教育”は出来ないからだ。この点をはき違えると、愛情豊かな若い男性教師全般の排斥運動につながるから注意しなければならない。けれども、それが“性愛”にまで転じてしまったのなら、どうしても問題が出て来る。この“境界線”をしっかりと見極め、新任教師たちにきちんと認識させられるかが、今後の採用現場での課題のような気がする。

“それなりの幸せ”が保障された名前

2017-05-03

人間、何が“幸せなのか”一概には言い切れない。けれども、そこに多くの人がいて、そのそれぞれが“それなりの幸せ”を得ているとしたなら、一応、それは“幸せが保障された集団”だということになる。あなたは「田中宏和」という名の著名人を知っているだろうか。多分、すぐには思い浮かばないはずだ。これは、この姓名が社会的に“傑出した人物”を輩出していない証拠だ。しかし、一方、この姓名の“犯罪者”や“極悪人”や“不幸続きの人”に思い当たることもないはずだ。奇妙なことに、われわれは世の中で多くの人に出逢っているが、そのほとんどの人の姓名を実際には忘れてしまう。印象に残っているのは、自分にとって“身近な人”、何度も接している人、極端に変わっている名前の人、マスコミなどを通じて“顔と名前が一致する人”、少しだけその人柄や業績や特徴を知っている人に限られる。ところが、一度接しただけで、絶対に“忘れない姓名”というものがある。それは“同姓同名の人”だ。これは忘れようがない。思わず見直してしまうから、顔も憶える。さて、その“同姓同名の人”は、どんな人生を歩んでいるのだろうか。もし「姓名判断」の画数と呼ばれるものが真実であるなら、同じ姓名は同じ字画数となるから、“同じような人生”を歩んでいなければならない。ところが、実際にはどうなのか、本当のところはよく解からない。そこで“同姓同名の人”を集めてみる。そうすると何となく分かるではないか。このような発想とは全く異なり、大手広告代理店に勤めていた田中宏和氏が志したのは“ギネスブックへの挑戦”であった。つまり「田中宏和」を集めて“ギネス記録”をつくろうとしたのだ。ところが、この試みは既に行われていて、なんとアメリカの「マーサ・スチュワート」さんが164人を集めて掲載されている。広告代理店の田中氏がこれまで出会うことが出来たのは114人である。だた、この名前、全体に画数が良い。したがって多くの田中家では新生児に「宏和」と命名する。広告代理店の田中氏は、2003年から“同姓同名と関わる”ことがライフワークとなった。彼の“ギネスブックへの挑戦”は「田中宏和」のみんなが“それなりの幸せ”を保証する名前かどうか、姓名学にとっても注目すべき材料となる。

死者が“殺人事件”を告発する?

2017-05-02

横浜の刑務所に収監されていた“詐欺罪”の男が、昨年12月、県警の方に手紙を書いた。「死体遺棄事件で自首したいので調べてほしい」奇妙な告発の手紙である。依頼者は収監されている若い暴力団関係者の男である。一応、告発に従って調査すると、実際に指定された建設会社の浄化槽から細かく溶かした骨や肉片が無数に出てきた。その数約300個。手紙の内容は真実だったのだ。そこでDNA鑑定によって調べると、手紙に記されていた被害者名と一致したので、改めて昨日、容疑者二人が逮捕された。ところが、実際に逮捕すると、自ら“自首”をほのめかしていたはずの主犯は“黙秘”へと変わり、共犯者とされた会社員の方が“素直に自白”した。主犯の暴力団関係者が被害者を殴り殺し、その後、チェーンソーを使って死体を細かく切断、そのあとで劇物カセイソーダ漬けにして死体を溶かし、そのあとで浄化槽に遺棄した事件らしい。いかにも暴力団らしい殺害の仕方である。ただ、何か腑に落ちない。まず、何故主犯は“自首”の手紙を書いたのか。当たり前の話だが「詐欺罪」より「殺人罪」の方が重い刑罰となる。しかも、自分自身は“収監中”であった。仮に共犯者も収監させたかったのだとしても、自分は出られない。殺人の方法などからいっても“自首で罪が軽くなる”ような事件ではない。もし反省しての“手紙”なら、実際に“再逮捕”となって黙秘するはずがない。大体、自分から告白しての逮捕なのだから、黙秘する理由がない。考えられるのはただ一つ。主犯は“死者”に告白するよう迫られていたのではないか、ということだ。今のままでは“浮かばれない霊”は、必死の思いで殺人鬼を呪ったのだ。その呪縛によって、犯人は怖くなって、その呪縛から逃れたくて“告白してしまった”というのが本音なのではないだろうか。そして死体が丁重に弔われた今、もう主犯の前に“怨念霊”は出なくなった。そこで主犯は、どう対処して良いかわからず、“黙秘”に変えているのではないだろうか。

76倍もの申し込み殺到「3泊4日=95万円」なり

2017-05-01

世の中、儲かっている人はいるもので「3泊4日」の旅行代金が95万円でも気にせず申し込む人がいるのです。「ちょっと高すぎるんじゃないか」なんて言っていたら、セレブにはなれません。そうは言ってもねえ、やっぱり高いと思うよ。海外旅行じゃないんだから。しかも、飛行機を使わないんだよ。ただの“列車の旅”だよ。走るだけ。まあ、スイートってやつだけどねえ。それにしても76倍の確率での申し込みというんだから、世の中捨てたものじゃないねぇ。それだけ、本物の“セレブ”がいるという…嬉しいような悲しいような複雑な気分がするのは何故? 日本もだんだん“貧富の差”がハッキリとしてきているのかなぁ。でも、まあ、スイートとはいかなくても、JR東日本が今日から運航を開始する豪華クルーズトレイン「四季島」に、一度くらいは乗車してみたいというのは何なんだろうね。まあ“贅沢”というか“無駄遣い”というか、10両編成の列車でありながら“定員34名”って、そりゃ高い料金でなくっちゃあやってけないよ。だけど、それだけ出すなら海外の“超豪華ホテル”に泊まる方が私なら良いけどなぁ。確か、ドバイの7つ星ホテル1泊がそのくらいの費用だったよね。(後から調べたら、もっと高かった)そういう方が良いなぁ。もっとも日本語が通じるという点ではJR東日本は素晴らしいよ。日本の接客って細やかだしね。でも、風景見てるだけって、意外と疲れるんだよね。どうせならスパとかヘアサロンとか温泉とか、あ、それとパチンコとか、カジノとか、もう、列車じゃない感じのものにしちゃうと最高かも…。

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